ヨハネ5:1~18で、主はベテスダの池の回廊で38年もの間伏せったいた病人を、安息日に癒されたことが記されています。
『安息日』に人を癒す働きをしたという理由で、イエスを迫害したユダヤ人たち(律法学者やパリサイ人たち)に対し、神の御子の権威がどのようなものであるかを説かれたのが19節以降です。
ここを理解するための一つの助けとして、『時代区分』を覚えておく必要があります。
キリストの十字架の死までは、まだ613あるモーセの律法が有効の律法の時代=旧約時代です。誰一人律法のすべてを守ることができなかった中で、律法の下にあるユダヤ人として誕生されたキリストが、ただひとり全てを守り、律法を終わらせてくださったのです。
ローマ10:4ーキリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。
律法の時代ということは、彼らに明らかに示されていた『御国』は、メシアが治めるメシア的王国=千年王国のことであり、キリストの初臨時の人々は、旧約聖書が伝えるメシアこそ『人の子』として来られたイエスだと信じることによって救われました。
救い三要素を信じることによって救われるのは、キリストの復活以降のことです。
ヨハネ5:19ーそこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。
*彼ら/あなたがた…ユダヤ人たち=パリサイ人たち ヨハネ1:19, 24参照
*子…御子イエス
*父…御父
ヨハネ5:20ーそれは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむためです。
*さらに大きなわざ…御子イエスの十字架の死からの復活
ヨハネ5:21ー父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。
*死人…霊的に神の御前に死んだ状態の人
ヨハネ6:44ーわたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
ヨハネ5:22ーまた、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。
*すべてのさばき…使徒10:42ーイエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。
使徒17:31ーなぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。
キリスト教界の一部の人による「神の裁きも地獄もない」という主張は、聖書的ではありません。イエスが使徒として召した人々が、イエスの命令として「さばきはある」ということを伝えていますから、さばきを否定する人々はキリストのみことばそのものを否定することになります。それは、信仰的にあり得ないことです。
ヨハネ5:23ーそれは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。
御子イエスと御父の統一性は、御子が父が願う生き方をされたことによって証明できます。それは御子の公生涯において、モーセの律法をすべて全うされたということです。その御子を信じ受け入れる者は、目に見えない御父をも受け入れるということになります。
なぜなら、
ヨハネ1:18ーいまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
ヨハネ10:30ーわたしと父とは一つです。
ヨハネ5:24ーまことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
*まことに、まことに、あなたがたに告げます…これから話すことは大事なことだから、よく聞くように、の意。
*わたしのことば…この時点では、初臨のイエスのことば。
現在は、完成された聖書六十六卷のみことば。
ヨハネ3:16~17ー神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
*永遠のいのち…イエスをメシアだと信じたその瞬間、霊的に誕生(死んだ状態からの復活)し、永遠のいのちがスタートします。
Ⅱコリント5:17ーだれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
ヨハネ5:25ーまことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。
*死人…神の御前に霊的に死んだ人。不信者。
*今がその時…キリストの公生涯の時。イエスをメシアだと認めない当時の霊的死人たち(ユダヤ教の指導者たち)の中にあって、イエスが直接語っておられます。
そして、この時代のユダヤ人たちでイエスこそ旧約聖書が記すメシアであると信じ、受け入れる人は、永遠のいのちを持つのです。
ヨハネ5:26ーそれは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。
*いのち…神とともに歩むことが『いのち』そのもの。
申命記30:20ーあなたの神、【主】を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。確かに主はあなたのいのちであり、あなたは【主】が、あなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地で、長く生きて住む。
詩篇36:9ーいのちの泉はあなたにあり、
私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。
1ヨハネ5:9~12ーもし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。
神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。
そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そして、このいのちが御子のうちにあるということです。
御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
ヨハネ5:27ーまた、父はさばきを行う権を子に与えられました。子は人の子だからです。
