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サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

『教会』と『イスラエル』 〜ガラテヤ6:16〜

『教会』とは何か…?

この理解が、みことばの解釈の土台となる神学の分岐点であるように思います。

 

ガラテヤ6:16ーどうか、この基準に従って進む人々、*すなわち神のイスラエルの上に、平安と哀れみがありますように。(新改訳聖書

ギリシャ語:Όσοι ακολουθούν αυτή την αρχή, θα έχουν την ειρήνη *και το έλεος του Θεού μαζί τους, αυτοί και όλος ο λαός του Θεού. ‭‭ΠΡΟΣ ΓΑΛΑΤΑΣ‬ ‭6:16‬ ‭

 

ギリシャ語の “και” は、接続詞ー①〜と、②そしてーという意味です。(Wikitionaryより引用)

 

新改訳聖書は『一つのグループ』として訳しています。

では、新改訳以外の聖書は、この聖句をどう訳しているのでしょう?

 

文語訳此の法に従ひて歩む凡ての者の上に、神のイスラエルの上に、平安と憐れみとあれ。

*曖昧な訳出

 

口語訳この法則に従って進む人々の上に、平和とあわれみがとがあるように。また、神のイスラエルの上にもあるように。

*曖昧な訳出

 

新共同訳このような原理に従って生きて行く人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。

*『一つのグループ』として訳出

 

リビングバイブルどうか、この原則に従って生きるあなたがたに、また、真に神様のものとなった、至る所のクリスチャンにも、神様のあわれみと平安がありますように。

*曖昧な訳出

 

KJVAnd as many as walk according to this rule, peace be on them, and mercy, and upon the Israel of God.

*二つのグループとして訳出

 

NASBAnd those who will walk by this rule, peace and mercy be upon them, and upon the Israel of God.

*二つのグループとして訳出

 

NIVPeace and mercy to all who follow this rule, even to the Israel of God.

*例外中の例外の訳出

 

このように訳出によって『平安とあわれみ』が、『一つのグループにあるように』ということなのか、この基準に従って進む人々=異邦人信者と『神のイスラエルユダヤ人信者』にあるようにということなのか、意味が変わってくることがわかります。

 

つまり、翻訳者たちが『教会』をどのように解釈しているかが、この訳出に表われていると言えるでしょう。

それは、『教会』の始まりをいつとするかによって決まります。

 

《一つのグループだとする立場》

この立場は『教会=イスラエル』だと主張する解釈になります。

旧約聖書には『教会』という言葉は出て来ませんが、『教会』という概念は旧約聖書では『イスラエル』と呼ばれ、アブラハム(一部の人々はアダム)から始まったと考えます。

 

しかし、旧約聖書の預言書の中には『イスラエル』に対して祝福の預言と裁きの預言の両方がありますが、一貫してすべての『イスラエル』を『教会』と理解するわけではありません。

祝福について語られている箇所は、比喩的に『教会』を指しているものとし、逆に裁きについて語られている箇所では、文字通りのメシアを十字架につけて殺した『イスラエル』に当てはめて理解します。

 

また、この立場では『旧約時代の人々はキリストの十字架を待ち望み、新約時代の人々は十字架を振り返る』と教えられています。

これはとても受け入れ易く、納得し易いのですが、ちょっと立ち止まって旧約聖書をよく読んでみると『真理』ではないことがわかります。

 

たとえば、モーセ五書からは、

①メシアは女の子孫から生まれること

②アブラハムーイサクーヤコブーユダの子孫から出ること

③王となること

モーセのような預言者であることがわかります。

 

しかし、メシアが死ぬことは、詩篇22篇でダビデの賛歌で初めて明らかにされました。でもまだ、メシアが何故死ななくてはならないのかは、啓示されてはいませんでした。

何のためにどういう風に死ぬのかは、イザヤ53章でイザヤが預言するまで隠されていたのです。

 

ならば、モーセ〜イザヤの時代までの人々は、どのように『十字架を待ち望む』ことができたのでしょうか?

 

みことばによって解決されなければ『真理』とは言えません。

しかし、この立場を支持する人々は、旧約聖書が記している以上の情報をモーセ〜イザヤの時代の人々が知っていたと仮定し、過大評価の上に自らの主張をしているのです。

このような主張は、聖書の『私的解釈』にはならないのでしょうか?

 

神様が啓示によって明らかにされていない『メシアの十字架の死を待ち望むことを、旧約時代の人々も信じることによって救われる』というのは、人間側の思い込みであり、その背後には他に『主張したいこと』があるのです。

その『主張したいこと』というのもまた、聖書から根拠となるみことばを提示することのできない、人間側が用意した勝手な枠に聖書を押し込めようとする『恵みの契約』という置換神学なのです。

 

以前の私自身もそうだったように、多くのクリスチャンが教会で教えられるがままに、耳からの情報だけで、すべてを『真理なのだと思い込んで』いるのです。

しかし、聖書はそんな私たちに何をすべきかあらかじめ教えています。

 

使徒17:11bー非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

 

私たちは本当に今まで『聞いたことを、はたしてそのとおりがどうかと聖書を調べる』ということをしてきたでしょうか?

ここからは、それを実行してみたいと思います!

