サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

イエスの裁判

イエスはゲッセネマで逮捕されてから、一晩中あちこち尋問や裁判へ連れ回されました。その過程をみことばから追ってみたまとめです。そこに関わった人々の心を探りながら、読んでみてください。(もし、私だったら…だれの心理に一番近いのか。自分の立ち位置はどこなのか…)より深く神の愛とめぐみを理解するために。

 

 

 

福音書を総合すると、イエスが裁判をうけられた順序は…

1)アンナスによる尋問ーヨハネ18:12~14、19~24。

2)カヤパとサンヘドリンでの裁判ーマタイ26:57~68、27:1。

3)ピラトの法廷での第一審ーマタイ27:2、11~14。

4)ヘロデによる尋問ールカ23:6~11。

5)ピラトの法廷での最終審ーマタイ27:15~26。 と、みれば分かる通りたらい回し裁判という感じです。

 

 

1)アンナスによる尋問。

ヨハネ18:12ゲッセマネの園で逮捕されたイエスは、役人たちに縛られ、

 

 

ヨハネ18:13ーアンナスのところに連れて行かれました。 アンナスーAD6〜15年に大祭司の職にありました。イエスの逮捕時はAD30年、その年の大祭司カヤパの姑として、また名誉大祭司として隠然たる勢力を持っていました。そのため、ユダヤ人たちは、まずアンナスの所へイエスを引いて行ったのです。

 

 

ヨハネ18:14ーcf ヨハネ11:49〜53。*11:50ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。

*これはカヤパの言葉ですが、彼の言わんとしたことは「この際、自分たちの利益を守り、国民全体が滅びを免れるためにも、イエスを殺してしまったほうがよい。」という意味でした。しかし、著者ヨハネはその彼の言葉のうちに、無意識の預言を記しているのです。

 

 

ヨハネ18:19ーイエスの時代の大祭司職は、ローマ帝国の政策に追従する者がその職にあずかるようにされました。そのため、ローマ帝国に取り入るために賄賂と汚職がつきまとっていました。特にアンナスの一族は陰謀と収賄によって要職についたのです。

 

 

アンナスは神殿祭儀のいけにえの動物や神殿通貨への両替を、神殿の庭(異邦人の庭)で一手に扱うことによって、莫大な利益を得ていました。イエスが宮清めをした殿内のそのような市が「アンナス市場」と呼ばれるほどでした。

 

 

また、ユダヤ教の裁判では「被告に公正な裁判の権利を与えるため、被告は答えることによって罪を認めることになるような尋問を受けてはならない」と定められていました。ーウィリアム・バークレー著「ヨハネの福音書 下」(ヨルダン社)より引用

 

 

このことを念頭に置いて19節を読むと、アンナスは証人尋問よりも先に、被告人尋問をしていることが分かります。これはユダヤ法の基本原則に反したことです。なぜ、大祭司である彼はこのような裁判をしたのでしょうか?ユダヤ法を犯してまで、不公平な裁判をイエスに対してしているのでしょうか?

 

 

イエスの公生涯の初めに何をされたか覚えてますか?…cf ヨハネ2:14~17。公生涯の終わりにエルサレムに入られた時、何をされたか覚えていますか?…cf マタイ21:12~17。人はどのような時にイエスを邪魔だと感じるのでしょう?

 

 

ヨハネ19:20~21ーイエスはアンナスの尋問に対して、噛み合ない答えをしています。なぜでしょう?21節から誰を証人として尋ねるべきだとイエスは主張しているでしょうか?

