サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

キリストの『空中再臨 (携挙)』と『地上再臨』

キリストの『空中再臨(携挙)』については、このブログでも何度か触れてきましたが、まだまだ『地上再臨』との区別がついていない方がおられるようですので、改めて違いを見ていきたいと思います。

 

同じ主イエスを信じるクリスチャンであっても、どのような立場で聖書解釈をするかにより携挙に対する『終末論』は違ってきます。

①携挙はなく、キリストの地上再臨だけ

②患難時代後期携挙説

③患難時代中期携挙説

④患難時代前携挙説

 

しかし、本当に聖書はこのように複数の解釈をするように記しているでしょうか?

『自分の意見まずありき』ではなく、聖書のみことばが何と伝えているかを読み解くことが必要ではないでしょうか?

私たちは、必ずしも最初に聞いた解釈が正しいとは限らないということを、肝に銘じておく必要があります。

常にみことばと照らし合わせ、みことばに聞き従うことが求められています。

 

ヨハネ14:23~24ーイエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、私たちはその人のところに来て、その人とともに住みます。

わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。

 

使徒17:11bー非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

 

では、①〜④を一つずつ検証してみたいと思います。

①携挙はなく、キリストの地上再臨だけという説では、次のみことばを説明することは難しいでしょう。

 

1テサロニケ4:16~17ー主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

 

・キリストが地上まで下りて来てくださるのに、なぜ私たちが『空中に引き上げられる』必要があるのでしょう?

地上再臨だけしかないとしたら、このみことばをどのように解釈するのでしょうか?

一つの間違えた解釈は、他のみことばの解釈にも影響を及ぼすことになります。

 

1テサロニケ4:16~17のみことばは、『空中再臨(携挙)』があることを伝えています!

 

 

②患難時代後期携挙という説をとった場合、次のみことばをどのように説明するのでしょうか?

 

ヨハネ14:2~3ーわたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。

わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

 

*場所を備えにいく…キリストの昇天の目的の一つ。

せっかく場所を備え、迎えに来てくださるのに『患難時代後期携挙説』では、天の父の家に行ってもすぐに『地上再臨』がありますから、その場所にいる時間はほとんどありません。

何のためにキリストが迎えに来られるのかという目的もはっきりとしません。

患難時代後期携挙説では、ヨハネ14:2~3を説明することはできません!

 

また、黙示録6~18章の患難時代の出来事に関する預言の中に、『教会』への言及はありません。『聖徒たち』というのは、患難時代になってから信仰を持った人々のことです。

 

③患難時代中期携挙という説は、次の聖句を誤解しています。

 

1コリント15:51~52ー聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。

終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。

 

*ラッパ…ユダヤ人を排除した異邦人によるキリスト教では、金管楽器の『ラッパ』をイメージして、多くの芸術作品を生み出してきましたが、ユダヤ人であるパウロが意としているのは『角笛』です。

 

*終わりのラッパ…この『終わりのラッパ』を黙示録8章の『ラッパの裁き』の第七番目のラッパと関連させて、『患難時代中期携挙』が説かれます。

しかし、パウロが1コリント人への手紙を記したのは、AD55~56年頃です。

一方、ヨハネが『七つのラッパの裁き』を記した黙示録は、AD95年頃書かれたと言われていますから、約40年の開きがあります。

 どのようにして、パウロは40年後に明らかにされる『七つのラッパの裁き』を知り得たのでしょうか?

聖書では、『40は試みの数』ですから、惑わされないように注意が必要です。

 

患難時代中期に起こる『第七のラッパの裁き』は、ヨハネに与えられた啓示であって、パウロはそのことを知ってはいませんでした。

パウロが言う『終わりのラッパ』とは、『ラッパの祭り』で吹かれる100回目のラッパの音のことですから、第七のラッパの裁きと結びつけることはできません。

 

さらに、第七のラッパの裁きの内容は『七つの鉢の裁き』ですから、ラッパの裁きは第七のラッパでは終わらないことになります。

 

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患難時代中期携挙説も後期携挙説も、教会時代の信者は患難時代を通過することになります。これらを説く人々は、教会時代の信者たちは患難の中にあっても守られると言いますが、地上には『逃れの町』となるべきところはありません。

ボツラやヨルダンの一部は『ユダヤ人のレムナント』のための逃れの町となるのであって、教会時代の信者たちの逃れの町ではないのです。

『試練の時』と言われる患難時代は、『全世界』に及ぶからです。

 

ルカ21:34~36ーあなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。

その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。

しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。

 

*これらすべてのことからのがれ…そのための唯一の方法は『人の子の前立つ』ことです。これは『携挙』を指しており、患難時代の前半の迫害すらも教会時代の信者に及ばせないためには、患難時代が始まる前に『人の子の前に立たせる』必要があります。

