イエスの『ぶどう園』の譬え話 はまだ十字架前ですから、旧約時代のユダヤ人に向けて話されているものだということを理解 する必要があります。
なんでもかんでも 教会時代の信者に当てはめればいいというものではありません。
ルカ20:9-また、イエスは、民衆にこのようなたとえを話された。
「ある人がぶどう園を造り、それを農夫たちに貸して、長い旅に出た。
*ある人…奴隷として生活していたエジブトからイスラエルの民を救い出した契約の神【主】。
*民衆…この譬えを聞いている人々は、おきて(律法)とさばき(預言書)を与えられたイスラエルの民です。
詩篇147:19~20ー主はヤコブには、みことばを、
イスラエルには、おきてとさばきを告げられる。
主は、どんな国々にも、
このようには、なさらなかった。
さばきについて彼らは知っていない。
ハレルヤ。
*ぶどう園…比喩的に用いられるときは、『旧約時代のユダヤ人/イスラエル』をあらわします。
ここの文脈では、特に神殿があった『エルサレム』のことを意味しています。
(いちじくの木の譬え…教会時代のユダヤ人、オリーブの木の譬え…患難時代のユダヤ人)
*農夫たち…律法学者やパリサイ人など、民の指導者たち。
ルカ20:10-そして季節になったので、ぶどう園の収穫の分けまえをもらうために、農夫たちのところへひとりのしもべを遣わした。ところが、農夫たちは、そのしもべを袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。
*季節になったので…時が満ち、の意。
*しもべ…旧約時代の預言者
イスラエルの民の指導者たちは、預言者たちを迫害しました。
ルカ20:11-そこで、別のしもべを遣わしたが、彼らは、そのしもべも袋だたきにし、はずかしめたうえで、何も持たせないで送り帰した。
マルコ12:5ーまた別のしもべを遣わしたところが、彼らは、これも殺してしまった。続いて、多くのしもべをやったけれども、彼らは袋だたきにしたり、殺したりした。
ヘブル11:32-これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すならば、時が足りないでしょう。
ヘブル11:36~38-また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、
また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、
――この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした――荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。
ルカ20:12-彼はさらに三人目のしもべをやったが、彼らは、このしもべにも傷を負わせて追い出した。
*三人目のしもべ…旧約時代最後の預言者は、バプテスマのヨハネです。
イエスの初臨時のユダヤの国主は、バプテスマのヨハネの首をはねて殺してしまいました。
マタイ14:10~11-彼は人をやって、牢の中でヨハネの首をはねさせた。
そして、その首は盆に載せて運ばれ、少女に与えられたので、少女はそれを母親のところに持って行った。
「血生臭いことは、あまり語りたくない。」と言われる方がおられますが、私たちは聖書に書かれていることは、書かれているとおりに伝える責任があります。
血生臭いこと、神の裁きについて、地獄については語らずに、愛や慰め、励ましなど耳に優しいことだけ、相手が聞きたいことだけを語るのは、(一般信者含む)伝道者や指導者のとるべき態度ではありません。
パウロは『真理のみことばをまっすぐに説き明かすように』と命じています。
Ⅱテモテ2:15ーあなたは熟連した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、 恥じることのない恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。
ルカ20:13ーぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』
*愛する息子…神の御子イエス・キリスト
ルカ20:14ーところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』
*あれを殺そう…イエスの初臨時の指導者たちは、イエスのメシア性を否定し、神に対する冒涜罪で十字架にかけて殺しました。
マタイ26:65ーすると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「神への冒瀆だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。
マタイ27:22ーピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」
ルカ20:15ーそして、彼をぶどう園の外に追い出して、殺してしまった。
こうなると、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。
主がユダヤ教の神殿のあるエルサレムの宿営の外で十字架につかれたことを受けて、ヘブル書の著者は次のように記しています。
ヘブル13:13ーですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。
キリストが十字架で終わらせた旧い契約、律法に従うのではなく、キリストの教えに従って、キリストが示された『道』を通って神に近づくことの勧めです。
同じように、私たちも人の教えではなく、キリストの教えに従って信仰の歩みをすべきですね。
ルカ20:16ー彼は戻って来て、この農夫どもを打ち滅ぼし、ぶどう園をほかの人たちに与えてしまいます。」これを聞いた民衆は、「そんなことがあってはなりません」と言った。
*彼は戻って…戻って来るのは『ぶどう園の主人』ですが、御父と御子はひとつなので、キリストの地上再臨の意味です。
ヨハネ10:30ー父とわたしはひとつです。
地上再臨の前の『携挙』は、主を待ち望んでいる人々(キリストの花嫁となる教会時代の信者)の救いのために、空中まで来られます。地上に着地はなさいません。
七年間の患難時代の終わりに起こるキリストの『地上再臨 』は、救い主ではなく『裁き主』として戻って来られます。
ヘブル9:28ーキリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。
*ほかの人たち…千年王国という『約束の地』は、イエス・キリストを信じる異邦人にも『アブラハム契約の祝福』として与えられます。
ルカ20:17ーイエスは、彼らを見つめて言われた。「では、
『家を建てる者たちの見捨てた石、
それが礎の石となった。』
と書いてあるのは、何のことでしょう。
*家を建てる者たち…旧約聖書という土台を与えられたイスラエルの民が、まず『信仰の家』を建てる人々でした。
*礎の石…ペテロの信仰告白の内容のこと。
そこにキリストは『教会を建てる』と言われました。
マタイ16:16~18ーシモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。
ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
ルカ20:18ーこの石の上に落ちれば、だれでも粉々に砕け、またこの石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛び散らしてしまうのです。」
これは『神の裁き』の預言です。
キリストを信じるのか、拒むのか…?
キリストの何を信じるのか…パウロが最も大切なこととして伝えた『キリストの福音の三要素』なの か、それとも『ほかの福音』 なのか?
私たちはもう一度みことばに立ち返って、信仰の土台を吟味する必要があると思います。
イエス・キリストという礎石で踏み砕かれることのない信仰でありますように。