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サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

イエスによる終末預言 ⑸ 〜マタイ24:36~44〜

マタイの福音書

イエスはマタイ24章でこれまでに、患難時代に何が起こるのか、そして弟子たちの二番目の患難時代の終わり起こるキリストの地上再臨の時にどのような『しるし』があるのかを話されました。

 

26~44節では、患難時代前の『携挙』のときのことを話されています。

 

 

マタイ24:36ーただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

*子も知りません…イエスは『神』ご自身なのに、なぜ知らないのか不思議に思ったことはありませんか?

『子』だからこそ、知らなかったのです。

イエスの昇天の一つの目的は、天に花嫁である教会時代の真の信者のための場所を整えるためです。

 

ヨハネ14:2~3ーわたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために場所を備えに行くのです。

わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

 

イエスが花婿としてこの場所を備えた時、花嫁を逆えに行くには、御父による場所のチェックが必要となります。ですから、花婿なる神の御子として、いつ御父が許可を出すかわからないため『天の御使いも子も知りません』ということなのです。

 

また、患難期前に天に上げる理由は、全世界に来ようとしている試練の時から、花嫁である信者を守るためです。

黙示録3:10ーあなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。

*全世界に…試練の時である『七年間の患難時代』は全地に及ぶので、異邦人信者に逃れの町となる地はどこにもありません。

神の選びの民であるイスラエルのレムナントのみ、ヨルダンのボツラ(ペトラ)が患難時代後半の3年半の『逃れの町』となります。

 

*試練の時には…誤訳:原文では『試練の時から』

 

ヨハネ14:2~3は『患難期後携挙説』を支持する人には、説明のつかない聖句です。

なぜなら、携挙されてもすぐに主と共に地上に降りて来て、千年王国に住まうわけですから、天に行き、主が備えられた場所に『住む』理由がないからです。

 

さらに深く理解するには、イスラエルの結婚の慣習を知る必要があります。 ぜひ、以下の添付記事をお読みください。

 

osusowake.hatenablog.com

 

 

マタイ24:37ー人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。

*人の子が来る…空中再臨『携挙』のこと。

それを『ノアの洪水』が起きた日のたとえを用いて説明を始めます。

 

マタイ24:38ー洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。

洪水前の日々は、まだ雨は一滴も降ったことのない世界でした。

創世記2:5ー地には、まだ一本の潅木もなく、まだ一本の野の草も芽を出していなかった。それは、神であるが地上に雨を降らせず、土地を耕す人もいなかったからである。 

 

創世記2:10一つの川が、この園を潤すため、エデンから出ており、そこから分かれて、四つの源となっていた。

 

そして、人々は『いつものように』生活していたのです。

 

マタイ24:39ーそして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。

*彼らにはわからなかった…洪水に備えてノアは箱舟を造っていましたから、それを見ていた人々もいたはずです。それでも神のことばに関心の無い人々は、ノアの備えを「変な奴…」という目で見ていたのでしょう。なにしろ、彼らの『常識』では、雨は降らないものでしたから、明日も今日と同じく雨は降らない日という認識だったのでしょう。

 

同じように、今日でも神のことばである聖書の内容には無関心で、キリストのお迎えがあることを知らない人々が大勢います。そういう人々は、明日も明後日も今日と同じ平和な一日が来ると本気で思っているのです。

 

しかし、私たちはノアが洪水に備えていたように、常に携挙に備えて霊的に覚醒した信仰生活を送っていたいですね。

 

osusowake.hatenablog.com

  

マタイ24:40ーそのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。

目に見えるキリストの再臨の『しるし』とは異なり、『携挙』の時は何の前触れもなく、目に見えるしるしも無く、ある日突然、キリストの福音の三要素を信じる御霊の内住のある真の信者が天に挙げられるのです。

 

そのたとえとして、畑仕事をしているふたりのうち、一人は信者、一人は未信者だと、信者だけが消えるようにその場からいなくなり、未信者だけが畑に残されると語られています。 

 

マタイ24:41ーふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。

また、信者と未信者が協力して臼をひいていると、そこでも信者だけが挙げられ、未信者が残されるのです。 

 

マタイ24:42ーだから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

 

*目をさましていなさい…肉体的にではなく、霊的に。そのためには 、ただ祈り、聖書を読むだけでなく、『みことばの意味を知る』ように学ぶことが必要です。

 

 

マタイ24:43ーしかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。

『目をさましている』ことのたとえ。

同じように、私たちは聖書がキリストの花嫁を迎えに、ある日突然主が来られるということを伝えているのですから、御霊が宿る『信仰の家の管理人』としてしっかりと備えをすべきです。 

 

1コリント6:19あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まわれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。

 

マタイ24:44ーだから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。

*人の子は、思いがけない時に来る…とイエスご自身が言われました。

 

その『来ること』をパウロもまたテサロニケに人々に伝えています。

1テサロニケ4:16~17ー主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

 

1テサロニケ4:18ーこういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。

*このことば…16~17節の携挙(空中再臨)のこと。

「携挙ばかり言う人とは距離を置く」というクリスチャンがいますが、聖書は携挙(空中再臨)をもって互いに慰め合うように命じています。

 

『携挙』はクリスチャンにとっては慰めであり、千年王国は将来の希望なのです。

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