サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

目からうろこ

聖書を読み始めてビックリしたことの一つに、それまで日本の諺だと思っていたことが、実は聖書からのものだったというのが多いことがあります。

 

例えば、『責任』を『妻』に『転がす』と書いて

【責任転嫁】 創世記3:12ー人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」

*最初に『責任転嫁』したのは、アダムでした。

 

【目には目を】出エジプト記21:24ー目には目。歯には歯。手には手。足には足。

*復讐の規定ではなく、償いの規定。 

 

【七転び八起き】 箴言24:16ー正しい者は七たび倒れても、 また起き上がるからだ。 悪者はつまずいて滅びる。

 

【豚に真珠】マタイ7:6ー聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。

 

【働かざる者食うべからず】 Ⅱ テサロニケ3:10ー私たちは、あなたがたのところにいたときにも、働きたくない者は食べるなと命じました。

*終末が近いからといって、締まりのない生活をするのではなく、なすべきことをきちんとするようにとの勧め。 

 

【目からうろこ】

使徒9:18ーするとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、

 

ユダヤ教の中のバリバリのパリサイ派として、キリストを信じるようになった人々を迫害していたパウロは、『目からうろこ』の経験をしたとたん、自分自身がキリストを宣べ伝える者へと180度変わりました。

使徒9:20ーそしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。

 

それまで、指導者たちによって「イエスが行なったしるしは “メシアのわざ” ではなく、“悪霊のかしらベルゼブルの力によるもの” だ」と教えられていましたが、『イエスは神の御子、メシアである』という真理がパウロを変えたのです。

 

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律法による『行ないによる義』から解放された瞬間です。

ヨハネ8:32ーそして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。

 

私たちは普段から聖書に慣れ親しむクリスチャンですが、読んでいる箇所 “だけ” を理解しているうちは、『点』と『点』の理解であって、その箇所が聖書全体の中でどういう意味を持つのか、どこの箇所とつながっているのかまではわからず、ただその時々の自分の状態に合わせて適用するだけになってしまいます。

 

しかし、聖書のみことばを学び続けることにより、今読んでいる箇所がどこか他の箇所と関連していることに気づくことがあります。そのとき、私たちもパウロのように『目からうろこ』の経験をし、点と点だった聖書が “線” になっていくのです。

さらに、その経験を積み重ねていくと “平面” だった理解が、創世記から黙示録までの全体的な神様のご計画が見えてきて、“立体的な解釈” ができるようになります。

 

 

たとえば、モーセに率いられたイスラエル民族が出エジプトをする出来事は有名でよく知られていますが、それが創世記に登場するアブラハム新約聖書のイエスにつながっていることはご存知でしょうか?

イスラエルの民に与えられた約束の地は『カナンの地』のはずなのに、いつ『エジプト』に行ったのでしょう?

エジプトに行った時も『イスラエル民族』だったのでしょうか?

新約聖書に『出エジプト』のような出来事が思い浮かびますか?

 

ここに詳細までは記すことはできないので簡単に記してみたいと思います。 いくつか関連箇所についてまとめたブログ記事を添付しますので、お時間と興味のある方はそちらも読んでみてくださいね。

 

ヤコブとその家族は、神の約束の地『カナンの地』に住んでいました。

職業は『羊飼い』。

ヤコブ(イスラエル)は、その父イサクがエサウを愛し、母リベカがヤコブを愛するという『親の偏愛』を受けて育ったように、十二人の息子たちの中で最愛の妻ラケルが生んだヨセフを偏愛していました。その結果、兄弟仲は悪くなってしまいました。

創世記37:3~4イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄りの子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を*作ってやっていた。*成長に合わせて新調していた、の意。

彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。

*ここから私たちは、複数の子どもたちの親になったとき、偏愛しないように注意すべきだと学ぶ必要がありますね。

 

弟ヨセフを憎んでいた兄たちによって、エジプトへとヨセフは売られ、

創世記37:26~28ーすると、ユダが兄弟たちに言った。「弟を殺し、その血を隠したとて、何の益になろう。

さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが彼に手をかけてはならない。彼はわれわれの肉親の弟だから。」兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。

そのとき、ミデヤン人の商人が通りかかった。それで彼らはヨセフを穴から引き上げ、ヨセフを銀二十枚でイシュマエル人に売った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。

 

父ヤコブはかつて自分が父イサクを欺いたように息子たちによって欺かれます。

創世記27:18~19ーヤコブは父のところに行き、「お父さん。」と言った。イサクは、「おお、わが子よ。だれだね、おまえは。」と尋ねた。

ヤコブは父に、「私は長男のエサウです。私はあなたが言われたとおりにしました。さあ、起きてすわり、私の獲物を召し上がってください。ご自身で私を祝福してくださるために。」と答えた。

 

創世記37:31~32ー彼らはヨセフの長服を取り、雄やぎをほふって、その血に、その長服を浸した。

そしてそのそでつきの長服を父のところに持って行き、彼らは、「これを私たちが見つけました。どうか、あなたの子の長服であるかどうか、お調べになってください。」と言った。

 

ヤコブは深い悲しみの中に置かれましたが、後に飢饉が起きたときの助けの布石として、このことが用いられていくことになります。

 

創世記37:36ーあのミデヤン人はエジプトで、パロの廷臣、その侍従長ポテファルにヨセフを売った。

 

人間的には、ヤコブたち一家七十人がエジプトに移住した理由は飢饉ですが、

神様のご計画という側面からこの出来事を見た場合、別な理由もあるのです。それは、

①ヤコブの四男ユダが、異邦人(カナン人)と結婚したため。

創世記38:1~3*そのころのことであった。ユダは兄弟たちから離れて下って行き、その名をヒラというアドラム人の近くで天幕を張った。

そこでユダは、あるカナン人で、その名をシュアという人の娘を見そめ、彼女をめとって彼女のところにはいった。 

彼女はみごもり、男の子を産んだ。彼はその子をエルと名づけた。

*そのころ…ヨセフがエジプトに売られたころ。

 