 

 

イエスの返答から、当然イエスもユダヤ法を理解していた事が分かります。このことにより、アンナスやユダヤ人たちがユダヤ法の基本原則に反する罪を犯していることが明らかとなりました。

 

 

ヨハネ18:22ーなぜ、そばに立っていた役人のひとりがイエスを平手で打ったのでしょう?裁判の席上で被告人が暴力をふるわれても、何もとがめられないという法廷での裁判を主は受けられたのです。

 

 

ヨハネ18:23ーイエスは打たれる正統な理由を訊いていますが、誰一人イエスの質問に答えてはいません。これはイエスを裁判にかけているはずの人々が、結果的にイエスに裁かれていることになるのです。立場上どんなに正義を装っていても、イエスの前にはみな「罪人」なのです。

 

 

ヨハネ18:24ーイエスの質問を受けて答えに詰ったアンナスは、縛ったままイエスを大祭司カヤパのところに送りました。 これが、第一の裁判です。イエスは縛られたままですが、「罪人」だと明らかにされたのはアンナスやユダヤ人たちでした。

 

 

2)カヤパとサンヘドリンでの裁判。  

マタイ26:57ーイエスは縛られたまま、その年の大祭司カヤパの所へ連れて来られました。そこには、律法学者、長老たちが集まっていたとあるので、これはユダヤ人による宗教裁判です。

 

 

マタイ26:58ーこの時は、ペテロもイエスの裁判の成り行きを見ようと官邸の中庭まで入って行き、役人たちといっしょにすわって見ていました。

 

 

マタイ26:59ー時は夜中です。律法では「朝の犠牲が捧げられる前に裁判を行なうことは違法」とされていました。しかし、カヤパの官邸にユダヤ議会であるサンヘドリンが招集されました。サンヘドリンには71人の議員がいますが、最低23人で成立しました。

 

 

この時は急な招集だったため、少数しか集まりませんでした。すでにイエスを主と信じていたニコデモとアリマタヤのヨセフは欠席しています。祭司長と議会に出席した者たちは、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めました。

 

 

マタイ26:60ー偽証はたくさん出ては来たものの、二人として同じ証言をする者はいなかったため、証拠とはなりませんでした。cf 申命記17:6。だから、最後に二人の者が申し合わせて同じ証言をしました。

 

 

マタイ26:61ー『わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる』…cf ヨハネ2:19。このふたりが証言した「神殿の破壊」は、ローマ法廷でも死刑に値しました。

 

 

マタイ26:62ー祭司長や議会側の証人たちがいろんな証言をしている間、イエスは沈黙して何も弁明されませんでした。

cf イザヤ53:7ー彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

 

 

彼らがした偽証罪の結果は、何でしょう? cf 黙示録21:8ーしかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。

 

 

マタイ26:63ー生ける神によって…大祭司カヤパは、神の御名によって、イエスが証言するようにと命じました。その質問は「あなたが神の子キリストなのか、どうか。」「その答を言え」と黙秘権を認めませんでした。

 

 

マタイ26:64ー「あなたの言う通りです」…これがイエスの答でした。「あなた自身が言った」という言い方であり「あなた自身がもう十分知っていることである」という意味を含んでいます。

 

 

さらにイエスは、ご自分のことについて付け加えられて言われました。その内容は、「イエスの復活と昇天の預言」と「再臨の預言」でした。 右の座…同等の立場を表わします。

 

 

このイエスの預言をどう受け止めるかにより、私たちの生き方、価値観が変わって来ます。イエスは、

1)とんでもない嘘つきか、

2)気がふれているか、

3)本当に神の御子か。

 

 

とんでもない嘘つきだとしたら、二千年余の間、人々がイエスに従うでしょうか? 気がふれていたとしたら、誰もしそのような人を信じて殉教までしなかったでしょう。 だとしたら残るのは、イエスは本当に神の御子、キリストだということです。アーメン。

 

 

マタイ26:65ー大祭司の反応です。彼はイエスの答を、1)のとんでもない嘘つきだと受け止めたのです。そしてイエスが「神の子」と言われたのを「神への冒瀆」ととったのです。神の目から見た場合、どちらが「神への冒瀆」に当たるのでしょう?イエスですか?大祭司カヤパですか?

