旧約聖書や黙示録に慣れ親しんでいないと、『ボツラ』と聞いてもピンとこないかもしれません。しかし、現在の南ヨルダンにある『ペトラ』と言い変えたら、映画インディー・ジョーンズのシーンだとピンと来る方がいるかもしれませんね。
『ペトラ』とは、ギリシャ語で『岩』という意味です。
本当に岩だらけで他には何もない場所が、患難時代後半のイスラエルのレムナントたちの『逃れの町』としての役割を担っており、キリストの地上再臨と深い関わりのある場所であることが預言されています。
新改訳聖書の脚注を参考にしながら、マタイ16:16~18を訳すと次のようになります。
16:16ーシモン・ペテロ(小石、の意)が答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
16:17ーするとイエスは、彼に答えて言われた。「ヨナの子、シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。
16:18ーではわたしもあなたに言います。あなたはペテロ(小石)です。わたしはこの岩(ギリシャ語:ペトラ)の上にわたしの教会を建てます。ハデス(死後の不信者たちのたましいが行く『苦しみの場所』。彼らは千年王国後に復活のからだにされてから『火の池』に投げ込まれる)の門もそれには打ち勝てません。
つまり、シモン・ペテロ自身は『小石』のような小さな存在であっても、その信仰告白はキリストを正しく理解したものであり、その信仰告白の『岩』の上に、イエスをメシアだと信じるユダヤ人信者と異邦人信者とが一つの『普遍的教会』を築きあげていくのです。
御国の鍵を託されたペテロは、ペンテコステの時にまずユダヤ人に、それからサマリヤ人(ユダヤ人と異邦人との混血)、そして異邦人に御国の扉を開けていきました。
創世記12:3ーあなたを祝福する者をわたしは祝福し、
あなたをのろう者をわたしはのろう。
地上のすべての民族は、
あなたによって祝福される。
神様の普遍的なご計画は、『アブラハム契約を受け継いだユダヤ人(イスラエル)を通して、地上のすべての民族(異邦人)は祝福を受ける』というものです。
初代教会時代は、そのご計画に沿ってまずユダヤ人がメシアを信じて救われ、メシアニックジューを通して異邦人が福音を聞いて信じ救われました。
マタイ27:24~25ーそこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」
すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」
しかし、メシアを十字架につけた血の責任を問われ、約束の地を追われたイスラエルを見て、ユダヤ人たちは不信仰によって神の約束を取り去られ、異邦人信者に約束は引き継がれたと高慢になり、神の本来のご計画を見失ってしまいました。
ユダヤ人信者の伝道によって異邦人が救われるという本来のご計画が大々的に成就するのが、患難時代前半の3年半の期間です。この時、144,000人のユダヤ人たちによって世界大のリバイバルが起きますが、それも患難時代中期で終わります。
この時のことを主イエスも公生涯の終わりに使徒たちに預言されています。
マタイ24:15~21ーそれゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)
そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。
畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。
そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。
反キリストが患難時代の神殿に自分の像を立てたなら、ユダヤにいる人々は山に逃げるようにという教えです。この時、ユダヤ人たちが逃げる『山』というのが、現在の南ヨルダンにある『ボツラ/ペトラ』です。
逃げる際の注意点は、一刻の猶予もないということ。
なぜ身重の女と乳飲み子を持つ女は哀れなのでしょう?
逃げる道中のほとんどが険しい山道だからです。この時の身重の女性と乳飲み子を持つ情勢たちというのは、患難時代に入ってから妊娠・出産した女性たちのことです。
患難時代は家庭を持ち、子育てをするにはふさわしい時代ではありません。
なぜ冬や安息日にならないように祈る必要があるのでしょう?
神殿があるということは、メシアを信じていないイスラエルが再びモーセの律法によって生きている時代だということです。そのため、安息日には公共交通機関はすべて止まります。口伝律法にまで従うなら、徒歩で歩ける距離は1km弱。逃げ延びるのはとても困難になります。
エルサレムからボツラ(ヨルダン南部)やアモン人やモアブ人の地(ヨルダン北部と中部)に逃げるには、東の山に向かうルートであり、ワジ(乾いた川床)を通ることになります。
イスラエルの雨季は冬(10〜4月)であり、この間に一年間のすべての雨が降ることになります。雨が 降るとワジは鉄砲水のようにあっという間に満水になり、渡るのが非常に危険になるからです。
イスラエルの歴史をたどれば、常に迫害の歴史でした。しかし、患難時代の後半は今までにもこれからもないほどのひどい苦難に襲われると、イエス様は教えられました。
それは、地上に落とされたサタンが自分の時があと三年半しかないことを知り、全力でキリストの地上再臨を阻止しようと、その前提条件となるユダヤ人の民族的回心が起こらないように、ユダヤ人を地上から根絶しようと試みるからです。
《地上再臨の前提条件》
マタイ23:39ーあなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。
詩篇118:25~26ーああ、主よ。*どうぞ救ってください。(*ホサナ)
ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。
主の御名によって来る人に、祝福があるように。
私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。
元々は聖なる御使いとして造られ、神から油そそぎを受けた『ケルブ』が、神のようになりたいと高慢になり『サタン』となりました。エゼキエル28:12~15, イザヤ14:12~15
その結果、第三の天から落とされ、第一・第二の天の『空中の支配者』となっていましたが、患難時代中期には地に落とされます。エペソ2:2
黙示録12:12ーそれゆえ天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。
イエス様も将来のことを預言して教えておられます。
