キリストは公生涯において多くの譬え話をされました。そして、そのたとえには『真理』が込められていました。
マタイ13:34ーイエスは、これらのことをみな、たとえで群衆に話され、たとえを使わずには何もお話しにならなかった。
ヨハネ3:12ーあなたがたは、わたしが地上のことを話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、どうして信じるでしょう。
たとえには、比喩的な意味があります。
例えば、
・ぶどう園、ぶどう畑、ぶどうの木🍇…過去の旧約時代のイスラエル(ユダヤ人)
・いちじくの木…現在の教会時代のイスラエル
聖書理解の鍵🔑となるのが、『アブラハム契約』です。
この契約に基づいて、神のご計画が進行しています。
パウロが、ローマ人への手紙で語った『栽培種と野生種のオリーブの木』の譬えも、このアブラハム契約に則って、将来の患難時代のイスラエルに何が起こるかということを教えています。
ローマ11:17ーもしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、
*枝の中のある者が折られて…律法と預言者が与えられ、神に養われてきたイスラエルの民の中で、イエスがメシアだと認めない不信仰なイスラエル(ユダヤ人)のこと。
ガラテヤ3:24ーこうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
*野生種のオリーブ…異邦人信者(クリスチャン)のこと
*オリーブの根の豊かな養分…キリストのみことば。霊的祝福。
ローマ11:18ーあなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。
*その枝…不信仰なユダヤ人
ローマ11:19ー枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。
*枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ…イスラエルがメシアを拒否したので、神に捨てられ、代わりに異邦人信者(クリスチャン)が『霊的イスラエル』として祝福を継承した、という考え方はまさに異邦人の思い上がりと言えるでしょう。
ローマ11:20ーそのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。
*高ぶらないで、かえって恐れなさい…これが、パウロの勧めです。
ローマ11:21ーもし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。
*もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば…もしも、彼らがキリストの初臨時に犯した不信仰の罪により、本当に神がイスラエルを永久に捨てられたのならば、の意。
*あなたをも惜しまれない…異邦人信者(クリスチャン)も不信仰に陥れば、簡単に捨てられてしまう、の意。
しかし、聖書はこう記しています。
ヨハネ3:16ー神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
使徒2:21ーしかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。
ヘブル13:5bー「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
聖書の神は、ご自分のことば(約束)を必ず守られるお方です!アーメン †
ローマ11:22ー見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。
*倒れた者…不信仰な者。彼らはやがて患難時代を通して裁かれ、復活後『白い大いなる御座の裁き』にて永遠の苦しみの場所へと投げ込まれることになります。
昨今「怖い」「恐ろしい」「愛の神が永遠の滅びに人を送るようなことはなさるはずがない」という理由で、教会で『白い大いなる御座の裁き』を語ることがほとんどなくなりました。しかし、聖書がはっきりと記している以上、クリスチャンは語っていかなくてはならないのではないでしょうか?
キリストを信じない者が最終的にどこに行くのか?
私たちクリスチャンは、どこから救われたのか?
そのことを知っているからこそ、主に感謝しつつ、主の十字架のみわざと復活の福音を伝えていく…これが、真の信者の使命だと思います。
*あなたも切り落とされる…これは誤解されやすいので、注意が必要です。
ここはヨハネ15章の『ぶどうの木の譬え』と合わせて理解する必要がありますので、是非この添付記事を参考にしてください。
ローマ11:23ー彼らであっても、もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。
*彼ら…イエスがメシアであることを拒み続けているユダヤ人たち。
*彼らを再びつぎ合わす…このことが起こるのが、患難時代の終わり、ハルマゲドンの戦いの中での最後の三日間です。患難時代を生き延びたイスラエルのレムナント(残りの者)が、イエスをメシアだと信じ、その御名を呼び求めたとき、彼らの祈りに応えてキリストの地上再臨が起こるのです。
ローマ11:24ーもしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。
*自分の台木…イスラエルというご自分の民のところに来られたメシアであるイエス。
ヨハネ1:11ーこの方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
初臨時には、イスラエルの民としては受け入れなかったけれども、患難時代の終わりには、イスラエルのレムナントによって受け入れられるようになります。
そして『アブラハム契約』の子孫、土地、祝福の約束を、神はご自分の民イスラエルに対して成就させることになるのです。
聖書を読む時、『アブラハム契約』に則って、イスラエルの民をストーリーの中心に据えて読み解く必要があります。
そこを無視するからこそ、様々な憶測による異なった解釈がなされてしまうのです。
『イスラエル』と『教会』とを分けて理解することが大事です。