1テサロニケ人への手紙4:16~17で『携挙』に触れたパウロは、それがいつ起こるのかについて語ります。
1テサロニケ5:1ーそれらがいつなのか…cf マルコ13:31~33ーこの天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。
cf マタイ24:36ーただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
*なぜ、携挙が起こる『その時』を父しか知らないのか…?
ユダヤ式結婚と関係あるのです。
http://osusowake.hatenablog.com/entry/2013/09/13/084332
1テサロニケ5:2ー主の日…旧約聖書で『主の日』は、すべて『七年間の患難時代』に使われています。
*黙示録1:10ー『主の日』は『Lordian Day』の意味で、和訳上他に訳しようがなかったと理解すべきです。意味としては『主の栄光が満ちた特別な日』であり、患難時代のさばきの時ではありません。
cf ゼパニヤ1:14~18ー主の大いなる日は近い。
それは近く、非常に早く来る。
聞け。主の日を。勇士も激しく叫ぶ。
その日は激しい怒りの日、
苦難と苦痛の日、荒廃と滅亡の日、
やみと暗黒の日、雲と暗やみの日、角笛とときの声の日、
城壁のある町々と高い四隅の塔が襲われる日だ。
cf ヨエル2:1~2ーシオンで角笛を吹き鳴らし、
わたしの聖なる山で時の声をあげよ。
この地に住むすべての者は、わななけ。
主の日が来るからだ。その日は近い。
やみと、暗黒の日。
雲と暗やみの日。山々に広がる暁の光のように数多く強い民。
このようなことは昔から起こったことがなく、
これから後の代々の時代にも再び起こらない。
cf ヨエル2:11ー主は、ご自身の軍勢の先頭に立って
声をあげられる。
その隊の数は非常に多く、
主の命令を行なう者は力強い。
主の日は偉大で、非常に恐ろしい。
だれがこの日に耐えられよう。
*『携挙』がいつ起こるのかは、誰も知りません。
しかし『患難時代の始まり』はわかります。イスラエルと反キリストの七年間の契約の時が、患難時代の幕開けとなります。
cf ダニエル書9:27ー彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が*翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。*翼…七十人訳:神殿
*つまりどのくらいの期間かはわかりませんが、携挙から患難時代の幕開けまでの間、『移行期』があると思われます。
教会時代の霊的覚醒したクリスチャンは、携挙が『夜中の盗人のように来る』ということを知っています。
1テサロニケ5:3ー人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに…患難時代が来ようとは思ってもいないときに、の意。
患難時代の前には反キリストが現われますが、『偽りの平和と安全の期間』があります。反キリストが人々の指示を受け、政治的権力を握る一つの要因となるのでしょう。
『平和と安全』が人々に指示を得るということは、その前に人々が不安に思う社会に一度陥る可能性もあります。平和なときに平和を唱えても、反キリストという一個人がイスラエルという国家相手に契約を結ぶほどの権威を持つとは考え難いからです。
突如として滅びが彼らに襲いかかります…しかし、反キリストはイスラエルと『七年間の契約』を結ぶと、すぐにその契約を反古にし、世界大戦が起こります。
cf 黙示録6:3~4ー小羊が第二の封印を解いたとき、わたしは第二の生き物が、「来なさい。」と言うのを聞いた。
すると、別の、火のように赤い馬が出て来た。これに乗っている者は、地上から平和を奪い取ることが許された。人々が、互いに殺し合うようになるためであった。また彼に大きな剣が与えられた。
1テサロニケ5:4ー患難時代が来る前に『携挙』により、真の信者はみな天に挙げられます。つまり、『主の日』である患難時代が盗人のように襲うことはない、と聖書は言っています。
cf 黙示録3:10ーあなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時*には、あなたを守ろう。*試練の時には…正しくは、『試練の時から』
1テサロニケ5:5ー光の子ども、昼の子ども…『世の光』であるキリスト・イエスを信じる者はみな、光の子どもとなります。
cf ヨハネ8:12ーイエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
一方、未信者は光であるキリストの方に来ようとしないので、『夜や暗やみの者』なのです。
1テサロニケ5:6ー暗やみの中を歩む者(未信者)は、霊的に眠った状態の人々です。この世のことばかりに気をとられて、大事なことを気にかけてはいません。まるで夢の中を歩んでいるようです。
イエスをキリストだと信じる者は、霊的に覚醒した者なのですから、しっかりと目をさましてみことばによって歩みましょう。
1テサロニケ5:7ー眠る者…霊的、道徳的無関心、の意。
酔う者…信者は酒に酔う者としてではなく、御霊に満たされた者として歩むべきです。
1テサロニケ5:8ー信仰と愛を胸当てとして着け…悪魔の策略に対して立ち向かうため。
cf エペソ6:14ーでは、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
救いの望みをかぶととしてかぶって…これから救いが確定するという意味ではなく、すでに『救われている』という確信をかぶととしてかぶって、の意。
cf エペソ6:17ー救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
1テサロニケ5:9ー教会は『主の日』である神の御怒りを恐れる必要はありません。
『主の日』が来る前に『携挙』により、救いの完成を約束されているからです。
1テサロニケ5:10ー私たちが救われたのは、主とともに生きるためです。
1テサロニケ5:11ー救われた者として、互いに励まし合い、互いに徳を高めるようにとパウロは勧めています。
1テサロニケ5:12ー信者の間で労苦し、主にあって指導し、訓戒している人々を重んじ、認めるようにと勧めています。
その前提は、霊的指導者たちが、①忠実にみことばの働きをしていること、②信徒たちを霊的に指導し、訓戒し、教会のために励んでいることです。
