サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ガラテヤ書 5章

ガラテヤの教会は、律法主義者たちの教えの悪影響を受けていました。

これまでパウロは、キリストによって任命された異邦人への使徒として(ガラテヤ1:1)、パウロ自身の個人的弁明、キリスト教の教理的教えを書き記してきました。

5章からは信仰の実践的教えについて記しています。

 

5:1ーキリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。

 

*自由を得させるため…4章では『モーセの律法による束縛』と『キリストにある自由』の対比を語っていました。

モーセの律法は、エジプトの奴隷生活から神によって解放されたイスラエルの民が、神の選びの民として、神にある自由人としてどのように生きるべきかの指針を与えた物でした。しかし、

①人には到底できないことを要求しています。

②律法違反者を罪に定めます。

それは、人に罪人であることの自覚を与え、救い主が必要であることを教えるためでした。

 

ローマ6:17~18ー神に感謝すべきことには、あなたがたはもとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、

罪から解放されて、義の奴隷となったのです。

 

モーセの律法の『〜してはならない』という命令は、逆に『〜したい』という誘惑を与えます。その誘惑に対し「NO」と言えないことが罪の奴隷なのです。

しかし、キリストはモーセの律法の下に生まれ、自らイスラエルの民の代表として、613ある律法の要求を全て満たされ、十字架の死によってモーセの律法を終わらせてくださいました。

 

ヨハネ19:30ーイエスは酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。

 

ローマ10:4キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。

 

罪から解放されて自由となった者は、罪の誘惑が来ても奴隷ではないので「NO」と言う自由があります。その選択ができるように助け手として聖霊を与えてくださいました。

 

ヨハネ14:26ーしかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを思い起こさせてくださいます。

 

*奴隷のくびき…それなのに、ガラテヤの信者たちは律法主義者たちの教えによって、再び奴隷のくびきを負わされようとしていました。

 

 

5:2ーよく聞いてください。このパウロがあなたがたに言います。もし、あなたがたが割礼を受けるなら、キリストは、あなたがたにとって、何の益もないのです。

 

*よく聞いてくださいギリシャ語:イデ 

重要なことを伝える前に注意喚起する呼びかけ。

 

*割礼アブラハム契約のしるし

法主義者たちは、異邦人信者も割礼を受ける必要があると教えていました。

しかし、キリストにあって救われるために割礼を受ける必要はありません。

割礼によって救われるとするならば、それは行ないによる救いであって、恵みと信仰による救いではなくなります。

 

*キリストは、あなたがたにとって、何の益もない…もし救われるために割礼を受けるなら、キリストの十字架の死は無意味なものとなってしまいます。

 

 

5:3ー割礼を受けるすべての人に、私は再びあかしします。その人は律法の全体を行う義務があります。

 

*律法の全体を行う義務モーセの律法は全部で613あり、割礼はその中の一つです。もし割礼を受けることを義務付けするのなら、他の612の律法も守り行う義務が生じます。律法は一つのまとまった集合体なので、割礼だけ、または十戒だけを守れば良いと言うものではありません。割礼という一つの戒め、または十戒を守るなら、律法全体に責任を負う(返しきれない負債を負う状態になる)ことになります。

 

申命記27:26ー「このみおしえのことばを守ろうとせず、これを実行しない者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。

 

ガラテヤ3:10ー律法の行いによる人々はみな、のろいのもとに有ります。「律法の書に書いてある全てのことを守り行わない者はみな、のろわれる」と書いてあるからです。

 

ヤコブ2:10~11ー律法全体を守っても、一つの点で過ちを犯すなら、その人はすべてについて責任を問われるからです。

なぜなら、「姦淫してはならない。」と言われた方は、「殺してはならない。」とも言われたからです。そこで、姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者となったのです。

 

これらの聖句からわかることは、信者は、黄金律や、什一献金安息日十戒などを守り、律法ののろいの下にいるか、キリストが十字架で終らせてくださった律法から完全に解放されて、神のことばであるキリストに繋がっているかのどちらかだということです。

