サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

神の召しと優先順位 ルカ9:57~62

聖書を読み解く時に重要なのは、時代背景です。

エス様の十字架の死までは、たとえ福音書のキリストの教えであっても、当時のユダヤ人たちはまだモーセの律法の下で生きていました。

ですから、初臨時のキリストの教えの多くは、口伝律法ではなく、記述律法であるモーセの律法の正しい解釈です。

 

ルカ9:57~62は、キリストの弟子となる者に求められる優先順位について教えている箇所です。

 

ルカ9:57ーさて、彼らが道を進んで行くと、ある人がイエスに言った。「私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます。」

 

*彼ら…イエスと弟子たち 

 

*道を進んで行くと…サマリヤの町からエルサレムに向かう途中の村の道

 

ルカ9:58ーすると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」

 

*狐には穴があり、空の鳥には巣がある…狐や鳥には、帰るべき家があるが、イエスはこれから受難のしもべ、神の小羊として孤独な戦いをしようしています。

十字架の死が近づく中での伝道を続けていました。

 

*人の子…神の御子が受肉されたこと強調することば

エス様はご自身を指して、よく用いられています。

ちなみに、エゼキエル書での『人の子』とは、著者であるエゼキエル自身のことです。

 

*枕する所もありません…キリストは受難のしもべとしてエルサレムに向かっているので、『枕すべき帰る家』を後にして来たということ。

 

ルカ18:29~30ーイエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、

この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」

 

ヨハネ2:6ー神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。

 

ルカ9:59ーイエスは別の人に、こう言われた。「わたしについて来なさい。」しかしその人は言った。「まず行って、私の父を葬ることを許してください。」

 

*イエスは〜言われた…イエスの方から声をかけています。

『別の人』に対する神の恵みです。

 

*わたしについて来なさい… 『別の人』は、救いの時が満ちており、イエス様の召命に応答する信仰と決意があったと思われます。

 

*まず行って…自分の家に帰り、長子としての責務を果たすことを願い出ました。

 

*父を葬る…著者ルカは、この人の父親がすでに亡くなっているのか、重篤な病気なのか、たまたまこの時病気だったのかには言及していません。

もし、すでに亡くなっていたとしたら、ユダヤ教では親の葬儀をするのは、どんな宗教儀式にも増して、長子としての大事な義務でした。

 

エスは、本当の弟子は瞬時の従順な行動が必要であると教えられていました。

決して、家族に対する責任を放棄することを教えていたわけではありません。

しかし、主は従順さを試すために、この人に「わたしについて来なさい」と命じられました。

おそらく、この人はキリストに従うのを遅らせるための弁明として、ユダヤ教の親に対する大事な義務を利用したと思われます。

もしこの人の父親が元気に過ごしていたのなら、いつの日か死んで葬るまで、キリストに従うことを先延ばしにすることができたわけです。

 

キリストに従うということには、犠牲が伴います。

それでも尚、キリストの弟子となる一人一人には、主に従い、仕えていく準備ができているべきです。

 

ルカ9:60ーすると彼に言われた。「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」

 

*死人たちに…イエスのメシア性を認めず、霊的に死んだ者。 

 

*彼らの中の死人たちを葬らせなさい…メシアを拒み、霊的に死んだ状態の人々に、霊的に死んだ状態のままで肉体の死を迎えた者の葬儀を任せなさい、の意。

 

*あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい…イエスをメシアとして信じたあなたは、この世の家や旧いモーセの律法に縛られるのではなく、神の国の福音を伝えなさい、の意。

ここで、旧いユダヤ教から優先順位の変更が求められています。

 

ルカ9:61ー別の人はこう言った。「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」

 

*いとまごい…別れを告げること。別れの挨拶。

「主よ。あなたに従います。」 と言いながら、この人にはまだ家族を優先にする姿勢が見られます。

 

ルカ9:62ーするとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」

 

*手を鋤につけてから…ここでの『鋤』は、イエス様を指す比喩。

『主に従っていくこと』と『この世のこと』との両方に心を裂いていては、神の国の宣教にふさわしくないということ。

 

主は私たちに何を望んでおられるのでしょう?

完全な献身であって、半分だけの中途半端な献身ではありません。

主の命令に対して、一部のみ自分で選択して従うことはできません。

私たちは、冠とともに十字架をも受け入れなくてはならないのです。

エス様に従うことから気を逸らす事柄を受け入れないように注意が必要です。

 

Ⅱテモテ2:4ー兵役についていながら、日常生活のことに掛かり合っている者はだれもありません。それは徴募した者を喜ばせるためです。


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