サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

過越の祭りとイエスの十字架

イースターを前に過越の祭と主の十字架の関係のお裾分け。これはユダヤ人から教わらなくては、絶対に分からない!だから黙示録7章の出て来る14万4千人は「霊的イスラエル=異邦人」ではなく、文字通りのユダヤ人なのです。*ここをどう理解するかによって、人間が造られた目的と聖書理解の着地点が変わって来ます。 
ちなみに「卵が先か、鶏が先か…?」聖書的には絶対 「鶏が先」です。何故って…? 人間が造られた時、成人男女ですぐにも子供を産める状態だったでしょ!^^  

  

http://osusowake.hatenablog.com/entry/2014/01/14/102743

もうすぐイースターですね。よく分からないという方のために、少し説明をしてみようかと思います。イースターは「キリストの復活祭」として知られていると思います。

 

ギリシャ語では「パスハ」といって、ユダヤ教の「過越しの祭」を意味する「ペサハ」とい言葉からきています。

  

つまり、イースター(キリストの復活祭)と過越しの祭とは、密接な関係があるのです。主イエスの公生涯を思い出してください。過越しの祭で始まりーヨハネ2:13、過越しの祭で終わっているーマタイ26:2ことに気付きましたか?

 

 

神の小羊として来られたキリストの十字架の死と復活は、ユダヤ教の過越しの祭と密接な関係にあり、ユダヤ教の基礎の上にキリスト教があるのです。

 

 

メシヤであるイエスを拒否したのがユダヤ人だからといっても、この関係を切ることはできません。その理由を理解した時に、黙示録7章の14万4千人がなぜ「霊的イスラエル」ではなく、文字通りの「イスラエルユダヤ人」なのかも理解できると思います。

 

 

過越の祭出エジプトを記念する祭です。エジプトを襲った十の災いの中の一番最後の災いー出エジプト11:5。このときエジプトでは、王座に着くパロの初子から女奴隷の初子、家畜の初子に至るまでみな死にました。

 

 

しかし、ユダヤ人たちには初子の身代わりとして「傷のない一歳の雄羊」をほふり、その血を羊を食べる家々の二本の門柱とかもいに付けることにより、神の災いがその家を「過ぎ越す」という約束が与えられましたー出エジプト12:1~13

 

 

主イエスは、神のひとり子(初子)です。イエスは人間の「男の子」として誕生しました。そして、傷のない(罪のない)雄羊(神の小羊)としてほふられた(十字架につかれた)のです。ほふった羊の肉を食べる家(“取って食べなさい。これはわたしのからだです”マタイ26:26)とは信者のことです。

 

 

余談ですが、神道旧約聖書と似ているところがあり、神社の本殿の中は仏教と違い偶像はありません。造りも幕屋(神殿)と似ていて、洗盤があったりします。そして一説によると、鳥居が赤いのは過ぎ越しのしるしとなった二本の門柱とかもいに雄羊の血を付けたことから来たとされています。

 

 

ユダヤ教の祭り>は、大きく分けて五つあります。

1)第1の月…ヘブル名:ニサン(現3〜4月)ー過越の祭り(+種無しパンの祭)。

2)第3の月…シワン(5〜6月)ー七週の祭り(五旬節:ペンテコステ

3)第7の月…チスリ(9〜10月)ー新年、贖罪の日(ヨム・キプール)、仮庵の祭

4)第9の月…キスレウ(11〜12月)宮きよめの祭。

5)第12の月…アダル(2〜3月)ープリムの祭。

 

イスラエルの祭り>は、七つ(春四つ、秋三つ)あります。

過越の祭り。

②種無しパンの祭り。

③初穂の祭り。

④七週の祭り 。

❺ラッパの祭り。

❻贖罪の日。

❼仮庵の祭り。

イスラエルの祭りとキリストとの関係 - サザエのお裾分け

 