旧約聖書は、来たるべきメシアについて三つのことをしるしており、こられ三つのことすべてがイエスにおいて成就します。
①力と権威とは、人の子に与えられた。
ダニエル7:13~14ー私がまた、夜の幻を見ていると、
見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、
年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。
この方に、主権と光栄と国が与えられ、
諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、
彼に仕えることになった。
その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、
その国は滅びることがない。
②足のなえた者や病気の者は癒された。
イザヤ35:6ーそのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、
くちのきけない者の舌は喜び歌う。
荒野に水がわき出し、
荒地に川が流れるからだ。
③死人がよみがえる。
1サムエル2:6ー【主】は殺し、また生かし、
よみに下し、また上げる。
ヨハネ5:28ーこのことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。
このことを示す『型』が、ラザロのよみがえりです。
ヨハネ11:38ー そこでイエスは、またも心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓はほら穴であって、石がそこに立てかけてあった。
ヨハネ11:43~44ーそして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。
「ラザロよ。出て来なさい。」
すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」
ヨハネ5:29ー善を行った者は、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさばきを受けるのです。
ダニエルも同じことを預言しています。
ダニエル12:2ー地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。
ヨハネ5:30ーわたしは、自分からは何事も行うことができません。ただ聞くとおりにさばくのです。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを求めるからです。
*さばく…ヨハネ9:39ーそこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。
*わたしを遣わした方…御父
ヨハネ8:47ー神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者ではないからです。」
ヨハネ5:31ーもしわたしだけが自分のことを証言するのなら、わたしの証言は真実ではありません。
もうひとりの証言は、バプテスマのヨハネによるものです。
ヨハネ1:29~36ーその翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ。世の罪を取り除く神の小羊。
私が『私のあとから来る人がある。その方は私にまさる方である。私より先におられたからだ』と言ったのは、この方のことです。
私もこの方を知りませんでした。しかし、この方がイスラエルに明らかにされるために、私は来て、水でバプテスマを授けているのです。」
またヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。
私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、私に言われました。『御霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』
私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです。」
その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、
イエスが歩いて行かれるのを見て「見よ、神の小羊。」と言った。
ヨハネ5:32ーわたしについて証言する方がほかにあるのです。その方のわたしについて証言される証言が真実であることは、わたしが知っています。
*私について証言する方…①イエスを遣わされた御父
③メシアとしてのわざ(メシア預言の成就)
④旧約聖書
⑤モーセ
ヨハネ5:33ーあなたがたは、ヨハネのところに人をやりましたが、彼は真理について証言しました。
ヨハネ5:34ーといっても、わたしは人の証言を受けるのではありません。わたしは、あなたがたが救われるために、そのことを言うのです。
ヨハネ5:35ー彼は燃えて輝くともしびであり、あなたがたはしばらくの間、その光の中で楽しむことを願ったのです。
*あなたがた…ユダヤ人たち/パリサイ人たち
ヨハネ5:36ーしかし、わたしにはヨハネの証言よりもすぐれた証言があります。父がわたしに成し遂げさせようとしてお与えになったわざ、すなわちわたしが行っているわざそのものが、わたしについて、父がわたしを遣わしたことを証言しているのです。
*わざ…メシア預言の成就
マタイ11:5ー目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。
ヨハネ5:37ーまた、わたしを遣わした父ご自身がわたしについて証言しておられます。あなたがたは、まだ一度もその御声を聞いたこともなく、御姿を見たこともありません。
*わたしを遣わした父ご自身がわたしについて証言しておられ… ヨハネ10:25ーイエスは彼らに答えられた。「わたしは話しました。しかし、あなたがたは信じないのです。わたしが父の御名によって行なうわざが、わたしについて証言しています。
ヨハネ10:37~38ーもしわたしが、わたしの父のみわざを行なっていないのなら、わたしを信じないでいなさい。
しかし、もし行なっているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。」
ヨハネ5:38ーまた、そのみことばをあなたがたのうちにとどめてもいません。父が遣わした者をあなたがたが信じないからです。