1テサロニケ5:13ー対立するのではなく、愛をもって互いの間に平和を保つようにと勧めています。
霊的指導者は、①説教やみことばの学びの働きに労苦し、②教会に集う人々に心を配っているからです。信者はそのことを知るべきであり、
また霊的指導者は、❶信者が常に初歩的な教えだけでは満足していないこと、❷みことばの学びにより霊的に成長したいと願っていることに気づくべきでしょう。
1テサロニケ5:14ー気ままな者を戒め…仕事にも就かずに怠惰な生活を送っている者を戒めること。テサロニケの教会には、終末が近いことを理由にそのような生活をしている人がいました。
小心な者を励まし…愛する者を亡くした悲しみから立ち直れない人や、この世の迫害や誘惑に負けてしまう者、そのためみことばの働きができなくなっている者がいたのでしょう。
弱い者を助ける…信者になったばかりの者や聖書理解が弱い者を助ける。
すべての人に寛容であること…愛の帯によってのみできることです。
1テサロニケ5:15ー悪をもって悪に報いないように…自分で復讐するのではなく、誰に対しても常に善を行なうようにと勧めています。
cf ヘブル10:30ー私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする。」、また、「主がその民をさばかれる。」と言われる方を知っています。
1テサロニケ6:16ー1)いつも喜んでいなさい。…この世でどのような困難や試練が来ようとも、『私はすでにキリストにあって救われている』という確信に立って、初めて喜んでいることができるのです。
cfガラテヤ5:22~23aーしかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。
1テサロニケ5:17ー2)絶えず祈りなさい。…この命令を一日中ひざまずいて祈れと取ってしまうと、日常生活を送ることはできなくなります。ここでの意味は、『常に神に信頼し、神に祈りつつ日常生活を送る』ということです。
1テサロニケ5:18ー3)すべての事について感謝しなさい。…感謝する対象は、人や物ではなく『神』です。ローマ人への手紙のみことばを思い出してください。
cf ローマ5:3~5ーそればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
ローマ8:28ー神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
この約束を知っているからこそ、『すべての事を感謝する』ことができるのです。
1テサロニケ5:19ー4)御霊を消してはいけません。…旧約時代の聖霊の働きは、神のご計画に沿って、ある人にその目的が達成されるまで下り、達成されると天に帰っていくというものでした。ですから、ダビデは罪を犯したとき、次のように祈っています。
cf 詩篇51:11ー私をあなたの御前から、投げ捨てず、
あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。
ここでは聖霊を『火』にたとえ、肉的な思いや不信仰によって『消す』ことのないようにと言っています。主イエスは信者に『助け主』としての御霊を送り、『孤児にはしない。』と言われましたから、種火が消えることはありませんが、お湯を沸かすほどの力がなくなるのです。つまり、神の栄光をあらわせなくなるということにならないように、常に御霊の火を燃やしている必要があります。そのための燃料となるのが、『聖書のみことば』であり『祈り』です。
1テサロニケ5:20ー5)預言をないがしろにしてはいけません。…『預言』は聖霊の賜物のひとつです。しかし、聖書が完成した今、旧約や新約聖書にある預言が全てであり、新たな『預言』が与えられるというものではないでしょう。
今はむしろ、神のことばである聖書のみことばを『預かって、言う。』ことが、教会の徳を高め、霊的に弱っている人を励まし、怠惰な生活を送っている人を矯正し、霊的覚醒、霊的成長へと導きます。
cf 1コリント13:8ー愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。
1テサロニケ5:21ー6)すべてのことを見分けなさい。…『預言の賜物ならばすたれ』『異言の賜物ならばやむ』と聖書は言っています。ならば、それらの賜物を持っていると言う人がいたら、それが神からのものかどうかを見分けるようにと勧めています。
また『すべて』とあるので、奇蹟的なことも神からのものかどうかを見分ける必要があります。
cf Ⅱ テサロニケ2:9~10ー不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、
また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。
7)ほんとうに良いものを堅く守りなさい。…見分けた結果、聖書の教えと一致するものであるならば、それを堅く守る必要があります。みことばがその判断基準です。
1テサロニケ5:22ー8)悪はどんな悪でも避けなさい。…聖書みことばを基準としなければ、自分で『事の善悪を決める』ことになります。それが『自己中心』という原罪なのです。
1テサロニケ5:23ー霊・たましい・からだ …人間が三つの構成要素から成っていることを教えているのではありません。人間の存在すべてが守られるように、という祈りになっています。
救いの原理〜霊・たましい・からだ〜
1テサロニケ5:24ー神は真実なお方です。その神が約束された『救いの完成・聖化の完成』を成し遂げてくださいます。
1テサロニケ5:25ーパウロは指導的立場にありながら、テサロニケの人々に祈りの要請をしています。たとえ信仰の先輩であっても、『とりなしの祈り』を必要としています。祈り無くして、神のための働きはできないのです。
1テサロニケ5:26ー兄弟愛を示すことも必要です。この時代は『聖なる口づけ』が兄弟間の挨拶でした。同じ挨拶というよりは、日本の文化の中にあった礼儀作法をもって、兄弟愛を示しましょう。
1テサロニケ5:27ー当時はパウロたち使徒たちから送られて来た手紙を、回状書簡として諸教会で読まれていました。
神のみことばは広めるためのものです。
1テサロニケ5:28ーパウロはこの書簡を神の恵みを求める祈りで終えています。
私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたとともにありますように。アーメン。