この3章は、気になったポイントだけ。
ヨシュア記12:1ーイスラエル人は、ヨルダン川の向こう側、日の上る方で、アルノン川からヘルモン山まで、それと東アラバの全部を打ち、それを占領したが、その地の王たちは次のとおりである。
*日の上る方…このことばを極東の日本や韓国、中国に置き換えて解釈する人々がいますが、イスラエルから見た『日の上る方/東』は、バビロン止まりです。また、ここでは、文脈上、シリヤやアラビヤ砂漠の高原のあたりです。
*アルノン川…その地域からのいくつかの支流が西方にある死海に流れる川。
*東アラバ…ここでは、ヨルダン川の東側の渓谷。
ヨシュア記12:8ーこれらは、山地、低地、アラバ、傾斜地、荒野、およびネゲブにおり、ヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人であった。
これらがイスラエルが占領した地。
ヨシュア記13:1ーヨシュアは年を重ねて老人になった。主は彼に仰せられた。「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。
モーセに率いられて出エジプトをした時、ヨシュアは二十歳以上の成人男子でした。
ヨシュアが死んだのは百十歳だったことから、この時点では 90〜100歳くらいだと思われます。
ヨシュア記24:29ーこれらのことの後、主のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ。
*まだ占領すべき地がたくさん残っている…ヨシュア記13:2~6の地のこと
ヨシュア記13:22ーイスラエル人は、これらを殺したほか、ベオルの子、占い師のバラムをも剣で殺した。
*ベオルの子、占い師のバラム…モアブの王、ツィポルの子バラクに、イスラエルを呪うように頼まれた占い師。バラムは古代世界では名の知れた人物だった。
詳細は、民数記22章。
民数記22:2ーさてツィポルの子バラクは、イスラエルがエモリ人に行なったすべてのことを見た。
民数記22:4~12ーそこでモアブはミデヤンの長老たちに言った。「今、この集団は、牛が野の青草をなめ尽くすように、私たちの回りのすべてのものをなめ尽くそうとしている。」ツィポルの子バラクは当時、モアブの王であった。
さて、今回一番気になったのが、約束の地を偵察に行った12人の斥候たちの中でヨシュアとともに信仰に立った報告をした『カレブ』のことです。
民数記13:1~2, 6, 30ー主はモーセに告げて仰せられた。
「人々を遣わして、わたしがイスラエル人に与えようとしているカナンの地を探らせよ。父祖の部族ごとにひとりずつ、みな、その族長を遣わさなければならない。。」
ユダ族からはエフネの子カレブ。
そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」
ヨシュア記14章ではユダ族代表としてのカレブではなく、『ケナズ人エフネの子カレブ』として記されています。引っかかるのは『ケナズ人』という言葉です。
ヨシュア記14:6~7ーときに、ユダ族がギルガルでヨシュアのところに近づいて来た。そして、ケナズ人エフネの子カレブが、ヨシュアに言った。「主がカデシュ・バルネアで、私とあなたについて、神の人モーセに話されたことを、あなたはご存じのはずです。
主のしもべモーセがこの地を偵察するために、私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。そのとき、私は自分の心の中にあるとおりを彼に報告しました。
*ケナズ人エフネの子カレブ…考えられるのは、三つあります。
チェーン式新改訳聖書の註解は、①の立場をとっています。
創世記36:11ーエリファズの子はテマン、オマル、ツェフォ、ガタム、ケナズである。
②イスラエル人を妻にしている異邦人ケナズ人。
創世記15:18~19ーその日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。
「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。
エジプトの川から、
あの大川、ユーフラテス川まで。
ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、
③エフネの先祖で『ケナズ』という名前を持つユダの家系。※ただし、聖書にはこの『ケナズ』に関する記述はありません。
さて、このような場合、どのように検証すべきでしょうか?
自分がどの説を支持するのか、聖書全体のバランスから考えるべきでしょう。
まず、イスラエルの家系図は男系家系を重んじます。
つまり、父親がユダヤ人でなければ『イスラエル人』とは認められません。
レビ記24:10~11ーさて、イスラエルの女を母とし、エジプト人を父とする者が、イスラエル人のうちに出たが、このイスラエルの女の息子と、あるイスラエル人とが宿営の中で争った。
そのとき、イスラエルの女の息子が、御名を冒瀆してのろったので、人々はこの者をモーセのところに連れて来た。その母の名はシェロミテで、ダンの部族のディブリの娘であった。
*イスラエルの女の息子…父親がエジプト人であったため『イスラエル人』とはせず、『イスラエルの女の息子』と記しており、争った相手は父親がイスラエル人であったことを示す『イスラエル人』として記して区別しています。
使徒16:1~3ーそれからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシャ人を父としていたが、
ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。
パウロはこのテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシャ人であることを、みなが知っていたからである。
*テモテ…父親がギリシャ人だったため、異邦人への使徒である『パウロ書簡』にテモテ宛ての手紙は収められています。テモテが割礼を受けたのは、母方がイスラエル人であったため、信仰によって『イスラエル人』として生きる自由があったため。
使徒15章の『エルサレム会議』において、異邦人は割礼を受ける必要はないとされました。割礼はもともと、『アブラハム契約のしるし』としてユダヤ人に命じられたものです。
このことを考慮すると、①エサウの長子エリファズの息子を先祖とするエドム人説も②イスラエル人を妻にしている異邦人ケナズ人説も父方が異邦人となるので、聖書的には矛盾します。
残るは、③エフネの先祖で『ケナズ』という名前を持つユダの家系説です。
民数記13:6ではっきりと『ユダ族』と記されていることから、カレブの父系が『イスラエル人のユダ族』であったことがわかりますから、
③の説が一番聖書的な解釈だと言えるでしょう。
ヨシュア記14:10~11ー今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。
しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。
*ユダ族のエフネの子カレブは、85歳になってもなお壮健で、約束の地に入るだけの体力が残されていました。
彼が約束の地を偵察に行ったとき四十歳でした。ヨシュア記14:7
出エジプトをした時、二十歳以上の者たちはみな不信仰により荒野での40年間の放浪生活で死に絶えました。しかし、カレブとヨシュアの二人は、そのとき二十歳以上であったにも関わらず、信仰によって『約束の地』に入ることが許されたのです。
モーセですら『約束の地』をネボ山から見せられただけで、入ることは許されませんでした。モーセは律法の代表者です。
つまり、これは『約束の地』は律法による行いによって入るのではなく、信仰によって入るのだということを示しています。
私たちも『自分が考える良い行い』によって御国に入ろうとするのではなく、神の恵みによって、キリストの福音の三要素を信じる信仰によって入れるということを覚えておきましょう。