この中で「三大祭り」とされているのが、

過越の祭出エジプト記12:1~14

七週の祭り(ギリシャ語:ペンテコステ申命記16:9~12

仮庵の祭りレビ記23:39~44 です。

 

この三大祭りには、ユダヤ人の成人男子がエルサレムに上ることになっています。遠方からの場合や貧しい人々は、年に3度も長旅をするわけにはいきませんから、1度だけ三大祭りのどこかでエルサレムに行きましたーcf ルカ2:41。

 

 

皆様よくご存知のイエスの誕生を祝うクリスマス。英語では Christmasと書きますよね。Christ(キリスト)を mass(ミサ:ローマ・カトリックでの礼拝儀式)するという意味ですが、イエスの誕生は太陽暦の12/25ではありません。

 

 

専門家の見解では、羊飼いたちが野宿していたことから、秋ー仮庵の祭りの頃だろうとされています。仮庵の祭は三大祭中、最も喜びと感謝を表わす祭であり、千年王国の予表とされています。

 

 

そしてイエスの公生涯は過越の祭りで始まり、過越の祭りの頃終わりました。使徒たちととった最後の晩餐の食事は、まさに過越を祝う食事だったのです。そこで聖餐式の命令が出されました。

 

 

マタイ26:26~28ーパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです」

 

 

また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった「みなこの杯から飲みなさい。これは私の契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです」

  

 

七週の祭りは、ギリシャ語で「ペンテコステ」といって過越の祭りから50日目にあたることから、新約聖書では「五旬節」として記されています使徒2:1イエスの十字架の死、復活、昇天後、約束の聖霊が下ったのが、七週の祭の時でした。

 

 

マタイの福音書21章〜イエスの公生涯、エルサレムでの最後の1週間に入ります。AD30年ニサンの月の10日(日)にエルサレムに入場されました。ニサンの月の10日というのは、出エジプトの際イスラエルの人々が、家族ごとに羊一頭を用意した日です。

 

 

出エジプト記12:3イスラエルの全会衆に告げて言え。この月の十日に、おのおのその祖父の家ごとに、羊一頭を、すなわち、家族ごとに羊一頭を用意しなさい。

 

 

この時、イエスは神の小羊として選り分けられたことになります。(公生涯の初めにバプテスマのヨハネが、イエスを神の小羊として紹介していますーヨハネ1:29

 

 

選り分けられた羊は、傷のない1歳の雄でなければなりませんでしたー出エジプト記12:5。 

傷の有無をよく見守り調べる必要がありました。

出エジプト12:6ーあなたがたはこの月の十四日まで、それをよく見守る。そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり

 

 

夕暮れというのは、午後3時です。その時間に羊をほふって、その血を門柱と鴨居につけました。その夜、その肉を食べました。イエスは神の小羊としてエルサレムに入城し、5日間祭司長、律法学者たちによって吟味されました。イエスが死んだ年のニサンの月の十日は日曜日。14日は木曜日。

 

 

イエスは神の小羊として10〜14日まで吟味され、15日の金曜日に十字架につけられました。 

*なので「13日(金)は不吉な日」説は、映画からの影響による迷信であることが分かります。

 

 

10〜14日までの間、イエスは4回にわたり様々なグループの指導者から挑戦を受けることによって、吟味されました。それは、イエスを公に辱めて民衆からの指示を失わせるためであり、ローマ法に違反しているという証拠をみつけ、死刑にするためでした。

ユダヤ法の最高刑は39度の鞭打ち。

 

 

吟味1)祭司長、民の長老たち(サンヘドリンの代表)からイエスの権威が問わた。

吟味2)パリサイ人の弟子(政治的には反ローマ)とヘロデ党(親ローマの立場)の者たちから政治的テーマによる吟味。

吟味3)サドカイ人たちは公の場でイエスを辱めるため。

吟味4)パリサイ人たちから律法的な挑戦を受けられた。

 

 

これらの吟味の結果、言えることは、

①現代のユダヤ教は“パリサイ的ユダヤ教”であって、聖書的ユダヤ教ではないということ。ー律法主義。

キリスト教は“聖書的ユダヤ教”だということです。ー本物の信仰。

 

