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サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

異邦人への啓示と不信者の裁き 〜ローマ2:6~15〜

ローマ人への手紙

昨年の暮れ、友人のご主人が亡くなりました。

友人はご主人の死後、こんな話をしてくれました。

「長いこと入院していると、いろんな患者さんやそのご家族と話をする機会が与えられるのよ。でもね、みんな、どのように病気だと気づいたか、入院してどのくらい経ったとか、どのような治療をし、どのくらい辛かったかとか、過去の後ろ向きの会話ばかり…。『退院したら食事に行こう』という未来の話になったのは、あなただけ。誰もが死と隣り合わせの病棟で、誰もが死んだらどうなるんだろう?って思ってる。一番聞きたいこと、知りたいことなのに、誰もが意図的にそのことを避けて会話してるのよ。」

 

友人の御主人は、白血病の再発で入院中でした。

お会いする時はいつも笑顔でしたが、退院を目前にした検査で再々発の告知を受けた時には、さすがに引きつった笑顔になっていました。

「退院するのを楽しみにしていたのに…今朝の検査で『再々発』だなんて突然言われても…!まるで一気に天国から地獄へ突き落とされた気分だよ。」

 

(この状況で、いったい私に何が言える!?)

(主よ。どんな言葉をかけたら、慰めになりますか?)

 

心の中での一瞬の短い祈りの後、私の口から出たのは、

「本当の地獄は、こんなもんじゃない!! あなたにはまだ『治療』という希望がある!奥さんの顔も見れるし、会話もできる。本当の地獄に送られてしまったら、苦しくて苦しくて、許しを叫び求めても許しはなく、慰めを求めても慰めもない。暑いのに、暗くて誰の顔も見えない状態なんだよ。」

 

救われて欲しいたましいに対する叫びでした。

堰を切ったように、自分でも驚くほど言葉が続いたのです。

「人の “たましい” が、からだの中に同居している間は、肉体が生きている状態。その “たましい” がからだと分離した時が、肉体の死。からだから分離したたましいはみな、創造主なる神様のもとに帰るけど、今は神様がくださる “霊” がその中に詰まっていないと、天国から弾かれちゃう💦その “霊” を得るには、からだが生きている間に、イエス様が、神を無視して自分勝手に生きてきた罪の身代わりに十字架で死んでくださったこと、葬られたこと、そして三日目によみがえられたことを信じる必要があるんだよ。自らの意思でそれを受け入れないといけないんだよ。そしたら、そのたましいに二度と死ぬことのない新しいからだを着せてくださり、永遠に生きられるようになるんだから!!」

 

 

大きく頷きながら聞いていたご主人の目から大粒の涙が溢れていました。

強い男を装わなくていい、ひとりの素の人間でいい…そんな空気が流れました。

 

肉体の死が目前に迫った人にとって、「がんばれ!」という表面的な励ましの言葉ではなく、神の真理を聞くことが、本当の慰めなのだと思いました。

 

元気な人にとっては、死後の世界などというのは縁起でもないかもしれません。

聞きたくない。避けて通りたいと思うかもしれません。

 

でも、人は遅かれ早かれ、みな同じ問題にぶち当たるのです。

神を知っている誰かから先に聞いていれば、いざという時思い出してくれるかもしれません。最終的にはからだが生きているうちに、キリストの福音を信じさえすれば救われるのだから…。

 

ローマ4:5ー何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。

 

ローマ10:9~10ーなぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

 

最期は立ち合っていないので私にはわかりませんが、友人の話では、とても穏やかに…天に行くことを確信して息を引き取ったとのことでした。

ご主人を失う前に福音を聞けたことにより、神様は残された友人の心にも平安と希望を与えてくださいました。

 

 

ある人は「キリストを信じないと地獄だなどと言う神は、愛の神ではない。そんな神はこっちから願い下げだ。」と悪態を吐くかもしれないけれど、アダムが罪を犯して以降、生まれながらの人はみな、真の神に従うのではなく、自分が神のように生きることを喜びとしていて、そのままでは、天の御国には入れてもらえない存在なのです。

 

osusowake.hatenablog.com

 

 

1コリント2:14ー生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことはみたまによってわきまえるものだからです。

 

そこから救い出してくださったのがイエス・キリストだと信じる信仰によって救われるのです。

 

創造主なる神は、最初の人アダムを造られた時は、ちゃんと『霊』を入れて造ってくださいました。

創世記2:7ー神であるは土地のちりで人を形造り、その鼻に*いのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。*いのちの息…神の御霊

 

ですから、たましいが天に帰る前に、神が造られた時と同じ状態になっている必要があります。そのために必要なのが、キリストの福音を信じる信仰であり、この福音を信じた者には『神の御霊』が与えられ、それを失うことはないと主イエスは約束されています。

 

ヨハネ14:16~17aーわたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。

その方は、真理の御霊です。 

 

 

 

では、万が一、この『神の御霊』を得ずに肉体の死を迎えた者はどうなるのでしょうか?