 

パウロはキリストにある使徒として、救いや聖化のために割礼を必要だと考える人に対する警告を与えているのです。

 

 

5:4ー律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。

 

*恵みから落ちてしまった…救いそのものを失ったわけではありません。

私たちはキリストの福音を信じた時に義と認められています。が、その後で罪に陥ることはあります。律法の行ないによって義を求めるなら、キリストから離れ、信仰による恵みから落ちてしまったということです。

 

 

5:5ー私たちは、信仰により、御霊によって、義をいただく望みを熱心に抱いているのです。

 

*義をいただく望みギリシャ語:アペクデコマイ 待ち望む、の意。

(参照聖句:ローマ8:19, 23, 25, 1コリント1:7, ピリピ3:20, ヘブル9:28)

信者が待ち望んでいるもの:

①携挙(キリストの空中再臨)

②栄光のからだ(救いの完成)

 

 

5:6ーキリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。

 

*割礼を受ける受けないは大事なことではなくローマ2:19ーかえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、*文字ではなく、**御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉は人からではなく、神から来るものです。 

*文字モーセの律法  **御霊による…恵みと信仰による救いに与った者に与えられる御霊の内住

 

 

5:7ーあなたがたはよく走っていたのに、だれがあなたがたを妨げて、真理に従わなくさせたのですか。

 

*よく走っていたパウロは、信仰生活をマラソンにたとえて語っています。

 

1コリント9:24ー競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。

 

Ⅱテモテ4:7ー私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

 

*だれがあなたがたを妨げて…『だれ』は単数形。おそらく律法主義者たちのリーダーが想定されていると考えられます。

ガラテヤの信者たちも、パウロ同様、信仰のレースのスタートを切ったのに、邪魔する者が現れました。

 

みことばの真理から逸脱させる教えは、妨害者の仕業です。

聞いたことを鵜呑みにせず、ベレヤのユダヤ人たちのように『熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べる』ことが重要です。使徒17:11 

 

 

5:8ーそのような勧めは、あなたがたを召してくださった方から出たものではありません。

 

*そのような勧め…新改訳2017:そのような説得

新共同訳:このような誘い

口語訳:そのような勧誘

文語訳:かかる勧め

 

*あなたがたを召してくださった方…神は恵みによって、信仰へと導いてくださいました。

エペソ2:8ーあなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

 

それゆえ、律法主義者たちの教えは、神から出たものではありません。彼らの教えを受け入れるなら、『ほかの福音』に移っていくことになります。

 

ガラテヤ1:8~9ーしかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。

私たちが前にも言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。

 

*私たちが宣べ伝えた福音…キリストの復活の目撃者である使徒たちが宣べ伝えた福音とは、1コリント15:3~4ー私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、わたしたちの罪のために死なれたこと、

また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、

 

 

5:9ーわずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです。

 

*パン種…間違った教え

 

法主義者たちの教えを受け入れる信者がたとえ少数であっても、教会の群れ全体に悪影響を及ぼすようになることへの警告。

 

1コリント5:6ーあなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。

 

 

5:10ー私は主にあって、あなたがたが少しも違った考えを持っていないと確信しています。しかし、あなたがたをかき乱す者は、だれであろうと、さばきを受けるのです。

 

*少しも違った考えを持っていないパウロは、ガラテヤの信者たちがキリストの福音に留まることを確信していました。

 

*主にあって…主は良い牧者です。その牧者が、羊たちの群れを守ってくださるという確信。

 

ヨハネ10:11ーわたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。

 

*あなたがたをかき乱す者…律法主義者たちのリーダー

 

*さばきを受ける…異なる教え(パン種)を教会に入れて、群全体に悪影響を及ぼす罪の責任は重いのです。

 

マタイ13:33ーイエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」

 

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1コリント3:17ーもし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。

 

 

5:11ー兄弟たち。もし私が今でも割礼を宣べ伝えているなら、どうして今なお迫害を受けることがありましょう。それなら、十字架のつまずきは取り除かれているはずです。

 