 

そこには、律法主義と本物の信仰の違いがあります。

私たちも教会に行くことのみや、◯◯しなければならない、△△してはならないというような律法主義的な信仰生活から、主に在って自由にして頂き、みことばによって霊的に養われ、愛をもって神と人とに仕えて行く信仰生活へと変えられていきましょう。

 

 

〜過越の食事の順序〜

【過越の食事の順序】

(1) 母か娘が、燭台に火を灯すー『世の光』として来られたメシアを象徴。

(2) 第一の杯ー『感謝の杯』

 

(3) 母か娘が水の入った鉢とタオルを持って回り、人々は指を洗いタオルで拭く。

『最後の晩餐』の時に女性はいなかったので、ここで主が弟子たちの足を洗われた。

cf ヨハネ13:4~5

 

(4) 第二の杯ー『裁きの杯』

(5) パセリを塩水に浸して食べるー苦さの象徴

 a) 塩水の入った鉢は数人に一つ用意された。

 b)主はユダの裏切りを予告。cf マタイ26:23

 

(6) ここで、「アフィコーメンの儀式」がある。

〜アフィコーメン(デザート)とイエス〜

 

① 三つの部分に分かれた布袋に三枚の種なしパンを入れるー御父・御子・御霊の三位一体の神を表わす。その第二位各の神が、キリスト・イエスです。

 

a) 種なしパンーイエスには罪がなかった。

b) パンには、筋が入っていたーイエスのからだに付いた鞭の跡。

c) パンには小さな穴があいていたーイエスのからだに残った釘と槍の跡。

d)「アフィコーメン」は、十字架上のイエスのからだを象徴。

e) このパンを食する=イエスの十字架を信じ、受け入れることを意味する。

 

② 真ん中のパンを取り出し、二つに裂き、半分にしたものを麻布にくるんで隠すー真ん中のパンは、御子イエス。

二つに裂きー十字架で裂かれたイエスのからだを象徴。

半分を亜麻布にくるんで隠すーイエスのからだは、亜麻布に包まれて墓に納められたーマタイ27:59~60

 

③ メインコースの後で、それを持ち出して食べるーイエスの復活の象徴。

 

(7) ハロセットと苦菜を食べる。この時点で、ユダは去る。cf ヨハネ13:26~30

(そうか!イスカリオテのユダはメインコースの前に席を立ったから、アフィコーメン=デザートも食べてないんだ!! つまり、復活の主に与ることもなく、主を信じ受け入れるという聖餐式に繋がるパンの教えにも与っていない。一方、その場に留まった十一弟子たちもペテロを初めとして全員主を裏切ったけどーマタイ26:56ー全員復活の主に会い、主をメシアとして信じることができたんだ!!)

 

(8) メインコース

 

(9) 亜麻布にくるんで隠しておいた「アフィコーメン(デザートという意味)」を食べるー復活を象徴。

*ここで「これはわたしのからだです」という聖餐式のパンの教えがあった。

 

(10) 第三の杯ー『贖いの杯』

*ここで「これは、わたしの契約の血です」という聖餐式のぶどう酒の教えがあった。cf マタイ26:26~29

 

(11) 第四の杯ー『賛美の杯』

 

〜食事終了〜

 

 

弟子たちはゲツセマネに行く前に4杯ものぶどう酒を飲んでいたのですから、眠くなってしまったのも分かりますね。

弟子たちとは対照的に、イエスは血の汗を流して祈られていました。イエスは3度の祈りを捧げていますが、弟子たちは最後まで眠っていました。霊的に無防備な状態です。

 

 

「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかしわたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」ーマタイ26:39。これがイエスの祈りの内容でした。ご自分の胸の内を正直に伝えながらも、父なる神のみこころのみの成就を求める祈りです

 

