サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

二重預言はあるのか? 〜ルカ21:20~23, マタイ24:14~21〜

『聖書には、二重預言で書かれている箇所がある』と聞いたことはありませんか?

有名なところでは、ルカ21:20~23エルサレム崩壊』の預言が、AD70年という近未来とこれから起こる遠未来の二度に渡って成就する『二重預言』だと言われている箇所です。

 

申命記18:15ーあなたの神、は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。

 

と、イスラエルの民に告げたのは『モーセ』でした。そして、モーセは律法の書の中で『神が、モーセのような預言者を起こされたなら、その預言者に聞き従わなければならない』と命じています。

 

その預言どおり、神の御子イエスモーセのような預言者』として来られたのが、初臨のキリストです。

ですから、イエスは公生涯においていくつかの預言をされており、この箇所はその中の一つです。

 

 

ルカ21:20しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。

 

主イエスのこの答えは、『ヘロデの神殿』と言われる宮の立派さを見た弟子たちに対し、その崩壊を預言されたときの弟子たちからの質問に対する答えでした。マタイ24:1~3参照

 

ルカ21:5~7ー宮がすばらしい石や奉納物で飾ってあると話していた人々があった。するとイエスはこう言われた。

「あなたがたの見ているこれらの物について言えば、石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます。」

彼らはイエスに質問して言った。「先生。それでは、これらのことは、いつ起こるのでしょう。これらのことが起こるときは、どんな前兆があるのでしょう。」

 

ここで弟子たちは、三つのことを質問しています。

①神殿崩壊は、いつ起こるのか?

*マタイ24:3のこの質問の答えはマタイの福音書には無く、ルカ21:20にあります。

②あなたの来られる時には、どのような前兆があるのか?

③世の終わりには、どんな前兆があるのか?

 

osusowake.hatenablog.com

 

①神殿崩壊は、いつ起こるのか?…この質問に対する答えが、ルカ21:20なのです。

 

エスエルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、滅亡が近づいたしるしだ』と預言されました。

これが、AD70年に成就した出来事です。

 

バビロン捕囚からの帰還後に建てた第二神殿をエドム人ヘロデ大王が大改修工事を行いました。その結果、『ヘロデの神殿』と呼ばれるようになったのです。

AD64年にこの改修工事が完了するに伴い、18,000人以上の失業者を生み出すことになり、ローマの失政に不満を持つ人々が農村からエルサレムにまで広がりをみせました。

そして、AD66年にユダヤ人たちがローマに対して立ち上がりました。その暴動を鎮めようと、ローマ皇帝ネロはAD67~69年にかけて将軍を派遣し、エルサレム制圧を目前にして、国内の変事からエルサレム包囲を一度解き帰還したのです。

 

ルカ21:21ーそのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。いなかにいる者たちは、都に入ってはいけません。

 

包囲を解かれた短期間に、エルサレムにいたメシアニックジューたちは、イエスのこの命令に従い、イスラエル国内の『ペラ』という山に全員逃げました。

都に残ったのは、まだイエスをメシアとして信じていないユダヤ教に留まっていたユダヤ人たちだけでした。

 

エスをメシア=救い主として信じていなかった彼らは、「都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。」というイエスの命令には耳を傾けず、神殿があるエルサレムの都内に残ったのです。

その結果、ローマの新皇帝ベシパシアヌスによって派遣された将軍率いる二万数千の大軍により、エルサレムが再び包囲された時、都に留まった約百万人の市民は飢饉と疫病で大打撃を受けました。

逃れようと出て来た者を片っ端から捕らえては十字架に付けて殺し、ついに、 AD70年のアブの月の九日、エルサレムは炎上し、死体がいたるところに転がる廃墟と化しました。

 

ルカ21:22ーこれは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。

*報復の日…『モーセのような預言者』として来られたメシアを信じず、メシアとしてしてのわざ(しるし)を悪霊のかしらベルゼブルの力によるものとして拒否し、十字架に付けた『世代』に対する神の報復。

 

osusowake.hatenablog.com

 その世代の人々は、イエスの裁判の席で次のように言ってしまいました。

マタイ27:24~25ーそこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」

すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」

 

この言葉のとおり、イエスを十字架につけた世代とその子孫たちは裁かれ、 AD70年の神殿崩壊、世界離散へとなっていきました。

 

ルカ21:23ーその日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。この地に大きな苦難が望み、この民に御怒りが臨むからです。

 

一方、エルサレムの包囲が一瞬解かれた隙に山に逃げることになった、イエスの公生涯で信仰を持った人々だけでなく、ペンテコステ以降御霊の内住を受けた使徒たちの伝道によって信者になった多くの者たちにとっても大変なことでした。

特に大きなお腹を抱えた妊婦たちや乳飲み子を持つ女性たちにとっては、徒歩で山に逃げるというのは大変なことでした。

 

しかし、救い主なるイエスは、ご自分を信じる者たちを一人も失うことなく、『報復の日』から救い出されたのです。

このようにしてルカ21:20~23の預言は、 AD70年に神殿崩壊時に成就しています。

 

では、この箇所は本当に将来再び成就するという『二重預言』なのでしょうか?