*割礼を宣べ伝えているならパウロが属していたユダヤ教パリサイ派は、律法を守ることの重要性を説いていました。割礼はモーセの律法でも命じられていましたから(レビ記12:3)、「今もパウロは割礼を宣べ伝えている。」というような噂が広まっていたことが考えられます。

 

*迫害…メシアニックジューたちに対する最初の迫害は、ユダヤ教サドカイ派から始まりました。それがパリサイ派に飛び火しました。

 

使徒4:1~3ー彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来たが、

この人たちは、ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに、困り果て、

彼らに手をかけて捕らえた。そして翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。

 

もしパウロが、今でも律法に従って割礼を受けるように異邦人にも教えているのであれば、迫害されることはありませんでした。

パウロが迫害を受けている理由:

①割礼ではなく『神の恵みと信仰による救い』を宣べ伝えていたから。

②十字架による贖いは、ユダヤ人たちにとっては『つまずき』でした。

なぜなら、彼らは勝利者としてのメシア、ローマからの政治的解放者としての王を求めていたからです。

 

ローマ9:31~32ーしかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。

なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行いによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。

 

1コリント1:23~24ーしかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。ユダヤ人にとってはつまづき、異邦人にとっては愚かなことですが、

ユダヤ人で有ってもギリシャ人であっても、召された者たちにとっては、神の力、神の知恵であるキリストです。

 

 

5:12ーあなたがたをかき乱す者どもは、いっそのこと切り取ってしまうほうがよいのです。

新共同訳あなたがたをかき乱す者たちは、いっそのこと自ら去勢してしまえばよい。

 

ガラテヤの信者たちをかき乱す律法主義者たちは、そんなに割礼が大事だと言うのなら、いっそのこと性器そのものをずべて切除したらよい、の意。

これはパウロによるユダヤ的皮肉です。ユダヤ人たちにとって、去勢は忌むべきことでした。

 

申命記23:1ーこうがんのつぶれた者、陰茎を切り取られた者は、の集会に加わってはならない。

 

 

5:13ー兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。

 

ガラテヤ5:1ーキリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。

 

キリスト者は、キリストによって『自由人』とされたので、二度と奴隷のくびきを負わされないようにしなくてはなりません。

 

*肉の働く機会としないで…古い肉の性質(罪の性質)に流されずに生活すること。

信者に与えられた自由は、罪の誘惑に対して「NO!」と言う自由です。

 

*愛を持って互いに仕え合いなさい…『仕える』ギリシャ語:デューレウオウ

信者同士の愛は、義の奴隷として、互いに仕え合うことです。

 

ヨハネ13:34ーあなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも愛し合いなさい。

 

1ペテロ1:22ーあなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに熱く愛し合いなさい。

 

 

5:14ー律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一語をもって全うされるのです。

 

*律法の全体…613あるモーセの律法

 

レビ記19:18ー復習してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない、あなたの隣人をあなた自身のように愛し合いなさい。わたしはである。

 

主イエスは613あるモーセの律法を二つの『黄金律』にまとめました。

 

マタイ22:36~40ー「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』と言う第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

 

ローマ13:8ーだれに対しても、何の借りもあってはいけません、ただし、互いに愛し合うことは別です。他の人を愛する者は、律法の要求を満たしているのです。

 

5:15ーもし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。

 

*互いにかみあったり、食い合ったりしている…ガラテヤの信者たちは、キリストの福音に留まる者と、律法主義者たちの教えの影響を受ける者がいて、分裂し、互いに非難しあっていました。

 

このような状態は、キリストの愛を伝えるにはほど遠く、愛の実践にも、キリストの証しにもなりません。

 

 

5:16ー私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

 

*私は言いますパウロは異邦人への使徒としての権威を用いて、ガラテヤの信者たちに命令しています。

 

*御霊によって歩みなさい…15節の問題解決

内住の御霊により頼む習慣を身につけること。すなわち、キリストの戒めを心に蓄え、実行する者として生きることです。

 