パウロはそのことについて以下のように記しています。

ローマ2:6ー神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。

神様には、異なる基準はありません。

ひとりひとりがどのような生き方をしたのかによって、報いをお与えになります。

  

osusowake.hatenablog.com

 

ローマ2:7ー忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、

キリストを信じる者は、罪に定められて地獄に送られることはありません。

どれだけみことばに従順に生きたかによって、御国(千年王国)での報酬と地位が決まります。

 

ローマ2:8ー党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。

不信者の場合は、どれだけ神の招きを無視し、自分中心に生きたのかによってその報い(刑の重軽)が決まります。 

 

ローマ2:9ー患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行うすべての者の上に下り、

*ユダヤ人…神の選びの民

ギリシャ…異邦人 

 

*悪を行うローマ14:23ーしかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。 

 

ローマ2:10ー栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行うすべての者の上にあります。

*善を行う…この『善』は神から来るものです。神の基準である聖書のみことば(キリストの戒め)に従うとき、『善』となる行いになるのです。

 

エペソ2:10ー私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。

 

人はだれも自分から『善』を行う者はいません。

ローマ3:12ーすべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。

 

ローマ7:18ー私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。

 

ローマ2:11ー神にはえこひいきなどはないからです。

信者も不信者も、ひとりひとりその『行い』によって報いが与えられるということにおいて、『神にはえこひいき』はありません。 

 

ローマ2:12ー律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はすべて、律法によってさばかれます。

*律法…613あるモーセの律法は、異邦人にではなく、ユダヤ人に与えられたものです。その専門家が『律法学者』たちです。

詩篇147:19~20ー 主はヤコブには、みことばを、

イスラエルには、おきてとさばきを告げられる。

主は、どんな国々にも、

このようには、なさらなかった。

さばきについて彼らはしっていない。

ハレルヤ。

 

*律法なしに罪を犯した者…異邦人。律法を知らないで罪を犯した異邦人は、『知らなかった』という条件のもとに裁かれます。

 

*律法の下にあって罪を犯した者…ユダヤ人。モーセの律法を知った上で罪を犯したので、モーセの律法を基準に裁かれることになります。

 

ローマ2:13ーそれは、律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、律法を行う者が正しいと認められるからです。

*律法を聞く者が神の前に正しいのではなく…cf ヤコブ1:22ーまた、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。

 

ヤコブ2:26ーたましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。

 

osusowake.hatenablog.com

 

 

ローマ2:14――律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行いをする場合は、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。

*律法の命じる行い…異邦人にも神様から『良心』が与えられているので、その良心が『律法の役割』をする、ということ。 

  

ローマ2:15ー彼らはこのようにして、律法の命じる行いが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。―

 

神の選びの民であるユダヤ人には、『キリストへの養育係ーガラテヤ3:24ーである律法という『特別啓示』が与えられており、

私たち異邦人には自然界という『一般啓示』が与えられています。

 

ですから、異邦人であっても『神はいる』ということを信じないことを弁解することはできません。地上の人々はどのような未開の地に住んでいようとも、この一般啓示が与えられているので、『神に代わるもの』を持っています。

ローマ1:20~23ー神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。

それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。

彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、

不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。

 

もし、異邦人が自然界を見て、『真の神に代わるもの』ではなく、真の神ご自身を求めるのなら、全知全能の神は必ず救いへと導いてくださいます。

 

真の神に対して心を開くことなく、最後まで神を拒み続けた人々に対する裁きは、千年王国後の『白い大いなる御座のさばき』で行なわれます。

黙示録20:12~15ーまた私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。

海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

*別の一つの書物…記憶の書。cf マラキ3:16

不信者のままで肉体の死を迎えた人のたましいは、この裁きの時まで『ハデス』という死後の世界の場所にとどめられます。強いて言うならば、『地獄行きの待合室』のような場所であり、『苦しみの場所』であることが、ルカの福音書からわかります。

 

osusowake.hatenablog.com

 肉体が生きているうちにキリストを信じなければ、ユダヤ人も異邦人もそのたましいはみな『ハデス』に行くことになります。そこから出され、永遠に生きるからだに復活させられると『白い大いなる御座の裁き』で神の御前に立ち、その人生における弁明をしなくてはなりません。

 

しかしすべてを記してある、神の『記憶の書』を前に、弁護人も持たずに自らの『義』を証明することはできないのです。『いのちの書』にその名が記されていないからです。

 

ペテロも滅びゆく罪人たちのことを次のように記しています。

1ペテロ4:18ー義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。

 

彼らが行く所は悲惨な場所であることは間違いありません。

イザヤ66:24ー「彼らは出て行って、

わたしにそむいた者たちのしかばねを見る。

そのうじは死なず、その火も消えず、

それはすべての人に忌みきらわれる。」

 

マルコ9:48ーそこでは、彼らを食ううじは、つきることがなく、火は消えることがありません。 

 

これらのみことばを『比喩的に解釈』してしまえば、伝道に対する使命もそれだけ薄れてしまうでしょう。

聖書のみことばをそのとおりに受け止めて初めて、伝道の重要性を理解できるのです。

 

このまとめを読まれた方が、みことばを素直に受け入れて、滅びに向かっている人々に福音を伝える者となりますように。

 

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