創世記〜黙示録まで聖書66巻を貫いている神の契約は『アブラハム契約』であり、その条項は『子孫・土地・祝福』の三つです。
このことを土台に神のご計画と契約は展開していきます。
創世記12:1~3ーその後、主はアブラムに仰せられた。
「あなたは、
あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。
あなたの名は祝福となる。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
あなたをのろう者をわたしはのろう。
地上のすべての民族、
あなたによって祝福される。」
『ヤコブの一族』から『イスラエル民族』へ
400年もの間エジプトで奴隷生活をしていたヤコブの一族は、出エジプトをする頃には壮年男子だけでも約60万人、女、子どもたちを合わせれば約200万人ほどの『イスラエル民族』になっていました。
出エジプト記12:37ーイスラエル人はラメセスから、スコテに向かって旅立った。幼子を除いて、徒歩の壮年の男子は約六十万人。
出エジプトの目的
①『イスラエル民族』にまで増えたアブラハムーイサクーヤコブの子孫たちを、アブラハム契約の『約束の地へ導くため』。
②『アブラハム契約』を結ばれた神『真の神を礼拝する民を作るため』。
出エジプト記3:18ー彼らはあなたの声に聞き従おう。あなたはイスラエルの長老たちといっしょにエジプトの王のところに行き、彼に『ヘブル人の神、主が私たちとお会いになりました。どうか今、私たちに荒野へ三日の道のりの旅をさせ、私たちの神、主にいけにえをささげさせてください。』と言え。
出エジプト記5:1ーその後、モーセとアロンはパロのところに行き、そして言った。
「イスラエルの神、主がこう仰せられます。『わたしの民を行かせ、荒野でわたしのために祭りをさせよ。』」
*【主】…創世記に165回出てくる『契約を守る神の御名』。
出エジプト記では398回。
『アブラハム契約』の土地の条項(後の『土地の契約』)に基づいて、イスラエルの民を奴隷生活をしていたエジプトから解放し、約束の地に導かれる神。
*祭りをさせよ…『巡礼祭を祝う』の意。
モーセの律法によって約束の地に入った神の民に定めらた『七つの祭り』があります。
①過越の祭り
②種なしパンの祭り
③初穂の祭り
④七週の祭り
⑤ラッパの祭り
⑥贖罪の日
⑦仮庵の祭り
その中で『神の民』が主の御前に出なければならない祭り(巡礼祭)が三つ定められました。
申命記16:16ーあなたがたのうちの男子はみな、のときに、あなたの神、主の選ぶ場所で、御前に出なければならない。主の前には、何も持たずに出てはならない。
*太字の①, ④, ⑦の祭りが、礼拝として定められています。
*種を入れないパンの祭り…『過越の祭り』とそれに続く『種なしパンの祭り』の計八日間を指す。 cf マタイ26:5
*七週の祭り…私たちにはあまり馴染みのない祭り名ですが、『キリストの復活祭/イースター』として知られています。
*仮庵の祭り…秋の収穫祭であると同時に、神の御子が人の子として誕生された時期であり、『千年王国の型』となっています。
イスラエルの男子は『種を入れないパンの祭り』『七週の祭り』『仮庵の祭り』の三回、礼拝しなければなりませんでした。
その礼拝の場所は、『主の選ぶ場所』であり『主の御前』でした。
主が選ばれたのは『シオンの山』でした。
Ⅱサムエル記5:7ーしかし、ダビデはシオンの要害を攻め取った。これが、ダビデの町である。
詩篇2:6ー「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」
詩篇76:2ー神の仮庵はシャレムにあり、その住まいはシオンにある。
*シャレム…エルサレムのこと
*シオンの山…そこに『神の神殿』がありました。その『至聖所』には『契約の箱』があり、その『贖罪蓋』の上に神のご臨在『神の栄光/シャカイナグローリー』がありました。
ですから、旧約の律法の時代、イスラエルの男子は年に三度エルサレムに巡礼祭に来ていたのです。とはいえ、当時は徒歩の旅でしたから、遠方住まいの人々はこの三つの祭りの中でどこかで一回だけエルサレムに上ってくればよかったのです。
イエス様の初臨時はまだモーセの律法が有効の時代であり、律法のすべてに従われたイエス様も公生涯3年目は過越の祭りではなく、仮庵の祭りの時にエルサレムに行かれました。この年の過越の祭りの頃は、ガリラヤ地方で五千人の給食をされていました。
ガリラヤは『遠方』であるため、過越の祭りの時にエルサレムに上らなくても律法違反にはなりませんでした。
ヨハネ4:21ーイエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でも、エルサレムでもない、そういう時が来ます。」
*この山…サマリヤ地方の『ゲリジム山』。北イスラエルの人々は、神を礼拝する場所をエルサレムから『ゲリジム山』に移し礼拝していました。Ⅱ列王記17:28~41
旧約時代のサマリヤ地方の人々は『ゲリジム山』で、ユダの人々は『エルサレム』で礼拝していました。
なぜここでイエス様はサマリヤの女性に「この山でも、エルサレムでもない」と言われたのでしょう?
十字架以降の新約時代、特に『七週の祭り』で聖霊が信者に内住するようになってからは、私たちは内住の御霊と天のまことの聖所におられる大祭司キリストにより、いつでもどこでも直接神の御前で礼拝することができるようになったことを預言しての教えです。
なんという恵みでしょう!!
この恵みに感謝しつつ、日々御前に出る者でありますように。