パリサイ人たちは当時の民衆の指導的立場にありながら、御父が旧約聖書の中で語られたメシア預言のみことばさえ、心のうちに止めてはいませんでした。
ヨハネ5:39ーあなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。
実は、彼らが厳守しようとしていたモーセの律法も『モーセのような預言者の言うことを聞くように」と命じているのです。
申命記18:15, 18ーあなたの神、【主】は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。
わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。
ヨハネ5:40ーそれなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。
しかしパリサイ人たちは、イエスのメシア性を拒否しました。
それが、当時のユダヤ人たちが『回帰不能点』を超えたベルゼブル論争でした。
ヨハネ5:41ーわたしは人からの栄誉は受けません。
イエス様は人からの栄誉ではなく、常に神に従順であることを選び取りました。
ヨハネ5:42ーただ、わたしはあなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。
*あなたがた…パリサイ人たち
彼らは指導者でありながら、神のことばをうちに蓄えておらず、神の愛もないと責められています。
ヨハネ5:43ーわたしはわたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。
*父の名によって来ました…御父の信任を受けて、の意。
イエスとは、人の子としての名前ですが、その意味は『【主】は救い』というものであり、イザヤは『インマヌエル/神は、私たちとともにおられる、の意』と呼ばれると預言しています。
イザヤ7:14ーそれゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
ヨハネ5:44ー互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることができますか。
イエス様は律法学者やパリサイ人たちに対して、民衆に注意喚起をしていました。
マタイ23:1~7ーそのとき、イエスは群衆と弟子たちに話をして、
こう言われた。「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。
ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行い、守りなさい。けれども、彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。
また、彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。
彼らのしていることはみな、人に見せるためです。経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりするのもそうです。
また、宴会の上座や会堂の上席が大好きで、
広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。
これがパリサイ人たちの普段の生活態度でした。
ヨハネ5:45ーわたしが、父の前にあなたがたを訴えようとしていると思ってはなりません。あなたがたを訴える者は、あなたがたが望みをおいているモーセです。
*訴える者は、あなたがたが望みをおいているモーセ…パリサイ人たちは、自分たちこそがモーセの律法に従う者だと自負していました。彼らはモーセの記述律法だけでなく、口伝律法というオリジナルの律法を付け加えて実行してしていましたが、モーセの律法が伝えるメシアを受け入れないがために、彼らが自負している律法そのものに訴えられることになるのです。
ヨハネ5:46ーもしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。
多くの人は『モーセの律法』とは十戒のことだと誤解しています。『十戒』はモーセの律法の最初の十の戒めであり、創世記〜申命記までの五書が『トーラー/律法の書』と呼ばれ、戒めは248の積極的命令「〜しなさい」と365の禁止命令「〜してないけない」の全部で613あります。
律法は幾つかを守れば良いというものではなく、守るなら613すべてを守る責任があります。やるならすべて守るか、全くやらないかの二つに一つであり、キリストが十字架の死をもって律法を終わらせられたので、現在はユダヤ人であってもモーセの律法の下にはいないのです。
ガラテヤ3:10ーというのは、律法の行いによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」
イエスの初臨時はまだ律法が有効な時代でしたから、パリサイ人たちもその律法に従うべきでした。
律法では、申命記18:15, 18だけでなく、民数記21:9, 24:17でも繰り返しメシアのことを受け入れるように命じています。
民数記21:9ーモーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。
民数記24:17ー私は見る。しかし今ではない。
私は見つめる。しかし間近ではない。
ヤコブから一つの星が上り、
イスラエルから一本の杖が起こり、
モアブのこめかみと、
すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。
ヨハネ5:47ーしかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」
パリサイ人たちは『律法に従っている振り』をしていただけでした。もし彼らが本当に律法に従っていたのなら、モーセの書に書かれたメシアこそがイエスだとわかったはずだからです。
現在の私たちもパリサイ人たちが作りあげた口伝律法のような教会の伝統に従うように命じられ、重荷を負ってはいないでしょうか?
キリストにある真理は、私たちを自由にします。
ヨハネ8:32ーそして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。