各教会では『アドヴェント=待降節』として、日曜日毎に四週連続でろうそくに火を灯してクリスマスを待ちわびていることでしょう。
しかし、クリスマスとして知られる12月25日は、イエス・キリストの誕生日ではないことを知っているクリスチャンはどれほどいるでしょうか?
一般に、キリストの公生涯は3年半だと知られていますが、先日クリスチャンの友人に「イエス様が十字架にかかられたのは、春夏秋冬のいつだと思う?」と質問したところ、「秋?!」という驚くべき答えが返ってきました。
「イースターが復活祭でしょ?」とヒントを出して初めて「あっ、じゃあ春?!」と。
『イースター』という聖書には無い言葉に置き換えて、キリストの復活を覚えるため結び付かないのではないでしょうか?
旧約聖書を土台に新約聖書を理解すると、キリストは『過越の祭り』で『神の小羊』として屠られ、復活の初穂として『初穂の祭り』で復活されました。
『イースター』としてではなく、旧約聖書を土台とした聖書理解に立ち返るべきでしょう。
1. キリストの誕生の時期
キリストの公生涯が3年半であり十字架の死と復活が春であるならば、単純に時計の針を3年半戻せば、公生涯のスタートは秋であることがわかります。
さらに、みことばを読んでいるクリスチャンであるなら、イエス様が30歳であったことに気づくはずですね。
ルカ3:23ー教えを初められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。このヨセフは、ヘリの子、順次さかのぼって、
ということは、単純にイエスの誕生も冬のこの時期ではなく、秋の『仮庵の祭りの頃』だったということがわかるはずです。
これはまた、バプテスマのヨハネの誕生の時期、受胎告知の時期を含めて、ルカの福音書から導き出すことができることです。
2. ベツレヘムの羊飼いたちと東方の博士たちの訪問
①訪問の時期
クリスマスストーリーなどでは、ベツレヘムの羊飼いたちと東方の博士たちの訪問の時期はほぼ同時期で描かれていますが、聖書を注意深く読むと時期が異なることに気づきます。
ベツレヘムの羊飼いたちの訪問はルカの福音書2章に、東方の博士たちの訪問はマタイの福音書2章に記されています。
ベツレヘムからエルサレムまでは約8kmの距離であり、彼らが世話をしていた羊たちはエルサレムの神殿でささげられる羊たちでした。
神殿でささげられる羊は、病気のものだったり、不具であったり、傷があったりしてはいけませんか、彼らは24時間体制で気を張って見守り、世話をしなくてはなりませんでした。そのため、年3回の礼拝のためにエルサレムに上ることもままならず、安息日に休むこともできませんでしたから、当時の律法学者やパリサイ人たちからは『罪人』扱いされていました。その彼らに真っ先に『神の小羊』の誕生が知らされたというところに、神様の摂理を感じますね。
一方、東方の博士たちが来た『東方』とは、日本や韓国、中国のことではなく、イスラエルから見た東方ですから『バビロン』ということになります。 バビロンからエルサレムまでの当時の旅は、約1年半の道のりでした。
なぜ、そんなに遠方の博士たち(占星術師たち)が、ユダヤ人の王の誕生を知ることができたのでしょう?
そこには、バビロンの預言者バラムの預言が関係しています。
民数記24:17ー私は見る。しかし今ではない。
私は見つめる。しかし間近ではない。
ヤコブから一つの星が上り、
イスラエルから一本の杖が起こり、
モアブのこめかみと、
すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。
彼らが星に導かれて幼子イエスのおられる所に来た時は、マリヤとヨセフは飼い葉桶のある洞窟(家畜を繋いでおく所)ではなく、『家』に移動していました。
マタイ2:11aーそしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。
当時のイスラエルの王、ヘロデ大王はユダヤ人ではなくエサウの子孫の『エドム人』でしたから、東方の博士たちが「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」ーマタイ2:2ーと聞いて焦り、学者たちを呼んで調べさせたところ、ピンポイントで「ユダの地、ベツレヘムで生まれる」と答えをもらいました。
にも拘わらず、猜疑心が強かったヘロデ大王は、バビロンからエルサレムまでの旅に要する約1年半に更に半年加えて『二歳以下』、ピンポイントのベツレヘムを拡大して『ベツレヘムとその周辺に住む』男の子を皆殺しにするように命じたのです。
ですから、東方の博士たちがイエスのもとを訪ねて来た頃は、主はすでに1歳半くらいの幼子であったことがわかります。
クリスマスの飾り物のような羊飼いと東方の博士たちとが同時期にイエスを訪ねて来たわけではありません。
3. 三人の博士たち?!
よく東方の『三人の博士たち』という言い方がなされますが、東方の博士たちが『三人だった』とは聖書は記していません。
マタイ2:11bーそして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
博士たちが持って来た贈り物が『三種類』であったことだけ記されています。
そしてこれらの贈り物は、主イエス・キリストの働きと大いに関係しています。
・黄金…『王』に捧げられるもの
・乳香…『祭司』が取り扱うもの
・没薬…葬りに用いられ、旧約時代の『預言者』たちはいのちがけで神のお告げを王や人々に伝えました。
・王…将来キリストは、地上再臨後のメシア的王国(千年王国)の王の王となられる。
・祭司…キリストは昇天後〜現在、天のまことの聖所でメルキゼデクの位の大祭司としてとりなしておられる。
・預言者…初臨のキリストは、モーセのような預言者として来られた。
もし、たった三人の博士たちが1年半もの道のりを旅して来たのだとしたら、途中で盗賊に襲われたり、水や食料が尽きたりして、たどり着くことはできなかったかもしれません。彼らはキャラバン隊で来たのです。
4. 賛美歌
これは福音賛美歌59番『久しく待ちにし』という賛美歌の歌詞です。
賛美歌集の中では『待降』のカテゴリーに入れられており、クリスマスソングの一つとしても一般に広く知られている曲ですが、歌詞をよく吟味するとキリストの初臨の歌ではなく、『キリストの地上再臨を待ち望む歌詞』であることがわかります。
・み民…神の選びの民、神の契約の民である『イスラエルの民=ユダヤ人』のこと。
・救わせたまえや…クリスチャンはすでに救われていますが、神の民である『イスラエルの民』は、未だにメシアがイエスであることを認めず、不信仰な状態にあります。
彼らが民族的に回心することが、キリストの地上再臨の前提条件ですから、み民が救われることを待ち望む賛美です。
・お暗きこの世…罪の世
・平和の花咲く国…千年王国(メシア的王国)
・輝くみくらに とわに即き給え…千年王国の御座およびその後に来る新しい都エルサレムでの『永遠の秩序』
なぜこのようなキリストの地上再臨を待ち望む歌詞が、平気で初臨を表す待降の賛美として歌われるのか…謎ですね。
まるでサタンから真理が見えなくなるように覆いが掛けられているようです。
私たちは歴史上、いつ、どのように、キリストの降誕がみことばから導き出せる仮庵の祭りの頃から、あり得ない冬の雨季の時期に置き換えられたのか、どこから三人の博士たちという教えが出たのか、また、再臨を待ち望む歌を初臨の歌のように用いられるようになったのか、そして、サンタクロースやトナカイに置き変えられるようになったのか調べて見る必要があるでしょう。
真理を覆い隠しつつ、一般的にはキリスト教だと思われているところから、やがて患難時代の聖徒たちが迫害されることになるからです。