イエスは十字架につけられる前に、夜通し裁判でたらい回しにされ、顔を殴られ、つばきを吐きかけられ、鞭打たれ、またローマの鞭打ちを受けました。
cf マルコ14:65ーそうして、ある人々は、イエスにつばきをかけ、御顔をおおい、こぶしでなぐりつけ、「言い当ててみろ。」などと言ったりし始めた。また、役人たちは、イエスを受け取って、平手で打った。
cf ルカ22:63ーさて、イエスの監視人どもは、イエスをからかい、むちでたたいた。
cf マタイ27:26ーそこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから十字架につけるために引き渡した。
石打ちの刑の執行権は、一時的にユダヤ人から剥奪されていたために、律法学者、祭司長たち、パリサイ人たちは、ローマ法によって死刑にするために、総督ポンテオ・ピラトのもとへ引いて行ったのです。
cf ヨハネ18:31ーそこで、ピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、自分たちの律法に従ってさばきなさい。」ユダヤ人たちは彼に言った。「私たちは、だれを死刑にすることも許されてはいません。」
ローマ兵たちは、イエスの着物を脱がせ、緋色の上着を着せ、また頭にはいばらの冠をかぶせて嘲笑し、もとの着物を着せてゴルゴダへ引いて行きました。
cf マタイ27:27~29ーそれから、総督の兵士たちは、イエスを官邸の中に連れて行って、イエスの回りに全部隊を集めた。
そして、イエスの着物を脱がせて、緋色の上着を着せた。
それから、*いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」
*いばらの冠…神がかぶる王冠が『ダイアデム』ですが、イエスは『いばらの冠』をかぶられました。これは第一の人アダムの罪の結果、土地が受けた『呪い』の象徴です。イエスはこうしてアダムの罪『原罪』をも引き受けてくださったのです。
cf マタイ27:31ーこんなふうに、イエスをからかったあげく、その着物を脱がせて、もとの着物を着せ、十字架につけるために連れ出した。
ローマの鞭打ちに使われる鞭は、先が何本にも別れ、その先端には鉄くずや石、動物の骨などが付いていました。1発打たれる度に肉が裂け、2発目を打つために引き戻す時に、肉が抉られるという非常に残酷な刑でした。
ですからイエスの背中はズタズタに傷ついていたわけです。そこに着物を着せられ、ピラトの官邸からゴルゴダの丘まで歩いて移動したわけですから、傷口は乾燥し、着物にくっつき始めていたことでしょう。
十字架につけられる犯罪人は、無理矢理衣服を脱がされ丸裸にされました。その時、やっと出血が止まったであろう傷も、かさぶたが剥がされるかのように、再び血が吹き出したことでしょう。
ユダヤ人にとって、他者からむりやり衣服を取り去られることは、その人の人格や力を奪うことを意味していました。また、裸は恥ずべきことと見なされていました。宗教画では腰に布をまとい、出血も傷もないきれいな姿のキリスト画に描かれていますが、実際は顔も腫れ上がり、傷だらけでかなりグロテスクだったと思います。
ヨハネ19:23ー十字架のそばには多くの人々がいたと思いますが、自分が群衆の中に混じっているとしたら、または自分もイエスの隣で同じように十字架につけられたとしたら、どのように感じますか?
イエスは何のために、誰のためにこのような屈辱を受けていると思いますか?
当時のローマの習慣では、犯罪人の所持品は死刑執行人である兵士たちの取り分となりました。
*下着…これは縫い目のない高価な『外套』のことです。
ヨハネ19:24ーイエスの着物は、4人の兵士たちが当時の男性の一般的な服装である、①上着、②下着、③頭を覆う布、④サンダルを分け合い、『下着』と訳出されている『高価な外套』を四等分に切って使い物にならなくしないように、くじ引きで決めて、一人が独占しました。
これは詩篇の預言の成就です。
cf 詩篇22:18ー彼らは私の着物を互いに分け合い、
私の一つの着物を、くじ引きにします。
こんなに細かいことまで預言され、その通りにイエスの身に成就していることに対し、どう思いますか?
十字架で今まさに死に行く人の前で、兵士たちのこのような行為に対しどう思いますか?
彼らが十字架につけたのは、何の罪も無い神の御子イエスです。神の御前におけるこのような人間の姿に、何を感じますか?
このような人間のために、イエスは十字架の上から最初に言われたことばがこれです。
ルカ23:34ーそのときイエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らはくじを引いて、イエスの着物を分けた。
兵士たちは、イエスに対してどのような態度を示すべきだったのでしょう?
また、私たちはどのような態度を示すべきだと思いますか?
cf ピリピ2:10~11ーそれは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
ヨハネ19:25ー兵士たちとは対照的に、イエスの母マリヤ、母の姉妹(サロメ…マタイ27:56、マルコ15:40参照)、クロパの妻マリヤとマグダラのマリヤが立っていましたが、彼女たちはどのような思いでそこにいたと思いますか?
特に、母マリヤの胸中を想像してみましょう。(受胎告知からイエスの幼少時代、夫ヨセフ亡き後の長男としてのイエス、公生涯に出られてからのイエスとの関わり方なども考慮して、マリヤの気持ちを考えてみましょう。)
もしこの場にいたら、あなたは誰の立場に一番近いと思いますか?