私たちも祈る時は、御父のみこころを求めないとですね。くれぐれも“ショッピングリストの祈り”にならないように注意しなくてはいけませんね。

 

 

私たち異邦人信者にはあまり馴染みのない過越の食事。その中で「アフィコーメンの儀式」について、ちょっとだけお裾分けを…

 

 

この「アフィコーメンの儀式」を挟んでメインコースがあります。

①まず、三つの部分に分かれた布袋に三枚の種なしパンを入れますー父・子・御霊の三位一体の神を表わします。

 

 

真ん中のパンを取り出して、二つに裂いて、半分を亜麻布に包んで隠しますー十字架上で裂かれたイエスのからだ、葬りを表わします。

 

 

③メインコースの後でそれを持ち出して食べます。

*種なしパンーイエスには罪がないことを表わす。

このパンには、筋が入っていますー鞭打ちの傷を表わす。

このパンには小さな穴があいてますーイエスの手と足の釘と脇腹の槍の痕を表わす。

このパンを食べるとは、イエスの十字架を信じ受け入れることです。

 

 

イザヤ書53章は、第5の福音書と言われています。それは、イエスの十字架が預言されているからです。

しかしサタンの策略は、①十字架以外の方法でイエスを殺すこと。②過越の祭以外の時にイエスを殺すことでした。

 

 

だからサドカイ派である祭司長たちと、パリサイ派である民の長老たちが、イエスを共通の敵として集まり、相談したのですーマタイ26:3~5。

相談の内容は、①イスカリオテのユダが手引きをして、民衆の目に付かない所で騙して捕らえ、②過越の祭が終わってから殺すというものでした。

 

 

十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンがはいったールカ22:3悪霊付きではなく「サタン付き」になったということです。これによりユダは、サタンの計画を実行する器になったわけです。*私達は「神の器です」ハレルヤ!

 

 

ユダは銀貨30枚で主イエスを売り渡しましたーマタイ26:15。これは死んだ奴隷の代金と同額ですー出エジプト21:32このお金は神殿の金庫からだされたので、彼らは最後の犠牲であるイエスを買い取ったことになります。

 

 

こうしてユダは祭司長、民の長老たちから送られた役人とローマ兵たち群衆を引き連れて、イエスを捕まえに来ました。この時の群衆は、約400~600人と言われています。そして親しい挨拶である口づけが、イエスを裏切る合図として用いられましたーマタイ26:49。

 

この時、イエスは弟子たちを連れてゲッセマネの園に行って、血の汗を流して父なる神に祈っていました。

ゲッセマネでの祈りー「杯」の意味 - サザエのお裾分け

 

 

そこにユダたちがやって来たのです。当時は写真やコピー機などありませんから、イエスの顔を知っているイスカリオテのユダが先頭に立ってやってきました。

和訳では「口づけした」としか書かれてませんが、原語のギリシャ語では、「愛情を込めて丁寧にする口づけ」を意味する言葉が使われています。ですから、何度も何度も繰り返して丁寧に口づけしたことが考えられます。

(こいつがイエスだ。わかったか?よく見ておけ。こいつがイエスだぞ。)という合図に、愛情を込めた口づけを用いたのです。

 

このユダの姿から、人間のどのような心を見ますか?

 

そのユダに対して、イエスは「友よ」と呼びかけていますマタイ26:50ー「友よ。何のために来たのですか」 *これは主がユダにご自身との関係を思い起こさせ、悔い改めを迫る精一杯の愛情表現です。そして神に背を向けている人に今も「友よ」と呼びかけているのです。親しい関係への招きとして…

 

 

イエスを裏切った人物というと、このイスカリオテのユダとペテロが有名ですね。では、ほかの十人の弟子たちはどうだったでしょう?最後まで主に従い通したでしょうか? マタイ26:56bー“そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて逃げてしまった。”イエスは十二弟子全員に裏切られたのです。

 

 

マタイ26:57〜いよいよイエスの裁判が始まります。

ユダヤ人による宗教裁判ー神に対する冒瀆罪を立証するため。

②ローマ人による政治的裁判ー反逆罪を立証するため。

 

