サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

『人のたましい』と『悪の三位一体』の行き先

自分の死後「いったい『自分』はどこに行くのか」と考えてみたことはありますか?

「お墓はもう決めてある」と言われる方もいるかもしれませんが、たましいはどこに行くのでしょう?

何の根拠もなく『無になる』と思い込んだりしていませんか?

 

 

伝道者の書12:7ーちりはもとあった地に帰り、霊はこれをくださった神に帰る。

 

医学的には、心肺停止や脳死など、人間の『死』に関して幾つかの定義がありますが、聖書的には『たましいとからだの分離』が『死』です

 

キリストの昇天まで、死後のたましいの世界は地の下『陰府=広義:ハデス』にありました。ですから、聖書(使徒信条も)は死後のことを「よみにくだり」という表現になっているのです。

創世記44:31ーあの子がいないのを見たら、父は死んでしまうでしょう。そして、しもべどもが、あなたのしもべであるしらが頭の私たちの父を、悲しみながら、よみに下らせることになります。

 

箴言15:24ー悟りのある者はいのちの道を上って行く。

これは下にあるよみを離れるためだ。

 

人間の全存在性ー霊・たましい・からだーがどのように絡み合っているのかは、こちらを参考にしてください。

 

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死後の世界には、大きく分けて『二つの部屋』があります。

そのことを教えているのが、ルカ16章の『金持ちとラザロ』の話です。(ある人々は「これはたとえ話であって、実話ではない。」と言いますが、ユダヤ人はたとえ話にには実名を使わないことを考えると、また、神のいのちの書に名が記されている者だけが天の御国に入れられることを考えると『実話』と捉える方が正しいでしょう。)

 

一つは、ラザロのたましいが行った『アブラハムのふところ』と呼ばれる『慰めの場所』。

もう一つは、名もない金持ちが行った『苦しみの場所』。

 

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アブラハムのふところ』は『パラダイス』とも呼ばれ、人間が作り出した神々ではなく、世界を創造された真の神、聖書の神を信じる者のたましいが行く所であり、一言で言うなら『天国行きの待合室』と感じでしょう。

 

この『パラダイス』ということばは、新約聖書に三回しか出てきません。

その三回の『パラダイス』を追っていくと

①主の昇天までは『地の下』、

②昇天の時に、共に『第三の天』に引っ越し、

③やがて千年王国を経て、完成された『天の都エルサレム』に引っ越す

ことがわかります。

 

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死後のたましいが、この『パラダイス』に入るには、肉体が生きている間に三つのことを信じる必要があります。 

1コリント15:3b~4キリストは聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

また、葬られたこと、

また、聖書に従って三日目によみがえられたことです。

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肉体の死後には、救いのチャンスはありません。

 

キリストを信じない人々の中には「イエスを信じないと地獄などと言う神のどこが愛なんだ!?」とおっしゃる方がいますが、生まれながらの人間は、アダムから受け継いだ『自分が神のように物事の善悪を決める “自己中心の罪” 』により、生まれながらに『苦しみの場所』に送られるべき存在です。

 

キリストはそこから救い出すために、すべての人の罪の身代りとなって十字架で贖ってくださったのです。

そして死からよみがえり、ご自分と共に永遠に生きる道を開いてくださいました。このことに、同意する者(このことを信じる者)だけが、その恵みに与るのです。

 

エス『苦しみの場所』に行きたくないと願う者を救い出してくださる『救い主』であり、『贖い主』であり、『弁護人』なのです。

 

ヨハネ3:16ー神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

ヨハネ11:25ーイエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

 

ヨハネ2:2ー私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。

 

 

肉体が生きている間、すべての人がキリストに立ち返ることを神は忍耐をもって待っておられます。しかし、肉体が死を迎える瞬間、その人はすべての機会を逃したことになります。だからこそ、クリスチャンは伝道し、その人のためにとりなしの祈りをするのです。

 

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肉体が生きている間に、キリストの福音を信じることなく死んだ人のたましいは、行くべき所、苦しみの場所と呼ばれる『ハデス(ギリシャ語)』『シェオル(ヘブル語)』に行くことになります。

 

ここはキリストと共に天に引っ越した『パラダイス』とは異なり、現在でも地の下にあります。炎が燃え盛り、熱く苦しい場所なのに、その人の今の世での生き方によっては何の憐れみもかけてもらえません。

『金持ちとラザロ』の金持ちは、自分は贅沢に暮らしながらもラザロにはパンくずすら与えなかったので、苦しみの場所に行った時、水滴すらもらえなかったのです。

 

ヤコブ2:13ーあわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。

 

