ダニエル書は旧約聖書の預言書の一つですから、『太陽暦のヘブル歴』による計算をしなくてはならないのです。つまり旧約聖書においても預言解釈においても、『1年=360日』で計算すべきです。
引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから…これが計算の起点です。
この『命令』を
①BC538年のクロス王の勅令とするのか…cf エズラ記1:1~4。
②BC457年アルタシャスタ王が、イスラエルの民のエルサレム帰還許可を与えた年とするのか…cf エズラ記7:11~26。
どちらを取るのかにより意見の相違がありますが、この数字を字義通りとると、アルタシャスタ王の第七年(BC457年)に出た命令となります。
すると、まず命令が出されてから(7週…7X7=)最初の49年の間に、イスラエルの民は祖国に帰還し、エルサレムの町と神殿を再建します。(城壁は後にネヘミヤが再建した。ーcf ネヘミヤ記2~3章)これによりイスラエルの民は、再び神殿礼拝を回復することになりました。
『油そそがれた者、君主』であるメシアが来られるのは、神殿が再建されてからさらに62週(62 x 7=)434年後ということになります。この62週(434年)の間、異邦人の支配下に置かれ『苦しみの時代』が続きました。
メシア到来までの7週と62週の間にギャップはなく、計69週は連続しています。
つまり、BC457年にアルタシャスタ王から帰還命令が出されてから、7週+62週(69 x 7=)483年後に『油そそがれた者、君主』であるメシアが来られるということになり、時はAD26年になるわけです。
イエスの誕生はBC4年ですから、AD26年は『およそ30歳』公生涯を始められた年になる計算です。
cf ルカ3:23aー教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。
*ダニエルが残したこの書を学んでいた学者(占星術師)たちが、普通の星とは明らかに異なる星を見つけて、ダニエルの故郷であるユダヤへ旅してきた『東方の博士たち』として聖書の登場してくることになります。
cf マタイ2:1~2ーイエスが、ヘロデの時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
【どこで】
ミカ5:2ーベツレヘム・エフラテよ。
あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、
あなたのうちから、わたしのために、
イスラエルの支配者になる者が出る。
その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。
*『ベツレヘム』という地名はユダだけでなく、ゼブルンの地にもあったので『ベツレヘム・エフラテ』としてユダの地ベツレヘムであることを区別しています。
cf 創世記35:19ーこうしてラケルは死んだ。彼女はエフラテ、今日のベツレヘムへの道に葬られた。
cf ヨシュア記19:10~15ー第三番目のくじは、ゼブルン族の諸氏族のために引かれた。彼らの相続地となる地域はサリデに及び、…略…そしてカタテ、ナハラル、シムロン、イデアラ、ベツレヘムなどの十二の町と、それらに属する村々であった。
この預言が成就しました。
ルカ2:4~7ーヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、
身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
【どのように】
イザヤ7:14ーそれゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして、男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
『処女がみごもっている』というこの預言も成就しました。
ルカ1:26~35ーところで、その六ヶ月目に、御使いガブリエルが神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。…略…そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんせんのに。」
御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
マタイ1:18ーイエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
【どのように生き】
四福音書のどこを読んでも、御子が『インマヌエル』と呼ばれた記録はありません。
では、『インマヌエルと呼ばれる』とは、どういう意味なのでしょうか?
答えは、イザヤ書にあります。
イザヤ9:6ーひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
主権はその肩にあり、
その名は『*不思議な助言者、力ある神、
永遠の父、平和の君』と呼ばれる。
*これが『インマヌエル』の意味です。
御子イエスは、不思議な助言者であり…cf マタイ17:27、力ある神であり…cf マタイ16:16、永遠の父であり…cf ヨハネ10:30、平和の君です…cf ヨハネ14:27。
詩篇23:1ー主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
cf ヨハネ10:11ーわたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。
cf ヨハネ10:14ーわたしは、良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。
【どのように死ぬか】
イザヤ53章→1ペテロ2:19~25ー人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。
罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。
あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
【復活】
ヨハネ2:19ーイエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは三日でそれを建てよう。」
cf ヨハネ2:21ーしかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。
ヨハネ10:18ーだれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。
*主ご自身が『自分からいのちを捨てる。それを捨てる権威があり、この命令を父から受けた』と言われる以上、ゲッセマネの園での祈りの『この杯を取りのけてください。」と祈られた『杯』が十字架の痛み、苦しみのはずがありません。御父との『霊的断絶』を『杯』として言われたのです。
これらの預言も成就されました。
マルコ16:2ーそして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。
マルコ16:6ー青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。
パウロは後に、『最も大切なこと』(福音)として記しています。
1コリント15:3~5ー私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
このように、神の御子キリスト・イエスの誕生、生涯、死、復活など、すべてが旧約聖書の預言書の中でその誕生の何百年も前に預言されており、初臨でそのすべてが成就しました。