ここには神の摂理が働いています。神殿が崩壊する40年前に、ユダヤ人達は死刑執行の権利をローマ政府によって剥奪されていました。神殿崩壊はAD70年です。イエスの裁判はAD30年に行なわれました

 

 

しイエスがユダヤ教の宗教裁判で死刑になっていたなら「石打ちの刑」であって「十字架刑」ではありませんでした。十字架以外の方法でのイエスの死は無効となり、イエスは偽預言者ということになってしまいます。 この裁判でイエスは最低限の答えしかしていないのは、相手に聞く耳がないからです。

 

 

福音を語っても、相手に聞く耳がなければ、私たちもそれ以上語らずに、その人のために祈ることに集中した方がいいでしょう。そして聞く耳のある人に語ればよいのです。無理せず、自然体で…。語るのは私たちですが、救ってくださるのは神さまです。

 

 

さて、夜通し宗教裁判と政治的裁判に引きずり回されたイエスは、ニ度の鞭打ちにあいました。

①39回のユダヤ人の鞭打ちールカ22:63。その当時の宗教裁判の最高刑でした。

②ローマ人の鞭打ちーマタイ27:26。鞭の先はいくつもに分かれていて、それぞれに鉄くずや動物の骨等が付いていました。

ですから、打たれる度に肉に食い込みます。そして再び打つためには引き戻さなければなりません。この時に肉が引き裂かれるのです。

 

イザヤはイエスのことを預言して、こう記しています。“その顔だちはそこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた。”ーイザヤ52:14。

 

 

死刑の判決を受けて後、鑑定の外から中へ連れて行かれましたーマタイ27:27。イエスの回りに集められた全舞台とは、逮捕時にゲッセマネの園に出て行った兵士たちです。総督の兵士たちは、王様ごっこを始めました。

 

「イエスの着物を脱がせる」というのは、鞭打ちの後の背中の皮を剥がす行為です。「いばらの冠を頭にかぶせる」というのは、創世記3:18アダムの罪の呪いです。いばらの棘は一番鋭いものでした。イエスは王の王なのですから、本来は王が冠る「ダイアラン」という王冠であるべきなのに…(TT)

 

 

右手に葦の棒を持たせ、その棒でイエスの頭をたたきました。いばらの冠を冠った頭をです。そして「ユダヤ人の王様。ばんざい」と叫びました。顔を背けたくなるような「いじめ」です。「辱め」です。何故 彼らは大人なのにこんな「王様ごっこ」をしたのでしょう?

 

 

彼らは平素からのストレス、不満がたまっていたのです。ユダヤ人の王様。バンザイ」という言葉には、ローマに支配され馬鹿にされ続けていたユダヤの立場を象徴しています。葦の棒ー王が持つ笏。

 

 

宗教画で目にするのは、十字架その物を背負うイエスの姿ですが、よ〜く考えながら聖書を読んでみてください。イエスは元大工として働いていた成人男性です。現代人より背が低かったとしても170cmはあったことでしょう。体重も少なくとも65kg前後はあったことでしょう。

 

 

その身体を支えるためにはある程度の縦木の太さが必要です。頭の上にはヘブル語、ギリシャ語、ラテン語で「これはユダヤ人の王である」と書かれた罪状書きを付ける長さも必要です。安定させるためには、地面に埋め込むための長さも必要です。それに180cm程度の横木を付けた物を一人では運べません

 

 

実際に背負って刑場まで運んだのは、横木だけです。およそ700mの距離でした。しかし、イエスは先にむち打ちをニ度にわたって受けていましたから、出血多量になっており、途中で倒れてしまったので、クレネ人シモンに背負わせたのです。これはローマ兵による強制労働です。

 

 

彼は北アフリカのクレネ出身のユダヤ人で、律法に従いエルサレムに巡礼に来ていました。金曜日の朝に、神殿で過越の子羊がほふられるのを見るために町に入ってきたところでした。そして…「たまたま」そこに居合わせたのです。

 

エルサレム町を引き回される長い道のりの中で、イエスがご自分の十字架を負えなくなった「時」と、たまたまシモンがそこを通りかかった「時」と、ローマ兵が群衆の中を見回してたまたまシモンに目が止まった「時」とが重なったのです。

 

そして、鞭打ちによる主イエスの血のついた十字架の横木を背負わされるはめになったのです。この時、シモンはどんな思いだったでしょう?