 

 

大祭司たちユダヤ人(長老、律法学者たち)は当時の最高の知的レベルにありました。しかし、彼らはイエスのことばを受け入れることが出来なかったのです。その理由は何でしょう?

 

 

cf 使徒の働き5:29ーペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。

 

 

私たちも自分の信仰生活をもう一度吟味する必要があります。

キリスト教の伝統に重きを置いた信仰になっていないか?

経験に重きを置いた信仰になっていないか?

置換神学の誤った知識に重きを置いた信仰になっていないか? 

私たちの信仰の土台は、神のことばであるイエス・キリストであるべきです。

 

 

聖書のみことばが何と言っているのかをよく理解すべきです。cf 詩篇119:105ーあなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。

 

 

これでもまだ、証人が必要でしょうか?ー証人はもういないから…この二人が最後に申し合わせて証言したでしょ?! 豪語しなくていいからさ〜カヤパさん. ^^; って感じですよね?

 

 

マタイ26:66ー彼らが下した結論は「死刑」でした。

 

 

マタイ26:67ー死刑判決を下されたイエスに対して、議員たちは侮辱しました。イエスの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、平手で打ちました。

 

 

マタイ26:68ーここでもまた、イエスは沈黙されたままです。

 

 

cf イザヤ50:5~6ー神である主は、私の耳を開かれた。私は逆らわず、うしろに退きもせず、打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても私の顔を隠さなかった。

 

 

cf ルカ18:32ー人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。

 

 

3)ピラトの法廷での第一審。  

マタイ27:1ユダヤ教の大祭司はカヤパ、その姑で名誉大祭司がアンナスでした。一方、当時のローマ帝国のユダヤ地方の総督は、使徒信条にも名を残すポンテオ・ピラトでした。

 

 

ピラトは着任当初から高圧的にユダヤ人政策を試みるも何度も失敗し、すっかりユダヤ人からの信頼をなくしていただけでなく、毛嫌いされていました。通常はカイザリヤに住んでいましたが、人が大勢集まる祭の時期には、治安維持のためエルサレムに来ていました。

 

 

夜が明けるとー臨時で招集したサンヘドリンの議会は、夜中だったため、その判決は正式には認められませんでした。だから再び裁判を開いたのです。祭司長、民野長老たち全員の目的は決まっていました。公正な裁判をした結果の判決ではなく、先に結果有りきで「イエスを死刑にするため」でした。

 

 

マタイ27:2ー協議の結果、彼らはイエスを縛って連れ出し、ローマ総督ピラトに引き渡したのです。ユダヤ法にも「石打ちの刑」という死刑法がありましたが、AD70年に神殿が崩壊する40年前に死刑執行の権利を剥奪されていました。イエスが裁かれたのはAD30年、剥奪された直後でした。

 

 

マタイ27:11ーイエスの顔はすでにこぶしで殴られ、平手で打たれて腫れ上がっていたことでしょう。目の周りには青アザがあったかもしれません。そのような姿で、総督ピラトの前に立たれたイエスに対し「あなたは、ユダヤ人の王ですか?」と訊いています。これは驚きをこめた「あなたが…?」です。

 

 

イエスの応答はアンナスの質問に対する答同様、「あなたが言っている(とおり)です」という意味です。

 

 

マタイ27:12ーイエスは総督ピラトの質問には、いろいろと答えておられます。cf ヨハネ18:33~38。しかし祭司長たちの訴えには、何も答えられませんでした。

 

 

マタイ27:13~14ー何も答えられないイエスに対し、総督ピラトは「非常に驚いた」とあります。もし自分がイエスの立場だったら、同じように黙っていられるでしょうか?

