【第一神殿】ソロモンの神殿
建てたいと願ったのはダビデだが、戦で多くの血を流したため、神から「建ててはならない。」と禁じられました。
ダビデは自分が出来ることを考え、建材準備をしました。そして、王位を継承した息子ソロモンが、BC957年にわずか七年半で神殿を完成させました。至聖所に神の栄光あり。
ソロモンにはパロの娘の他に、外国人の700人の王妃と300人のそばめがあり、ソロモンは彼女たちを愛して離れませんでした。晩年、彼女たちは王の心をイスラエルの神から偶像へと移り変わらせ、王は主の命令を守らなかったのです。父ダビデに免じてソロモンの代は守られましたが、息子レハブァムの代に王国は南北に分断されました。
これが北の10部族『イスラエル王国』と南の2部族『南ユダ王国』の始まりです。
北イスラエル王国は、全10王朝20人の王。
南ユダ王国は、ダビデ王朝のみ20人の王(うち4人の善王)が出ました。
そのため第一、第二列王記に王の名前がたくさん登場しますので、北イスラエルの王なのか、南ユダの王なのかに注意して読む必要があります。
BC721年、北イスラエル王国はアッシリア捕囚に引いて行かれ、南ユダ単一王国となりました。
原因は、ヤロブァムの罪(背信)に歩んだことーⅡ 列王記17:22~24。
しかし、南ユダ王国もBC605年に第一次、
BC597年に第二次、
BC586年に第三次バビロン捕囚に引かれて行きました。
ソロモンの神殿は、第三次バビロン捕囚の年、BC586年アブの月の9日に崩壊しました。
バビロン捕囚の主な原因は二つ。
①偶像崇拝の罪ーエレミヤ44:20~23。
②土地の安息を守らなかったためーⅡ 歴代誌36:21。
70年の捕囚生活を経て、BC536年に第一回捕囚からの帰還を果たしました。
【第二神殿】ゼルバベルの神殿
帰還後、ゼルバベルが総督となり第二神殿を建設。
しかし建材もなく、規模も小さく、ソロモンの神殿とは比べものにならない神殿でした。
しかもバビロン捕囚前に神の栄光(シャカイナグローリー)は、天に帰られたまま戻って来ませんでした。
エドム人であるヘロデ大王が、ユダヤ人に恩を売り、自分の王としての権威保持のために大改修工事を行った。このため『ヘロデの神殿』と呼ばれることがありますが、あくまでもゼルバベルの指揮のもと建てられた『第二神殿』です。
シャカイナグローリーはないものの、第一神殿同様神に承認された神殿でした。
神が、バビロンを倒したペルシャのクロス王を通して命じられた『神殿再建』であったのに、シャカイナグローリーが戻って来なかったのは何故でしょう?cf エズラ記1:1~2。
初臨のメシアをユダヤ人が受け入れたなら、イエスはそれでも罪の贖いのために十字架で死に、三日目に復活したら、そのまま第二神殿に着座され『メシア的王国』が始まるはずだったのです。
つまり、第二神殿はシャカイナグローリー をうちに宿したメシアを受け入れる『受け皿』だったわけです。
しかし、ベルゼブル論争http://togetter.com/li/638889により、ユダヤ人はイエスのメシア性を拒否。
そして「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」と、イエスを十字架につけたのだ。その時の彼らの言葉通り、AD70年アブの月の9日ローマ帝国により、神殿は崩壊されました。
それは奇しくも、ソロモンの神殿が崩壊した同月同日でした。
彼らは国を負われ、1948年の再建国まで離散の民となりました。マタイ27:25。
ヘロデ大王が大補修工事を行なった際、ユダヤ人が携わった西壁以外はすべて金で覆われていました。ローマ軍が神殿を攻めた時に火を放ち、金はすべて溶け落ち、城壁の石の間に流れ込みました。冷えて固まった頃、戻って来たローマ軍により、石が一つ一つ崩され金がかき集められたのです。
金で覆われていなかった西壁だけが、崩されずに現在でも残っていて『嘆きの壁』とも呼ばれています。西壁の下の方の大きな石は、ソロモンの神殿の時のもの、上の方の小さめの石は、ヘロデの大補修工事時のものとなっています。
現在のエルサレムには『神殿』はありません。なぜなら、私たち信者には『聖霊なる神が内住されている』からです。
ヨハネ4:21ーイエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。
*あなたがた…異邦人との混血となったサマリヤの女の人に言われています。つまり、ユダヤ人も異邦人も『ゲリジム山でも、エルサレムでもない所で御父を礼拝する時が来る』ということ。
ヨハネ4:24ー神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。
1コリント6:19ーあなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まわれる神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを知らないのですか。
ペンテコステの時に『もうひとりの助け主』として聖霊が降臨され、以来、教会時代の信者は聖霊の内住があります。この聖霊の内住のある者だけが『キリストの花嫁』となるのです。やがて、花婿であるキリストがお迎えに来られるのが『携挙』です。その時、教会時代は終わります。
すると、キリストを信じない者だけが地上に残されることになります。
実際には、携挙が先か、神殿建設が先かは聖書にはっきり書かれていないので、正確な順番まではわかりませんが、やがてエルサレムには第三神殿が建つことになります。
【第三神殿】患難時代に建っている神殿
イザヤ66:1〜6(特に3〜4節)にある『あなたがたの建てる家』ーイザヤ66:1ーとは、どの神殿を指すのか?
イザヤ66:3~4ー牛をほふる者は、人を打ち殺す者。
羊をいけにえにする者は、犬をくびり殺す者。
穀物のささげ者をささげる者は、
豚の血をささげる者。
乳香をささげる者は、偶像をほめたたえる者。
実に彼らは自分かってな道を選び、
その心は忌むべき物を喜ぶ。
わたしも、彼らを虐待することを選び、
彼らに恐怖をもたらす。
わたしが呼んでもだれも答えず、
わたしが語りかけても聞かず、
わたしの目の前に悪を行ない、
わたしの喜ばない事を彼らが選んだからだ。
ダビデがソロモンの神殿(第一神殿)建設の準備をしたように、2012年秋 第三神殿建設のための全ての準備が整いました。多くのユダヤ人とラビ的キリスト者が支援している『第三神殿』…ですが、神は承認されません。
それは、神の小羊イエスの十字架の贖いを受け入れない不信仰そのものだからです。
【第四神殿】メシア的王国の神殿
四つの神殿の中で一番大きい神殿。
すでに廃棄されたモーセの律法に基づく『契約の箱』はありませんが、主ご自身がエルサレムに住み、そこから統治され、御国の時代(千年王国)の新しい祭儀法が与えられます。
私たちが待ち望むのは、この【第四神殿】です。
それは神の小羊であるメシアをイスラエル人が記念として思い出すため。