 

 

しかし、神にとって「偶然」はあり得ません!すべてが「必然」です。彼は後に、十字架の上のイエスを目撃し、信者となります。そして彼とその家族はローマ教会の設立メンバーとなりましたーローマ16:13のルポスとは、クレネ人シモンのこと。*ローマ教会は使徒によって設立された教会ではありません。

 

 

午前9時ーイエスは十字架に付けられました。ゴルゴダの丘で、神の子羊がほふられたのです。一方神殿では、過越の子羊がほふられていました。

 

 

十字架は、罪人を長時間苦しめるために考案されたローマの極刑です。「手の釘の痕」と言うと、すぐに手の平を思い浮かべますが、実際は手首の骨と骨の間に釘が打ち込まれました。他に支えるものがないので、手の平だと体重で肉が裂けてしまうからです。足は両足を重ねて、1本の釘が打たれました。

 

 

十字架刑の死因は何だと思いますか?

 

両手首と両足の3カ所で全体重を支えていて、膝は少し曲げられた状態です。足台が付いていました。このような状態だとまず自分の体の重みで下にさがり、両肩の関節がはずれます。肩の関節がはずれることにより、胸が広がらなくなり肺が圧迫されて、呼吸が苦しくなります。

 

 

そこで足台を使って曲げられた膝を伸ばすことにより、体を上にあげて息を吸うのです。賛美歌にもあるように、十字架の木は荒削りです。イエスの背中は鞭打ちにより傷だらけ…それが呼吸をする度に木にこすりつけられる状態です。あなたなら耐えられますか?自分に罪はないのに…

 

 

マタイ27:34で提供された「苦みを混ぜたぶどう酒」とは、没薬入りで鎮痛剤として用いられ、十字架の苦しみを和らげるものでした。しかしイエスはそれをなめられただけで、飲もうとはなさいませんでした。霊の戦いを最後まで戦い抜くため。私たちのために死の苦杯を最後の一滴まで飲み干すためです。

 

 

このような苦しみの十字架の上で、イエスは七つのことばを発しておられます。

 

 

①十字架にかけられた直後。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」ールカ23:34。

 

 

②「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」ールカ23:43。

 

 

③母マリヤに対して。「女の方。そこに、あなたの息子がいます」ーヨハネ19:26。愛する弟子、ヨハネに対して。「そこに、あなたの母がいます」ーヨハネ19:27。

 

 

④イエスの苦しみの絶頂。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」ーマタイ27:46。

 

 

⑤聖書が成就するため。「わたしは渇く」ーヨハネ19:28。

 

 

⑥「完了した」ーヨハネ19:30。*テテレスタイ…「借金が返された」の意。

 

 

⑦死の直前。「父よ。わが霊を御手にゆだねます」ールカ23:46。

 

 

もう一つ、宗教画が間違って描かれている点があります。それは下着を着けている点です。当時の男性の衣服は、頭を覆う布、上着、下着、サンダル、外套でした。4人のローマ兵が一つずつ分け合い、外套はくじで一人が独占しましたーcf ヨハネ19:23~24。

 

 

女性が言うには少々抵抗がありますが…十字架刑は、丸裸で受けるものです。トイレに行くために、いちいち降ろしてくれるわけではありません。当然…(#^.^#)…ですね。

 

 