 

 

18節を見ると、総督ピラとは何かに気付き始めていたことがわかります。そのため、彼は一つの提案を出しました。

 

 

マタイ27:15ーユダヤ人への懐柔策として、過越の祭の期間に囚人を一人釈放する習慣がありました。

 

 

マタイ27:16ーバラバ…*文献によれば、「バラバ・イエス」という名であったようです。また、バラバとは「アバの息子」というニックネームで、アバとは父という意味です。

 

*イエスは神の御子として、常に神を「アバ(父)」と呼ばれました。

 

マタイ27:17ーバラバは「名の知れた囚人」でした。彼はエルサレムの都に起こった暴動と人殺しのかどで牢にはいっていたため十字架に定められていたと思われますーcf ルカ23:19。 総督ピラトは、このバラバとイエスのどちらを釈放して欲しいのか?と祭司長や長老たちにききました。

 

 

マタイ27:18ーユダヤ人たちはねたみからイエスを引き渡したことに、総督ピラトは気付いていました。ねたみは、肉の行ないであり御霊によるものではありません。cf ガラテヤ5:19〜21。

 

 

マタイ27:19ー総督ピラトが裁判の席に着き、まだ判決を言い渡す前に、彼の妻が使いを出して助言しました。彼女はイエスを「正しい人」と認めた上で、かかわり合わないようにと言っています。その理由は、夢の中でイエスのことで苦しいめに会ったからだというものでした。

 

 

後に総督ピラトは、AD36年ーローマ皇帝かリギュラにより未開の地ゴール(現在のウィーンの近く)に流刑され、そこで自殺しています。

 

 

マタイ27:20祭司長、長老たちは群衆を説きつけて、バラバを釈放し、イエスを十字架につけるように要求しました。 総督ピラトは自分の提案と主張を、ローマ帝国の温情を理由に自体を収拾させようとしましたが、ここでも彼は失敗しています。

 

 

マタイ27:21ー何とか自分の主張を通したい総督ピラトは「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」と訊きますが、彼らの答は「バラバだ。」でした。 ねたみに捕われ、ことの善悪の判断がおかしくなってしまったとしか言いようがありません。自己中心の罪による判断ですね。

 

罪のないイエスを釈放するよりも、暴動と人殺しのかどで牢に入っていたバラバの方を釈放するように求めたのです。

 

 

バラバが悔い改めたのかどうか、聖書は何も語ってはいません。十字架で苦しむ主の姿を見て、本来は自分がそこで苦しむべきであったことをどう受け止めていたのか…?
 
 
私たちも同じです。主イエスが神の小羊として、私自身の身代わりとなって十字架にかかってくださったととるのか…?
自分には全く関係のないこと!ととるのかで、人生は大きく変わってきます。あなたは、どっちですか?

  

 

マタイ27:22ー自分ではどうしようもなくなった時に、総督ピラトがとった行動は「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」と、判断を群衆に仰いでいます。責任者が自分で判断出来なくなっている状態は悲惨ですね。

 

 

マタイ27:23ー群衆に「十字架につけろ」と喚き立てられてもなお、総督ピラトは「あの人がどんな悪い事をしたというのか」と判決を渋っています。しかしこれは逆効果でした。群衆はますます激しく十字架のつけるように要求しました。

 

 

4)ヘロデによる尋問。

ルカ23:6~11の記述は、その内容から察すると、おそらくマタイ27:23と24節の間の出来事だと思われます。その理由としては、4節の「この人には何の罪も見つからない」と言った総督ピラトの言葉です。群衆の「この人はガリラヤからここまで…」という言葉を聞いて、

 

 

ルカ23:6ー総督ピラトは「この人はガリラヤ人か?」と尋ねました。ガリラヤ地方は、熱心党的反乱が多かったのです。cf 使徒6:37ーAD6年、ローマが人口調査をして、税を取り立てる資料を作ろうとした時、それに反対をして反乱を起こしました。

 

 

ルカ23:7ーヘロデ…このヘロデは、イエス誕生の時に「二歳以下の男の子をみな殺せ」と命令を下したヘロデ大王の息子の一人です。ヘロデ大王の死後、ローマ帝国は王国を彼の息子たちに三分割しました。