内容的に類似した記述が、マタイの福音書24:15~21にあります。

 

マタイ24:15ーそれゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)
 
ここで主イエスが引用しているのは、旧約のダニエル書の預言ですが、ルカの福音書にはない内容です。
 
ダニエル9:26~27ーその六十二週の後、油注がれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。
彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が荒らす者の上にふりかかる。
 
*来たるべき君主…反キリスト
*来たるべき君主の民…患難時代に反キリストに組する異邦人たち
*町と聖所エルサレムの町と神殿
*洪水…比喩的に用いられている場合、『軍隊』を意味する。
 
*一週の間…七年間
*多くの者…患難時代突入時に生きているイスラエルの人々が契約に賛成する
*堅い契約を結び… 反キリストとイスラエルの契約締結時が、患難時代の幕開け。
*半週の間…七年間の半分=3年半
*いけにえとささげ物とをやめさせる…患難時代前半は『第三神殿』でモーセの律法に従って動物のいけにえはささげられていますが、中期になると反キリストがそれらをやめさせるということ。
*荒らす忌むべき者…反キリスト(実際には、反キリストの像)
*翼に七十人訳:神殿に 
黙示録13:14~15ーまた、あの獣の前で行なうことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。
それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がものを言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
 
定められた絶滅が荒らす者の上にふりかかる…反キリストの死
Ⅱテサロニケ2:8ーその時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。
 
黙示録19:20ーすると、獣は捕らえられた。また獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。
 
マタイの福音書での記述は、ルカの福音書の記述と以下16節と19節が似ていますが、預言されている時期はまったく違います。
 
マタイ24:16ーそのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
 
*山に逃げなさい…ルカの福音書では『エルサレムが軍隊に囲まれたら』逃げるタイミングであり、AD67~69年に成就しましたが、マタイの福音書での逃げるタイミングは、やがて建つ『第三神殿に反キリストの像が設置された時』です。
AD70年の時はイスラエル国内の『ペラ』という山に逃げましたが、患難時代に彼らが逃げるべき『逃れの場』は、南ヨルダンのボツラ/ペトラです。イザヤ63:1~6参照
 
マタイ24:17ー屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。
反キリストの像が設置されると同時に偶像崇拝も命じられ、それを拒否する者はみな殺されるので、一刻の猶予もないということです。
 
マタイ24:18ー畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
着替えすら取りに行く余裕もないほど、急を要するのです。
 
マタイ24:19ーだがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
逃げる時に不利なのはやはり、身重の女性と小さな子どもを持つ女性たちです。彼女たちは患難時代になってから子どもを持ったり、妊娠したユダヤ人です。 
 
マタイ24:20ーただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。
*冬イスラエルの冬場は雨季であり、鉄砲水やワジに水が流れ通れなくなるため。
安息日モーセの律法に従って、また、口伝律法に従って生きている彼らにとって、安息日に歩いてよい距離は1km弱までですから、安全な所まで逃れることができなくなるからです。
 
マタイ24:21ーそのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。
*いまだかつてなかったような… ある人々は「教会時代の信者も患難時代を通過し、携挙は患難期中期、もしくは患難期後期に起こる。それまで神は何らかの方法で信者を守られる」と言います。
 
しかし、聖書は『試練の時(患難時代)は全世界に及ぶ』と記していますから、私たち教会時代の信者を守るためには、患難時代前に上から天に引き上げるしか方法はありません。患難時代に始まりも、期間もわかっているので、中期や後期がいつ頃になるのか検討がついてしまいます。
 
黙示録3:10ーあなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。
 
黙示録をよく読むと、患難時代にも『聖徒たち』が大ぜい殺されていますから、地上においての神の守りはあてにならないということになってしまいます。黙示録6:9~11, 11:7, 12:11, 13:7 &15, 14:13, 17:6, 18:24参照
 
これらのことから二重預言ではないということがはっきりとわかります。
 
どうか聖書の背景をよく読んで、惑わされるようなことがありませんように。
御霊により、みことばの真理へと導かれますように。ー祈ー

f:id:bluemome:20170619145335j:plain