 

1テサロニケ1:10ーまた、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人が言い広めているのです。

 

*やがて来る御怒り…七年間の患難時代。御子は携挙によって、この『御怒りから救い出してくださ』います。

 

黙示録2:10ーあなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。

 

*全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう地上は『全世界』患難に陥るので、患難から守るには地上から天に移動する必要があります。

なぜなら、患難時代に入ってから救われる『患難時代の聖徒たち』の多くが殉教すると、聖書は預言しています。ー黙示録6:9~11, 11:7, 12:11, 13:7&15, 14:13, 17:6, 18:24

教会時代の信者たちだけが、これらの迫害から守られるという聖句はどこにもありません。 

 

 

④患難時代前携挙説をとると、どういうことになるのでしょうか?

以下のみことばをすべて説明することが可能になります。

 

ヨハネ14:2~3ーわたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。

わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

 

*わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるため…イエスは昇天後〜地上再臨までの間、天にいます。『携挙』の恵みに与った教会時代の信者たちは、地上が七年間の患難時代の間、天で過ごすことになります。これが『携挙』の目的の一つです。

 

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マタイ24:36~42ーただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。

洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。

そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。

そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。

ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

 

*空中再臨(携挙)は、いつ起こるのか…その前提となる出来事は何もありません。

いつもと変わらない日常を送っているある日、突然、地上から御霊の内住のある真の信者が取り除かれるのです。これは、1テサロニケ4:16~171コリント15:51~52と一致します!一瞬の出来事なので、みことばを知らない地上に残された未信者たちには見えず、何が起きたのかわからず動揺することでしょう。

  

マタイ16:27ー人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行いに応じて報いをします。

 

*その行いに応じて報いをします…『報い』を得るのは、信仰による行いが基準です。つまり、マタイ16:27のみことばは信者に対して言われたのであり、この『報い』を決めるのが『キリストの御座のさばき』と言われる信仰生活における決算報告です。

 

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 しかし、キリストの地上再臨には『しるし』が伴います。

マタイ24:27人の子が来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。

マタイ24:29~30ーだが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

 

*地上再臨のしるしは、

・太陽が暗くなり、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされる。

・天に人の子のしるしが現れる。

 

*人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る…また、地上再臨の時、地上にいる人々は再臨の主を目で見ることになります。

 

*天の果てから果てまで…すでに肉体の死を迎えた旧約時代の信者、教会時代の信者、患難時代の殉教者たちのこと。彼らは、キリストの地上再臨後に復活します。

 

*四方からその選びの民を集め…患難時代を地上で生き残っている信者たち。

 これはまた、『賢い娘たちと愚かな娘たち』『羊と山羊の裁き』とも関係があります。

 

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 それをヨエル書が預言しています。

 

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ここからわかることは、

携挙時は、地上から信者が取り除かれて、天に挙げられ、

地上再臨時には、地上から不信者が取り除かれるということです。

 

また『患難時代』の始まりは、反キリストとイスラエルとの契約締結時であり、それは七年間だということ、その中間には、エルサレムの第三神殿に反キリストの『獣の像』が立てられ、それを拝む者には『666』の刻印が押されることが預言されていますから、いつが『患難時代中期』であり、何年後に『終わる』のかがわかってしまいます。

 

ダニエル書9:27ー彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が*翼に現われる。ついに、定められた絶滅が荒らす者の上にふりかかる。*翼七十人訳:神殿

 

黙示録13:14~18ーまた、あの獣の前で行うことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。

それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。

また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。

ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。

 

これらのことから言えるのは、『患難時代前携挙』しかありえないということです!

 

地上が七年間の患難時代を過ごしている間、携挙された教会時代の信者と携挙前にすでに天に召された教会時代の信者たちがまず最初に復活のからだをいただき、天にて『キリストの御座の裁き』で地上の信仰生活での報いを戴き、またキリストとの結婚式祭司としての任職式レビ記8:33~35ーにあずかります。 

 

しかし、地上再臨後は既述の患難時代を生き延びた異邦人たちの裁きとして『羊と山羊のさばき』を行い、さらに、千年王国後はすべての時代の不信者たちを復活させて『白い大いなる御座のさばき』にて、それぞれの行いに応じて刑の重軽を決められます。

 

黙示録20:12~15ーまた私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。

海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

 

 

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いつまでも「携挙(空中再臨)と地上再臨の厳密な違いはわからない」という立場にとどまっているのではなく、みことばからその違いをはっきりと知ることができるように、聖霊の助けと導きがありますように。ー祈ー

 

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