 

 

アケラオ…ユダヤとサマリヤ。彼は非常に残忍で無能な王でした。イエスの養父ヨセフは彼を恐れて、ガリラヤのナザレに住んだのです。cf マタイ2:22~23。AD6年、ローマ皇帝アウグストにより流刑とされました。

 

 

ヘロデ・アンテパス…ガリラヤとペレヤ。総督ピラトがイエスを送ったのは、このヘロデ・アンテパスです。祭の期間だったため、エルサレムにいたと思われます。

 

 

ヘロデ・ピリポパレスチナ北東部。cf マタイ14:3、マルコ6:17。 

 

彼らは、ヘロデ大王の七人の息子のうちの三人ですから、ユダヤ人ではなくエドム人です。ヘロデ大王は息子よりも自分の地位を重んじて、地位が危ういと感じると息子であっても殺す程の残忍さを持っていました。

 

 

そのため人々は「ヘロデの息子で生まれるよりは、ヘロデの豚で生まれた方がましである」とまで言っていました。(ユダヤ人にとって豚は汚れた動物だったので、食用にされることはなかったからです)

 

 

ルカ23:8ーヘロデ・アンテパスはイエスに会って、直接奇跡を見たいと思っていたので非常に喜びました。

 

 

ルカ23:9ーイエスに会って、興奮気味にいろいろと(直訳:多くのことばで)質問しましたが、イエスは何も答えられませんでした。それは彼がニコデモのように、救いを求めて質問をしたわけではなかったからです。聞く耳を持たない者には、主は多くは語られませんでした。

 

 

ルカ23:10ー祭司長と律法学者たちは、ますます激しくイエスを訴えていました。

 

 

ルカ23:11ーヘロデ・アンテパスは、イエスが何も答えないので、兵士たちといっしょにイエスを辱めたあげく、はでな衣を着せて総督ピラトのもとに送り返しました。自分の思い通りにならない腹いせのようですね。

 

 

ルカ23:12ーこの日を境に、今までは敵対していたローマ総督ピラトとヘロデ・アンテパスは仲良くなりました。それは、イエスという共通の敵を持ったからです。

 

 

5)総督ピラトの法廷での最終審。

 

 

マタイ27:24ー水を取り寄せ、手を洗って…手を洗うという儀式は、ユダヤ人が死体が発見された時に、その近隣の町が無実であることを証明するためにした儀式です。

 

 

総督ピラトが恐れたものは、何でしょう?たとえ手を洗って責任がないことをアピールしても、彼はイエスの死に対する責任が消えるわけではありません。使徒信条の中には、はっきりと「ポンテオ・ピラトのもとに十字架につけられ…」と名を残しています。

 

 

マタイ27:25この時「その人(イエス)の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもよい。」と言った世代は、その言葉通りAD70年にローマ軍によって滅ぼされました。

 

 

マタイ27:26ー総督ピラトはバラバを釈放しました。人の子としてのイエスは、このバラバの身代わりとなって死んだのです。そして神の子としてのイエスは、わたしたちを含む全人類の身代わりとなって死んでくださったのです。神の救いのみわざは既になされました。あとは、私たちの応答です。

 

 

ここでの鞭打ちは、ローマ人の鞭打ちで残酷なものです。cf ルカ22:63ーここでの鞭打ちは、ユダヤ人の鞭打ちで最高でも39回まででした。十字架は、ローマ人の最高刑でした。

 

 

こうして、イエスの裁判の判決が下りました。罪のない方が「十字架による死刑」となることが、確定したのです。 それが木曜日の夜中〜金曜日の朝にかけてであり、時をあけずに朝9時には十字架につけられました。受難週には十字架だけでなく、主が受けられた不当な裁判にも思いを馳せてみましょう。

 

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