ルカ10:18ーイエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンがいなずまのように天から落ちました。
患難時代後半のサタンの働きは、すさまじいものがあります。
1ペテロ5:8ー身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
それはすべてのユダヤ人を根絶して、民族的回心が起こらないようにし、キリストの地上再臨を阻止することが目的です。なぜなら、地上再臨したキリストによってサタンの敗北が決まっているからです。
Ⅱテサロニケ2:8ーそのときになると、*不法の人が現れますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。(*反キリスト)
黙示録20:1~3ーまた私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。
彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、
底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
患難時代の裁きは、この地上の全世界に及びます。
黙示録3:10ーあなたが、わたしの忍耐について言ったことばをを守ったから、私も、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。
そのため、キリストの花嫁となる教会時代の真の信者は『携挙』によって患難時代前に天に避難させられ、患難時代のレムナント(イスラエルの残りの者)たちは、ボツラが『逃れの町』となります。
イザヤ33:13~15ー罪人たちはシオンでわななき、
「私たちのうち、
だれが焼き尽くす火に耐えられよう。
私たちのうち、
だれがとこしえに燃える炉に耐えられよう。」
強奪による利得を退ける者、
手を振ってわいろを取らない者、
耳を閉じて血なまぐさいことを聞かない者、
目を閉じて悪いことを見ない者、
そのとりでは岩の上の要害である。
彼のパンは与えられ、その水は確保される。
黙示録12:6ー女は荒野に逃げた。そこには*千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。(*三年半)
黙示録12:14ーしかし、女は大鷲の翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで*一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。
(*三年半)
これらのみことばからわかることは、『逃れの町』は
①高い所/山にあり
②荒野の中にあり
③患難時代後半の三年半の間、パンが与えられ、水が確保されて養われる、ということです。
そして、イザヤとミカがその場所を特定して預言しています。
わたしはあなたをことごとく必ず集める。
わたしはイスラエルの残りの者を必ず集める。
私は彼らを*おりの中の羊のように、(*ヘブル語:ボツラの羊)
牧場の中の群れのように一つに集める。
こうして人々のざわめきが起ころう。
ボツラ/ペトラの入り口は人がひとりしか通ることができないほど狭くなっており、敵が襲ってきても一人ずつしか通れない小路のため、要塞としても申し分ないの地形になっています。しかし、小路を抜けると開けた場所があり、レムナントが三年半住むには十分です。
しかし、周囲は岩に囲われた荒野であることを考えると、患難時代の後半を生き抜く食料と水はどのようにして得るのか?という疑問がわきます。
上記のイザヤや黙示録のみことばによると、『パンが与えられ、水が確保され、神によって養われる』ことが約束されています。
そこで思い出されるのは、出エジプトをしたイスラエルの民が四十年間の荒野の旅でどのように食料を確保したのかということです。パウロはその時の出来事を、コリントの教会に宛てた手紙の中で次のように証言しています。
1コリント10:1~4ーそこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの父祖たちはみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。
みな同じ*御霊の食べ物を食べ、(*マナ)
みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。
*御霊の飲み物…
出エジプトの出来事が『型』だとすると、おそらくボツラ/ペトラに辿りつたレムナントたちを養うのに、再び天からマナが降り、岩から水が出るようになるのでしょう。
その経験を通して彼らはイエスこそキリストだと気づき、民族的回心へと導かれるのかもしれません。
そして、ハルマゲドンの戦いで反キリストの軍勢が迫り来る中で、レムナントたちが正しい意味で「ホサナ(ああ、主よ、救ってください。)
主の御名によって来る人に、祝福があるように。」と言った時、その彼らの祈りに応えてキリストの地上再臨が起こります。
レムナントの回心は、キリストの地上再臨の三日前から始まるとホセアが預言しています。
再臨のキリストは、ただお一人でイスラエルの敵を倒されます。その時のことをイザヤが預言しており、その場所も『ボツラ』であることがわかります。
イザヤ63:1~6ー「エドムから来る者、
その着物には威光があり、
大いなる力をもって進んで来るこの者は。」
「正義を語り、
救うに力強い者、それがわたしだ。」
あなたの衣は酒ぶねを踏む者のようなのか。」
国々の民のうちに、
わたしと事を共にする者はいなかった。
わたしは怒って彼らを踏み、
憤って彼らを踏みにじった。
それで、彼らの血のしたたりが、
わたしの衣にふりかかり、
わたしの着物を、すっかり汚してしまった。
わたしの贖いの年が来たからだ。
いぶかったが、だれもささえる者はいなかった。
そこで、わたしの腕で救いをもたらし、
わたしの憤りを、わたしのささえとした。
憤って彼らを踏みつぶし、
彼らの血のしたたりを地に流した。」
このように聖書は、キリストの地上再臨の条件は イスラエルのレムナントによる民族的回心が条件であるとはっきりと預言していますから、今この地上で『再来のキリスト』『メシアの再臨』を名乗る者たちはみな偽キリストであることがわかります。
なぜなら、神の選びの民であるイスラエルの民族的回心がまだ起きていないからです。
ですから、私たちは惑わされないためにもみことばをよく読み、学び、何が神が教えておられることなのかを吟味する必要があります。
次回の更新では、この『ボツラ/ペトラ』が千年王国ではどうなるのかをまとめてみたいと思います。