サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

招きを断る理由 〜ルカ14:15~24〜

誰かから何かの誘いを受けた時、予定は空いていても気がのらないことってありますよね⁉︎ 親しい友人や好きな人からの誘いであっても、その内容によっては(やはり行きたくないな…)と思うこともあるでしょう。

そういう時、どのように断りますか? 相手を傷つけないように、最もらしい理由を探したりしませんか?

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イエス様は譬え話を用いて、神の御国の招待を受けた人々(*救いの優先順位はまず初臨時のユダヤ人たちにありました)が、どのようにそれを断ったのか、そしてその結果、誰が招待されることになるのか(*後の者が先になるということ)を教えています。

 

 

1節を見ると、この出来事は『ある安息日』でのことであり、『パリサイ派のある指導者の家』での教えであることがわかります。この指導者は、水腫をわずらっている人を招き、イエスの真正面に座らせて、イエスが安息日にその人を癒すかどうかを試し、イエスを捕らえるための罠をしかけていました。

 

イエスは水腫をわずらっている人を癒されただけでなく、その場にいたパリサイ人や招待客たちの心を見抜いて、神の国の真理について教えられました。

 

 

ルカ14:15ーイエスといっしょに食卓に着いていた客のひとりはこれを聞いて、イエスに、「神の国で食事する人は、何と幸いなことでしょう」と言った。

 

神の国で食事する人は、何と幸いなことでしょう…この場にいた人々はみな、全員神の国に入ることができると考えていました。つまり、『自分は何と幸いなのか!』と言っているのです。

 

現代でもあるクリスチャンを名乗るある人々は『万民救済論』を説き、人間として生まれた者はみな、天の御国に行かれる。そのことに気づいているのがクリスチャンであると思い込んでいます。

しかし、16節以降のイエス様の教えは『そうではない』ことを教えています。

 

 

ルカ14:16ーするとイエスはこう言われた。

「ある人が盛大な宴会を催し、大ぜいの人を招いた。

 

*盛大な宴会…この譬え話はまだイエス様の十字架前のことですから、時代としては『旧約時代』であり、律法が有効な時代でした。

旧約聖書のクライマックスは、この地上に興る『キリストの御国=千年王国』です。

その千年王国を『宴会』に譬えているのです。それはまた、花婿なるキリストと花嫁なる『ユダヤ人信者と異邦人信者の群れ』との結婚披露宴でもあります。

 

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その披露宴(千年王国)に、初臨時のユダヤ人たちが『招かれている』のであり、神の選びの民ユダヤ人なら誰でも無条件に入れるということではありません。

旧約時代のユダヤ人の義人たちは、『花婿の友人』として千年王国に招かれる人々です。

ヨハネ3:29ー花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです。バプテスマのヨハネのことば)

 

 

ルカ14:17ー宴会の時刻になったのでしもべをやり、招いておいた人々に、『さあ、おいでください。もうすっかり、用意ができましたから』と言わせた。

 

*しもべ…「時が満ち、神の国は近づいた。」と言われたイエス様のために、当時のユダヤ人たちに道を備えたのは、バプテスマのヨハネでした。

マタイ3:1~2ーそのころ、バプテスマのヨハネが現われ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。

「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

  

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*招いておいた人々パリサイ派の指導者たち、当時の霊的指導者たちのこと。

まず、イスラエルの霊的指導者たちがイエスのメシア性を受け入れ、民を指導すべきでした。

それと、同じように現代の教会の指導者たちも、旧約聖書をしっかりと土台に据え、みことばによって信者である羊の群れを牧することを託された人々です。

ともに、真理へと導く重要な責任を任された人々です。

 

 

ルカ14:18ーところが、みな同じように断り始めた。最初の人はこう言った。『畑を買ったので、どうしても見に出かけなければなりません。すみませんが、お断りさせていただきます。』

 

*畑を買ったので、どうしても見に出かけなければなりません…この世的にも苦し紛れの言い訳に聞こえます。見に行くのは『宴会の時刻』でなくてもいいはずです。 

 

 

ルカ14:19ーもうひとりはこう言った。『五くびきの牛を買ったので、それをためしに行くところです。すみませんが、お断りさせていただきます。』

*五くびきの牛をためしに行く…五くびきの牛を買うほどの金持ちならば、しもべにためしに行くように命じることもできたはずですし、『この日』でなくともいいはずです。 

 

ルカ14:20ーまた、別の人はこう言った。『結婚したので、行くことができません。』

 

*結婚したので…新婚であっても宴会に招かれて行くことを、律法は禁止してはいません。律法が禁じているのは、徴兵のほうです。

申命記24:5ー人が新妻をめとったときは、その者をいくさに出してはならない。これに何の義務をも負わせてはならない。彼は一年の間、自分の家のために自由の身になって、めとった妻を喜ばせなければならない。

 

これらの言い訳は、この世的にはもっともらしく聞こえるかもしれませんが、どれも気持ちがあれば宴会に出席可能な理由ばかりです。

あれこれととってつけた理由は本当の理由ではなく、彼らの本心は『イエスを(花婿なる)メシアだと認めたくない』『自分の自由にしていたい』というものでした。

 

 

ルカ14:21ーしもべは帰って、このことを主人に報告した。すると、おこった主人は、そのしもべに言った。『急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい者や、からだの不自由な者や、盲人や、足のなえた者たちをここに連れて来なさい。』

 

神の招きの最優先だったユダヤ人の指導者たちが来ようとしないので、主人である神は怒って言いました。

 

*貧しい者、からだの不自由な者、盲人、足のなえた者たちユダヤ人の一般庶民。

彼らは神の憐れみによって生かされていると知っていた人々かもしれません。また、指導者たちの教えとは違うイエスの教えに耳を傾けた人々でもあったのでしょう。

 

 

ルカ14:22ーしもべは言った。『ご主人さま。仰せのとおりにいたしました。でも、まだ席があります。』

 

*まだ席があります…初臨時のイエスを律法が指し示すメシアだと信じるユダヤ人たちも確かに起こされましたが、キリストの御国(千年王国)を到来させるためには、神の選びの民としてユダヤ人全員の民族的回心が必要でした。

 

 

ルカ14:23ー主人は言った。『街道や垣根のところに出かけて行って、この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れて来なさい。

 

*街道や垣根のところ…異邦人のところ、の意。 

*この家…キリストの婚宴会場となる『神の御国』『千年王国』。

*無理にでも…説得して、の意。

 

ここで初めて、異邦人にも招待状が届くことになります。

パウロはこう述べています。

ローマ11:11ーでは、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対そんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。

 

イスラエルにねたみを起こさせるため…これが、異邦人に先に救いが及んだ目的。

 

 

ルカ14:24ー言っておくが、あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は、ひとりもいないのです。』」

 

*あの招待されていた人たち…イエスのメシア性を『ベルゼブル論争』によって否定した当時の指導者たち。

 

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 さて、私たちはどうでしょうか?

神様からの招きを受けながら、いろいろと言い訳を考えては拒み続けてはいないでしょうか?

折角、招待されておきながら、主人が用意した礼服ではなく、自前の礼服で行こうとしていませんか?

 

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 招待を受け入れるのなら、招待してくれた主人に無礼にならないように気をつけたいものですね。

そして、その時にお祝いの贈り物となるのが、今のこの世でどのような信仰生活を送ったか、どのような御霊の実を結んだのか…です。

主人に喜んでいただけるような信仰の歩みができますように。