 

 

《二つのグループだとする立場》

この立場は『教会』と『イスラエル』を分けて解釈します。

その理由は、

旧約聖書には『教会』という言葉が出てこないこと

②『教会』は、新約聖書になって初めて明らかにされた奥義(mistery)であること

新約聖書に73回出てくる『イスラエル』という言葉は、一つも『教会』を意味していないこと

④使徒の働きの中では、『教会』と『イスラエル』が並行して書かれていること、などが挙げられます。

 

『教会』ということばが聖書の中で初めて使われたのは、マタイ16:18です。

「あなたは、生ける神の御子キリストです。」ー16節のペテロの信仰告白に対し、主が「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」ー18節と言われたのです。

 

osusowake.hatenablog.com

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エペソ3:3ー先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。

*奥義…mistery 

定義:旧約聖書では知られていなかったことが、新約聖書で初めて啓示されたもの。

 

エペソ3:4ー読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。

*キリストの奥義…キリストの福音(十字架の死、葬り、復活)を信仰の土台とする『教会』

 

エペソ3:5ーこの奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした

*前の時代…旧約時代。

*今…初代教会時代。パウロによって『エペソ書』が書かれた時代。

新約時代の使徒たちや預言者たちに、御霊によって啓示された内容が『奥義』。

 

エペソ3:6ーその奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。

 

*異邦人もまた共同の相続者となり…『救い』は神の選びの民である『イスラエル』がまずメシアを信じ、そのメシアを信じたユダヤ人たちによって異邦人もまた『神の子ども』となる資格が与えられ、同じ御国の相続者となる祝福が与えられるということーガラテヤ4:6~7 

つまり、『イスラエル』と『異邦人信者』は分けて語られているのです。

 

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パウロは『教会』に仕える者となりました。

コロサイ1:25~27ー私は、あなたがたのために神からゆだねられた務めに従って、教会に仕える者となりました。神のことばを余すところなく伝えるためです。

これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現された奥義なのです。

神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。

 

*この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのこと …旧約時代にも聖霊の油そそぎは、一部の人々にはありました。

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 しかし、新約時代には、キリストを信じるすべての人々の中に、キリストご自身が住んでくださることが『奥義』なのです。

ヨハネ14:23ーイエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。

ヨハネ14:16~17では御霊の内住が、23節では御父と御子の内住が約束されています。 

 

三位一体の神ご自身が内住される信者の集まりである『教会』が、キリストの花嫁となるということも『奥義』です。ーエペソ5:22~32 

旧約聖書では『イスラエル』は、【主】の妻ですからーエゼキエル書16章 ーここでも『教会』と『イスラエル』の区別があります。

 

キリストの花嫁となる『教会』はいつできたのでしょうか? 

マタイ16:18ーではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。

*建てます…これは、キリストによる預言であり、未来形です。

 

イエスがペテロに預言された『教会』が建つための条件とは何でしょう?

マタイ16:21ーその時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。

*ご自分がエルサレムに行って〜殺され、そして三日目によみがえらなければならない…これが『教会』が建つ前提条件です。

『キリストの復活』まで成就して、初めて『教会』が誕生するということです。

 

エペソ4:8ーそこで、こう言われています。「高い所に上られたとpき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。」

*賜物…『教会』は機能するためには、賜物が必要でした。その賜物を分け与えるのは、高い所=天からになるので、キリストの昇天も『教会』が建つ前提条件であることがわかります。

 

『教会』はだれが構成するのでしょうか?

そのこと答えはエペソ2章にあります。 

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『教会』とは、キリストを信じるユダヤ人と異邦人が組み合わされて『一つのあたらしいからだ』となり、そのからだのかしらが キリストなのです。ですから、キリスト抜きの『教会』はあり得ず、旧約時代に『教会』が存在していたのなら、決して『新しいひとりの人に造り上げて』エペソ2:15ーとは言えません。

 

イエスは昇天前に弟子たちに『聖霊バプテスマ』のことを預言(未来形)されました。

使徒1:5ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊バプテスマを受けるからです。」

聖霊バプテスマ…キリストのからだの一部になるため。

 

創世記1:2〜黙示録22章に至るまで聖霊の働きはありますが、ここでは『教会』の一員とする働きは近い将来(キリストの昇天後)起こることとして語られています。

実際に『聖霊バプテスマ』が起こるのは使徒の働き2:1~4でですが、そこではユダヤ人信者に対してであり、『聖霊バプテスマ』という言葉はありません。その言葉が出て来るのは、使徒の働き11章になってからであり、そこでは異邦人が『聖霊バプテスマ』を受けています。

 

現在は、キリスト・イエスを信じた瞬間に聖霊の内住が起こり、直ちに『教会』の一員となります。つまり、ペンテコステが教会の始まり、教会の誕生となるのです。

 

であるならば、キリストの初臨前の旧約の時代に『教会』があったとする説は、崩れますね。

『教会』と『イスラエル』とは、別々の存在であることは明らかですから、ガラテヤ書6:16も『二つのグループ』として解釈する必要があります。

 

ガラテヤ6:16ーどうか、この基準に従って進む人々、そして神のイスラエルの上に、平安と哀れみがありますように。

*この基準に従って進む人々…キリストの十字架を誇りとする異邦人信者。ーガラテヤ6:14

*神のイスラエル…神の選びの民であり、なおかつ、メシアを信じるユダヤ人信者。

 

キリストが両者の間の仲介者となり、御霊によって結び合わせ『ひとりの新しい人=キリストの花嫁』とされたのです。

 

1コリント10:32ユダヤ人にも、ギリシヤ人にも、神の教会にも、つまずきを与えないようにしなさい。

ユダヤユダヤ
ギリシャ…異邦人全体を指す
*神の教会ユダヤ人信者と異邦人信者の集合体

 

ここまで長文をお読みくださり、ありがとうございました。m(_ _)m

みことばによって検証してきましたが、ご理解いただけたでしょうか?

私は『イスラエル』と『教会』が別物だと初めて知った時、いかに人の言葉を鵜呑みにした信仰であったかを悔い改めずにはおられませんでした。

使徒たちは、以下のような信仰に立っていました。

 

使徒5:29ーペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。

人に従うより、神に従うべきです。

 

あなたの信仰も使徒たちと同じ信仰でありますようにー祈ー。