ヨハネ14:26ーしかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

 

ヤコブ1:21~22ーですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。

また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。

 

*肉の欲望…信者になった後も、この肉体のうちに生かされている間は原罪があり、罪の性質は常に内側に宿っています。

 

*肉の欲望を満たす…その罪の性質を満足させること

 

御霊の導きによって歩む人は、内に罪の性質を持ってはいても行ないに移すことがありません。なぜなら、聖霊の支配と肉の性質が並存することはないからです。

 

ヨハネ3:6ー誰でもキリストのうちにとどまる者は、罪を犯しません。罪を犯す者はだれも、キリストを見てもいないし、知ってもいないのです。

 

ヨハネ3:9ーだれでも神から生まれた者は、罪を犯しません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪を犯すことができないのです。

 

 

5:17ーなぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

 

信者のうちには、二つの異なる性質があります。

①両親を通して受け継いだアダムの性質(原罪=自己中心、善悪の判断を自分中心でする)。最初のアダム

②キリストの福音を信じて新生した時に受け継いだ新しい性質。最後のアダム

 

1コリント15:45ー聖書に「最初の人アダムは生きた者となった」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。

 

新生した時に、罪の古い性質が取り除かれない理由は、みことばにより、信者に霊的教訓を学ばさせるためです。

キリストの空中再臨(携挙)の時に栄光のからだが与えられると、古い罪の性質は取り除かれます。(栄化)

 

*自分のしたいと思うことができない…善を行おうとしても、自力ではできないということ。

善を行なうには、御霊の導きにより頼む必要があります。

 

 

5:18ーしかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。

 

御霊によって導かれるなら、その人は信仰によって『自由人』とされた人であり、律法の下にいる『奴隷』ではありません。

御霊の導きと肉の欲望のどちらを選択するかによって、結果は大きく違ってきます。

この二つの性質の闘いがある間は、『聖化』の段階です。

 

 

5:19ー肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、

 

*肉の行い…肉の性質に従った結果は、15種類+αの実を結びます。

 

*不品行、汚れ、好色…性的罪

 

 

5:20ー偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、

 

*偶像礼拝、魔術…宗教的罪

 

*敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ(21節)…社会的罪

 

5:21ーねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。

 

*酩酊、遊興…飲酒に関する罪

 

*そういった類のもの…+α あるということ

 

神の国を相続できない救いを失うということではありません。

肉の欲望に従って罪を犯し続けている者は、神の国千年王国を相続できません。

キリストの福音を本当に信じた者ならば、『火の中をくぐるようにして』神の国に入ることができます。1コリント3:10~15

 

 

5:22ーしかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、

 

*愛、喜び、平安…神から来るもの(Jesus)

 

*寛容、親切、善意…他者に対して(Others)

 

 

5:23ー柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

 

*誠実(22節)、柔和、自制…自分自身に対して(Yourself)

 

これら九つの御霊の実は、キリストの律法(戒め)を守り、行なう結果、結べるものです。

 

5:24ーキリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

 

*キリスト・イエスにつく者…キリストの福音を信じて、キリスト・イエスのものとなった人

 

*さまざまの情欲や欲望と共に十字架につけた…信仰によってキリストの死と復活とに一体化しています。

 

 

5:25ーもし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

 

*御霊によって生きる…キリストの福音を信じた時に、御霊の内住が与えられましたが、完全に罪の性質がなくなったわけではなく、罪の性質に勝利する方法が与えられたのです。その秘訣こそが『御霊により頼むこと』です。

つまり、日々みことばを読み、学び、キリストの律法(戒め)を心に蓄えることです。

キリストの律法は、主に新約聖書の書簡に記されています。

 

 

5:26ー互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。

御霊によって歩まないなら、『いどみ合い』『そねみ合い』『虚栄』などという肉の性質が働き始めます。

信仰生活は御霊によって進み続けなくてはなりません。もし、途中で立ち止まってしまうなら、その人は信仰の後退が起こります。立ち止まった信仰のレベルに留まることは不可能です。