『苦しみの場所』は、中で三つの場所に分かれています。 f:id:bluemome:20161030144718j:plain

①ハデス…アダム以降すべての時代の人間の不信者のたましいが行く所。

そこから出るのは千年王国の終わりであり、永遠に生きられるからだに復活させられ、『白い大いなる御座のさばき』で裁かれ、永遠に燃える『火の池』に入れられることになります。そこで、昼も夜も苦しむことになるのです。

 

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②アビス…主に悪霊(堕天使)たちが閉じ込められる所ですが、反キリストもサタンも『悪の三位一体』すべてが一時的に閉じ込められる所。

堕天使たちは、患難時代前半の終わり頃、第五のラッパの裁きでアビスから出され、地上で人々を5ヶ月間苦しめるために使われます。千年王国では、バビロン(イザヤ13:20~22)ボツラ(イザヤ34:8~15)の2カ所に閉じ込められます。

 

黙示録9:2ーその星が、底知れぬ穴を開くと、穴から大きな炉の煙のような煙がたちあがり、太陽も空も、この穴の煙によって暗くなった。

 

黙示録9:5ーしかし、人間を殺すことは許されず、ただ五ヶ月の間苦しめることだけが許された。その与えた苦痛はさそりが人を刺したときのような苦痛であった。

 

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『アビス』にはまず堕天使たち(悪霊)が閉じ込められますが、患難期中期前に一度仮釈放されます。空いた所に、患難期中期に起こる十人の王たちと反キリストの戦いで、一度殺された反キリストが短期間送り込まれますが、すぐに復活してきます。

患難時代の終わりに地上再臨されたキリストによって、生きたまま『火の池=ゲヘナ』に投げ込まれます。

 

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そして、千年王国が始まる前にサタンが縛られ、千年間だけ『アビス』に閉じ込められます。千年の終わりに一度解き放たれますが、最終的にはサタンも堕天使たちも『火の池=ゲヘナ』に投げ込まれます。

 

 ③タータラス…創世記6章の『ネフィリム』を生み出した重罪を犯した堕天使たちが閉じ込められる所。

 

*重罪を犯した堕天使たち…聖なる天使たちは、第三の天で神に仕えていますが、サタンと共に神に反逆した堕天使たちは、空中の支配権の中だけが許された居場所です。しかし、『女の子孫』として来られるメシアの誕生を阻止しようと試みた堕天使たちのこと。

 

創世記6:2ー神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。

*墮天使たちの一部は空中(第二、第一の天)という領域を捨て、地上にまで下り立ち、人間の女たちと結婚しました。

 

*神の子ら…『神を信じる敬虔な者』と考える人もいますが、もしそうであるなら、神に祈らずに自分の好みだけで妻を選ぶということはしなかったでしょう。墮天使であるからこそ、このような罪を犯したのです。

 

創世記6:4ー神の子らが、人の娘たちのところにはいり、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。

*墮天使と人間の女との間に『ネフィリム』が生まれました。彼らは天使でもなく、人間でもない『異種類』の間に産まれた『新種』であり繁殖することもなく、一代限りで滅びていきます。つまり、『女の子孫』ー創世記3:15ーが絶えることになり、メシアを誕生させないというところにサタンの目的があるのです。

 

 

不信者が行く『ハデス』も、堕天使たちが行く『アビス』や『タータラス』もすべて、永遠の苦しみの場所となる『火の池=ゲヘナ』への待合室と言えるでしょう。

 

肉体の死後、意識のあるたましいの状態で『ハデス』で苦しみ、やっとそこから出されたかと思ったら、永遠に生きることのできる『復活のからだ』が与えられた上で、『火の池』が永遠の住処として与えられるのです。

 

イザヤ66:24ー「彼らは出て行って、わたしにそむいた者たちのしかばねを見る。そのうじは死なず、その火も消えず、それはすべての人に、忌みきらわれる。」

 

マルコ9:48ーそこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。

 

コロサイ1:13ー神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。

 

「私はキリストの福音を知らずに死んだ家族がいる地獄でいい。」という方がたまにおられますが、たとえ家族や友人が隣にいたとしても会うこともできず、自分の苦しみで精一杯で他の人のことを思いやる余裕すらありません。

そこでは火が燃えていても、現在のような光を発する炎ではなく暗やみなので、何も見ることはできないからです。

 

恐ろしいです!

しかし、だからと言って私たち聖書を学び、そのことを理解した者たちが語らなければ、誰が語るのでしょうか?

私たちこそこのような恐ろしいところから、キリストによって救い出された者なのですから!!

 

キリストは現在の試練や苦しみから救い出してくださるだけでなく、根本的にはこの『火の池』から救い出してくださった救い主だということを知ってこそ、神の恵みの大きさに心から感謝できるようになるのではないでしょうか?

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