サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

クリスマス(7)~シメオンと女預言者アンナ~

【シメオン】

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生まれてすぐ、ベツレヘムの羊飼いたちの訪問を受け、生後八日目に『割礼』を受けられた後、東方の博士たちの訪問を受ける前の出来事が、ルカ2:22~38に記されています。

 

ヨセフは正しい人であったので(cf マタイ1:19)律法に忠実に従って、妻マリヤとともに幼子を連れて、エルサレムの神殿にやってきました。それはモーセの律法に基づいてのことでした。cf レビ記12:2~8

 

cf レビ記12:2ー女が身重になり、男の子を産んだときは、その女は七日の間汚れる。その女は月のさわりの不浄の期間のように汚れる。

cf レビ記12:4ーその女はさらに三十三日間、血のきよめのために、こもらなければならない。そのきよめの期間が満ちるまでは、聖なるものにいっさい触れてはならない。また聖所にはいってもならない。

 

cf レビ記12:6ー彼女のきよめの期間が満ちたなら、それが息子の場合であっても、娘の場合であっても、その女は全焼のいけにえとして一歳の小羊を一頭と、罪のためのいけにえとして家鳩のひなか、山鳩を一羽、会見の天幕の入口にいる祭司のところに持って来なければならない。

 

ルカ2:22ー彼らのきよめの期間ーマリヤは男の子を産んだので、きよめの期間は七日+三十三日間=四十日になり、それが満ちたときというのは『産後41日目』ということになります。

 

ルカ2:23ーcf 出エジプト記13:2ー「イスラエル人の間で、最初に生まれる初子はすべて、人であれ家畜であれ、わたしのために聖別せよ。それはわたしのものである。」と書いてあるとおりです。

 

ルカ2:24ーイエスの両親は主の律法に従い『山ばと一つがい、または家ばとのひな二羽。』を捧げるためであった。…cf レビ記2:24ーしかし、もし彼女が羊を買う余裕がなければ、二羽の山鳩か、二羽の家鳩のひなを取り、一羽は全焼のいけにえとし、もう一羽は罪のためのいけにえとしなさい。祭司は彼女のために贖いをする。彼女はきよめられる。

 

イエスの両親は羊を買う余裕のない、貧しい家庭であったことが分かります。

 

ルカ2:25エルサレムの神殿には『シメオン』という一人の老人がいました。聖書はこの人のことも『正しい』『敬虔な人』と記しています。

 

イスラエルの慰められることを待ち望んでいた…約束のメシアの到来を待ち望んでいた、ということ。

 

【三重の聖霊の働き】

①霊が彼の上にとどまっておられた…メシアであるイエスが誕生されたものの、まだ赤ん坊で十字架まで30年以上ありますから、この時点では『旧約の律法の時代』になります。

したがって、聖霊は『内住』ではなく『彼の上にとどまっていた』のです。

 

聖霊の内住は、教会時代(恵みの時代)のキリスト者のみです。そして『教会時代のキリスト者』のみが『キリストの花嫁』になれるのです。

 

ルカ2:26聖霊のお告げ…『主のキリストを見るまでは、決して死なない。』

 

ルカ2:27③御霊に感じて…彼は、宮(神殿の境内)にはいった。

幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習守るためにはいって来ました。イエスの両親は、神を畏れる敬虔な信仰を持っていたことがわかります。

 

他にもイエスの両親と同じように宮にやって来た家族はいたでしょう。その中で御子イエスの家族を見つけたというのは、御霊の働き以外のなにものでもありません。

 

ルカ2:28ーシメオンは幼子イエスを腕に抱き、神をほめたたえて言いました。32,34~35節のことばから、シメオンは『神の預言者』であることがわかります。

 

ルカ2:29ーシメオンの地上での人生の最大の願い(目的)は、メシアの到来をその目で見ることでした。

メシアである幼子イエスを腕に抱き、思い残すことは何もないと告白しています。

 

ルカ2:30~31ーイエスこそ神が万民のために備えられた『御救い』だと告白しています。

まだ生後一ヶ月くらいの小さな赤ん坊にこのような告白をしているのです。

 

ルカ2:32ーイエスは『異邦人を照らす光』…救いは異邦人にも及びます。

『御民イスラエルの光栄』…イスラエルに救いの福音をもたらします。

 

ルカ2:33ーイエスの両親は、幼子についていろいろ語られることに驚きました。

 

ルカ2:34ー『シメオンは両親を祝福し、マリヤに言った』とありますが、その内容は一見『祝福』という感じはしませんが、なぜそれが祝福なのでしょう?

 

cf マタイ21:44ーまた、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。

 

cf1コリント1:23~24ーしかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、

しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。

 

ルカ2:35ー御子の十字架の預言。母マリヤとしては、心が裂かれる思いでしょう。しかし、その十字架の贖いこそがイスラエル人だけでなく、異邦人にも光を与える福音なのです。

 

【女預言者アンナ】

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ルカ2:36ー女預言者アンナは、アセル族のパヌエルの娘です。

アセル族…cf 創世記49:20ーアシェルには、その食物が豊になり、

彼は王のごちそうを作り出す。

 

アンナは非常に年をとっていました。娘時代の後、結婚しましたが、わずか七年間で夫を亡くしました。

 

ルカ2:37ーその後はやもめとして、84歳になるまで宮を離れず、夜も昼も断食と祈りをもって神に仕えていました。

なんという人生でしょう!! このような老いの過ごし方もあるのです!

 

ルカ2:38ーシメオンが神殿の境内で御子イエスの家族と会ったとき、女預言者アンナもそこにいました。そしてシメオンと同じように、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語りました。彼女もまた、幼子イエスを『メシア』と確信していました。

 

シメオンやこの女預言者アンナにとって『生』と『死』は何を中心に展開されているでしょう?

私たちの人生の中心にも、彼らと『同じもの』があるでしょうか?

考えてみてください。歴史の中心にあるのも『御子イエスの誕生』なのです。私たちは意識する しないに関係なく、御子の内に生かされているのです。

 

コロサイ1:14ーこの御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。

 

十字架の縦の関係は『神と人』、横の関係は『ユダヤ人と異邦人』です。そしてその中心にも神の御子イエス・キリストが仲介者としていてくださることを覚えてくださいますように。