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アブラハムに言われたことを守るため。

創世記15:13~16ーそこで、アブラムに仰せがあった。「あなたはこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。

しかし、彼らの仕えるその国民を、わたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出て来るようになる。

あなた自身は、平安のうちに、あなたの先祖のもとに行き、長寿を全うして葬られよう。

そして、四代目の者たちが、ここに戻って来る。それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。」

 

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イスラエル民族を誕生させるため。 

エジプトでの四百年の間、羊飼いであるヤコブの一家はエジプト人たちから離れた『ゴシェンの地』に住み、『アブラハム契約』を継承するユダヤ人(イスラエル民族)となるための純粋培養の期間として用いられました。

 創世記45:9~10ーそれで、あなたがたは急いで父上のところに上って行き、言ってください。『あなたのヨセフがこう言いました。神は私をエジプト全土の主とされました。ためらわずに私のところに下って来てください。

あなたはゴシェンの地に住み、私の近くにいることになります。あなたも、あなたの子と孫、羊と牛、またあなたのものすべて。

 

ヨセフの知恵によって、飢饉の始まる前の七年間の豊作のときに蓄えた穀物によって、飢饉が世界中に広がっても、エジプトには穀物がありました。その穀物を求めてヨセフの兄たちが二度目に買いに来たとき、ヨセフは自分が弟であることを明かして、神に栄光を帰しています。

創世記45:4~5ーヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売ったヨセフです。

今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。

 

創世記45:8aーだから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。

 

 

わずか七十人ー出エジプト記1:5ー、すでにエジプトにいたヨセフの家族を合わせても七十五人ー1歴代誌7:14~27, 使徒7:14ーだったヤコブの家族ですが、四百年間の純粋培養の期間を経て、十二人の息子たちは『十二部族』となり、エジプトを出るときには、男子だけでも約六十万人にまで増えていました。

出エジプト記12:37イスラエル人はラメセスから、スコテに向かって旅立った。幼子を除いて、徒歩の壮年の男子は約六十万人。

 

神は、この『イスラエル民族』を『わたしの初子』と呼ばれました。

出エジプト記4:22ーそのとき、あなたはパロに言わなければならない。はこう仰せられる。『イスラエルはわたしの子、わたしの初子である。

 

さらに、ホセアが次のように記しています。

ホセア書11:1イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、

わたしの子をエジプトから呼び出した。

 

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さらに驚くことには、福音書の著者マタイは、ホセア書のこのみことばの成就をイスラエル民族の出エジプトの出来事ではなく、幼い神の御子イエスに当てはめて記しているということです。

ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺せ。」という命令を出したヘロデ大王の手を逃れて、エジプトに避難した幼子イエスとその両親が、神のお告げでエジプトから出る場面での引用で。

マタイ2:14~15ーそこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、

ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した」と言われた事が成就するためであった。

 

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つまり、『出エジプト』の出来事はその数は多くても予表、『型』であり、本体は神の実子である御子ーヨハネ3:16ーイエスの出エジプトの出来事にあるということです。

 

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そして、出エジプト前の『十の災い』もまた、患難時代の裁きの『型』となっているのです。ひとつひとつの『災い』の目的は、『エジプトはわたしが主であることを知るようになる』ことにありました。ー出エジプト記7:5, 8:10 & 22, 9:14, 16 & 29, 10:2

 

聖書66巻が完成した現在は、これら記されていることを読み、聖書の神(イスラエルの神)だけが、『』であり、『のような神は、ほかにはいない』こと、『は、地の真ん中におられ』、『このような神は、地のどこにもいない』ことを知るように導かれています。

 

サウロが堅く信じていた『律法と預言者/タナハ』の神は、御子として肉体を持って世に来られたイエスだったということに気づいたとき、メシアを信じる『パウロ』となったのです。それは、サウロ時代の律法による熱心さによったのではなく、御父が引き寄せ、御子イエスがパウロに現れてくださったからです。

ヨハネ6:44ーわたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。

 

使徒26:15ー私が『主よ。あなたはどなたですか』と言いますと、主がこう言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

 

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ローマ9:18ーこういうわけで、神は人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。

 

その代表的な例が、エジプトのパロでしょう。

出エジプト記4:21モーセに仰せられた。「エジプトに帰って行ったら、わたしがあなたの手にさずけた不思議をことごとく心に留め、それをパロの前で行なえ。しかし、わたしは彼の心をかたくなにする。彼は民を去らせないであろう。

 

人々に、ご自身が真の神であることを知らせるために、また神ご自身の目的のためにパロの心はかたくなにされました。出エジプトの出来事は、『過越の祭り』として受け継がれ、イエス・キリストの十字架で成就する『型』となりました。

 

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神は、すべての人が御子イエスを信じて救われることを願っておられますから、そのためのとりなしの祈りは必ず聞かれるはずです。なかなか叶わないこともありますが、そこには必ず神様のご計画があることを信じて『その時』が来るのを信じて祈り続けましょう。

忍耐して待っている間に、祈り方が変わってくるかもしれません。

もしかしたら、神は私たちがみことばを学び、神の約束に基づいた祈りができるように、霊的に成長するのを待っておられるのかもしれません。

 

エペソ6:18すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、そべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

 

みことばの学びを通して『目からうろこ』の経験を重ね、霊的に成長し、聖書全体を立体的に理解できるようになりますように。

 

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