イエスとともに十字架に付けられた強盗は二人。一人は右に、一人は左に…イエスが再臨された時、羊を右に、山羊を左に分けられるのと同じことに気付かれましたか?そのことから、最初は二人共イエスをののしっていましたが、最後にぎりぎりのところで救われたのは、右側の強盗だったことが分かります。

 

 

神殿で生贄の動物が屠られる朝9時に十字架に付けられたイエスは、正午〜午後3時までの間、私たちの身代わりとして神の怒りを体験しました。この時、全地が真っ暗になったのです。イエスの4番目の十字架のことば「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」は、この時に発せられました。

 

 

これは詩篇22:1ーわが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。の引用ですが、当時の理解では、22篇すべてを引用したことになります。イエスは福音書の中で神を「父」または「わたしの父」と呼ばれ、常に密接な関係を持たれていました。(ですよね…ヨハネ10:30だもの)

 

 

しかし、ここでは「わが神」と呼びかけられています。この時、イエスは霊的に死んだ状態となり、神に助けを求めているのです。また御父は、愛するひとり子が人類の身代わりとなって苦しむ姿を直視できず、目を背けられたのだとか、人間の罪は真っ暗(黒)なほどに汚れたものだという解釈も可能でしょう。

 

 

死の直前のことばは再び「父よ」と呼びかけられているので、御父との関係が回復していることがわかります。このことから、主イエスは十字架の上で肉体の死を遂げる前に、霊的にも死んで復活されたことがわかるのです。アーメン!

 

 

イエスが十字架で息を引き取られたのは、ニサンの月の15日(金)午後3時です。各家庭で過越の子羊がほふられるのは、午後3時頃だったことと符号します

 

 

 

あ☆十字架の死因を訊くだけ訊いておいて、正解を言ってませんでしたね^^;;  死因は、窒息死です。次第に体力がなくなり、足で踏ん張ることができなくなり窒息するのです。イエスの場合、先に鞭打ちによって弱っていたこともあり、3時には亡くなりました。

 

 

しかし、ふたりの強盗は鞭打ちは受けていないので、イエスより体力がありました。そのため日没までに死なない可能性が出たので、すねを折られたのです。それにより死期を早めるためです。

 

 

イエスが死なれた時、不思議なことが起きました。神殿の聖所と至聖所を仕切る幕が、上から下に裂けました。「幕」と聞くと私たちは、カーテンのような物、または学校の体育館や舞台の幕を思い起こします。が、神殿のこの幕は18m×9mの手の平ほどの厚みの物です。

 

 

人間が裂いたのなら上からではなく、下から裂いたでしょう。しかし簡単に裂けるようなものではありませんでした。それが上から裂けたのです。つまり、神ご自身が裂かれたということです。

 

 

幕で仕切られた向こう側は、大祭司が年に一度だけ入ることが出来た至聖所でした。神がその隔たりの壁(幕)を取り除かれ、御子を通して信者が直接 神に近づくことが可能になったということです。至聖所に入る大祭司は聖でなければなりませんでした。*これが、復活の主に関係してきます。

 

 

神に直接近づくことができるようになった私たちも聖くなることが、神のみこころです。「神のみこころがわからない」と言う人が時々いますが、聖書ははっきりと記しています。

 

第一テサロニケ4:3~7神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。あなたがたが不品行を避け、各自わきまえて、自分のからだを、聖く、また尊く保ち、神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、また、このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしないことです。なぜなら、これらすべってのことについて正しくさばかれるからです。これは、私たちが前もってあなたがたに話し。きびしく警告しておいたところです。神が私たちを召されたのは、汚れを行なわせるためではなく、聖潔を得させるためです。

 

 

 

私たち信者の心には、三位一体なる神が住まわれがゆえに、私たちのからだは聖なる神の宮であり…「普遍的教会」、私たちは直接神に近づける万民「祭司」であるというわけです。これが教会時代が「めぐみの時代」である理由です。

 

 

そしてこれらすべてのめぐみは、主イエスが神の小羊として十字架でほふられたゆえです。この神にすべての栄光と誉れがありますように。アーメン。

 

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