サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

反キリストの勃興 〜ダニエル書7:24b〜

ダニエル7:24b彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。

彼は先の者たちと異なり、

三人の王を打ち倒す。

 

世界が『十の王国』に分裂し、『十人の王が立つ』のに続いて、反キリストが権力の座に就きます。

つまり、患難時代の前に『反キリスト』が現れるということです。これが第七の陣痛です。

 

患難時代の中期になると、『反キリストの名=獣の名』である刻印を反キリストの像(獣の像)を拝む者に押すと預言されています。cf 黙示録13:15~18

 

ヘブル語のアルファベットは22文字からできています。そして、それぞれの文字は、それそれある数字に対応しています。「1、2、3、4、5、6、7、8 、9、10、20、30、40、50、60、70、80、90、100、200、300、400」となります。

 

ヘブル語で書かれた名はすべて、数字に置き換えることが可能です。

ex)イエス・キリストという御名の数字の合計は「749(=7,7x7)」になります。

*7は完全数

 

現在、まだ携挙は起こっておらず、反キリストも現われてはいません。反キリストが現われた時、それが『第七の陣痛』となります。

反キリストの名をヘブル語で表記し、さらに数字に置き換えると、その合計は『666』となります。

 

合計で『666』となる名前はたくさんあるため、実際に反キリストが出現するまでは、その名を予想することは不可能です。しかし、反キリストが現われたとき、このことを知っている者はすぐにその人物が『反キリスト』だと見抜けるのです。

 

クリスチャンの中には、この刻印を「国民総背番号制の番号だ」と考える方がおられますが、神ははっきりと「その数字は、666である。」と言われています。このみことばを無視してはいけません。

 

 

Ⅱ テサロニケ2:1~3ーさて兄弟たちよ。私たちの主イエス・キリストが再び来られることと、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いすることがあります。

霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでにきたかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。

だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。

 

患難時代の前に反キリストが現われることが明らかであり、『主の日=患難時代』の前に二つの出来事が起こると言われています。

 

*主の日…常に患難時代を指す言葉。『日曜日』のことではありません。

もし『主の日』が日曜日であるのなら、聖書が言う日曜日は以下のような日ということになります。

cf イザヤ13:6泣きわめけ。の日は近い。

全能者から破壊が来る。

 

cf イザヤ13:9ー見よ。の日が来る。残酷な日だ

憤りと燃える怒りをもって、

地を荒れすたらせ、

罪人たちをそこから根絶やしにする。

 

cf イザヤ13:13ーそれゆえ、わたしは天を震わせる。

万軍のの憤りによって、

その燃える怒りの日に、

大地はその基から揺れ動く。

 

第1の出来事…「背教」(ギリシャ語:アポスタシア)です。

黙示録3:14~22ラオデキヤ(人々が支配する、の意)の教会の時代の背教は、1,900年代初頭に始まり、20~21世紀における地域教会の特徴になっています。

 

第2の出来事Ⅱ テサロニケ2:3によると『不法の人=滅びの子』の現われがあります。患難時代の前に『反キリスト』が現れる必要があり、それはその時代の信者に対して現われます。

 

そのときまでに「携挙」が起こっているかどうかは分かりません。患難時代のどのくらい前に携挙が起こるかを聖書が述べていないからです。患難時代前に信者に現われるというのは、教会に対してであるか、携挙後に福音を信じた新しい世代の信者に対してであるかは分からないのです。

*携挙(空中再臨)http://osusowake.hatenablog.com/entry/2014/05/08/100705

 

反キリストは、世界が10の王国に分裂した後、患難時代の前に、反キリストが権力の座に就くことは聖書的に必ず起こることです。

患難時代の始まりは、イスラエルと反キリストの間で7年間の契約に署名するときだからです。

反キリストが、そのような契約に署名するに相応しい政治的権力を持っていることが必要です。