サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

自然界をも支配される主イエス 〜マルコ4:35~41〜

2017年9月、台風『イルマ』、メキシコ沖地震、秋田地震と世界的に自然界の威力を見せつけられる月となりました。
どんなに科学や技術が進歩しても、時々人は自然を前に無力さを感じます。
しかし、その自然界をも造られ、支配されるお方がおられることに霊の目を向けることができたら、本当に依り頼むべきは人間の技術力ではなく、すべての被造世界の創造主だと気づけるのではないでしょうか?
 
マルコ4:35~41には、自然界の嵐を静められたイエス様の記述があります。
 
マルコ4:35ーさて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われた。
 
*その日のことマルコ4:1~34ガリラヤ湖のほとりで、群衆に『種のたとえ』を話された日のこと。平行記事は、マタイ13章。

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すでに、マルコ3:22~30の『ベルゼブル論争』によって、ユダヤ人たちは民族としてイエスのメシア性を拒否していましたから、イエスは群衆にはたとえ話を語り、ご自分の弟子たちを訓練していくことにしていました。

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*夕方イスラエルの夕方は、『第一の夕』と『第二の夕』の二つに分けられます。

 『第一の夕』…陽が傾く頃〜日没まで 

ヨハネ1:39ーイエスは「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。(新共同訳)

 

 『第二の夕』…日没〜真っ暗になるまで

ヨハネ6:16~17夕方になって、弟子たちは湖畔に降りて行った。

そして、舟に乗り込み、カペナウムのほうへ湖を渡っていた。すでに暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところに来ておられなかった。

 

*「さあ、向こう岸へ渡ろう。」…イエス様のご計画と摂理。

カペナウムで群衆に語られた後、ガリラヤ湖畔の東岸、ゲサラ人の地、ゲルゲサに向かわれたことがわかります。

マルコ5:1ーこうして彼らは湖の向こう岸、ゲサラ人の地に着いた。

 

 
マルコ4:36ーそこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。
 
*舟に乗っておられるままで…イエスは群衆を岸辺に、ご自分は舟に乗られて湖側から『種のたとえ』を語られたましたから、そのまま漕ぎ出したということです。
マルコ4:1ーイエスはまた湖のほとりで教え始められた。おびただしい数の群衆がみもとに集まった。それで、イエスは湖の上の舟に乗り、そこに腰をおろされ、群衆はみな岸べの陸地にいた。
 
*お連れした…弟子たちの中には漁師だった者がいるので、彼らが舟を漕いでいたと思われます。
 
マルコ4:37ーすると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。
 
*激しい突風…周囲を山で囲まれ、すり鉢になっているガリラヤ湖の地形から、時折激しい突風が起こります。
ルカ8:23ー舟でわたっている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。
 
マルコ4:38ーところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」
 
*とものほう…舟の最後尾、唯一水が溜まらない場所。
*枕して…低い座席を枕代わりにしていた、の意。
*眠っておられた…ルカでは『ぐっすり眠ってしまわれた』
長い一日を終え、肉体的疲労を覚えられていたイエスの『人間性』の一面。
 
*イエスを起こして…おそらく弟子たちは舟に溜まった水を汲み出したりしていたのでしょう。そんな中ひとりだけぐっすりと眠っておられるイエスに対し、弟子たちはいらだちさえ感じさせる声かけをしています。
 
*「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」…彼らがカペナウムを出発したのは、イエスが「さあ、向こう岸に渡ろう」と言われたからです。
そこにはイエス様のご計画があるはずであり、必ず向こう岸に辿りつけるはずです。
なぜなら、イエスは『主』であられるからです。
もし、嵐の中でも弟子たちにこの信仰があったなら、彼らはもっと落ち着いて行動できたでしょうし、安心して眠っておられるイエス様を起こす必要もなかったはずです。
しかし、彼らは現実を見た時に、イエス様のみことばに対する信頼を失い、パニックになったのです。
 
 
マルコ4:39ーイエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。
 
*イエスは起き上がって…不信仰に陥った弟子たちに起こされたイエス様は、起き上がると自然界の『風』をしかりつけ、『湖』にも命じられました。
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*すると風はやみ、大なぎになった創世記1章で被造世界を『ことば』で造られた神は、『ことば』で被造世界を支配されました。
自然界での嵐は、時間の経過とともにまたもとの穏やかな状態へと戻ります。
しかし、イエス様のおことば一つでそれが短時間のうちに起こったのです。
 
 
マルコ4:40ーイエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」
 
*こわがる…恐怖を感じる、の意。 
弟子たちは嵐の中で絶望感に見舞われ『死にそうだ』とまで思っていました。
 
*信仰がないのは、どうしたことです…「向こう岸に渡ろう」と言われたイエス様には、向こう岸での目的がありました。そのことを信じているならば、いかに湖が荒れようとも向こう岸にたどり着けるという『信仰』が、弟子たちに平安を与えたはずです。
この時に弟子たちは、まだまだイエス様のみことばに対する信仰が育っていなかったことがわかります。 
 
 
マルコ4:41ー彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
 
*大きな恐怖に包まれて…畏怖の念を抱く、の意。『恐怖』とは違います。
 
*「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
この時の弟子たちが理解していた(旧約)聖書の情報では、嵐を静めることができるお方は『神だけ』というものでした。
 
詩篇89:8~9万軍の神、
だれが、あなたのように力がありましょう。
よ。あなたの真実はあなたを取り囲んでいます。
あなたは海の高まりを治めておられます。
その波がさかまくとき、
あなたはそれを静められます。
  
詩篇107:29主があらしを静めると、波はないだ。
 
その持っていた知識と目の前で嵐を静めた師であるイエスとが、彼らの中で交差した瞬間でした。
みことばが経験を通して生きたものとなっていくとき、私たちも弟子たち同様、信仰的に成長することができます。 

 

向こう岸に着いた彼らは、さらにイエス様の『神性』を体験することになります。

むこ技師での出来事はこちら↓ 

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