時々、日曜日のことを『主の日』と呼ぶ方がおられますが、聖書は日曜日のことを『週の初めの日』と呼んでいます。
もし『主の日』が日曜日を指すとしたら、以下の聖句をどう理解すべきでしょう?
イザヤ2:12ーまことに、万軍の主の日は、
すべておごり高ぶる者は、すべて誇る者に
襲いかかり、これを低くする。
*『日曜日』毎に、すべておごり高ぶる者が、誇る者に襲いかかってはいません。
イザヤ13:6ー泣きわめけ。主の日は近い。
全能者から破壊が来る。
*『日曜日』毎に、全能者から破壊が来ることになってしまいます。
イザヤ13:9ー見よ。主の日が来る。残酷な日だ。
憤りと燃える怒りをもって、
地を荒れすたらせ、罪人たちをそこから根絶やしにする。
*『日曜日』が残酷な日となり、キリストにあって罪が赦されていない家族や友人は根絶やしにされてしまいます。
イザヤ13:13ーそれゆえ、わたしは天を震わせる。
万軍の主の憤りによって、
その燃える怒りの日に、
大地はその基から揺れ動く。
*『日曜日』毎に、大きな地震が来ることになります。
ヨエル1:15ーああ、その日よ。主の日は近い。
全能者からの破壊のように、その日が来る。
*『日曜日』は七日毎に来るのに『主の日は近い』?!
ヨエル2:11ー主は、ご自身の軍勢の先頭に立って
声をあげられる。
その隊の数は非常に多く、
主の命令を行なう者は力強い。
主の日は偉大で、非常に恐ろしい。
だれがこの日に耐えられよう。
*『主の日』には耐えられないほどの恐ろしい日だと言っています。
アモス5:18ーああ。
主の日を待ち望む者。
主の日はあなたがたにとっていったい何になる。
それはやみであって、光ではない。
*『主の日』はやみであって、光ではない…!?
『主の日』という言葉は、日曜日のことではなく、全く別な意味を持っています。
それは『七年間の大患難時代』を指す言葉なのです。だから、全能者なる神からの破壊が来る時であり、残酷な日であり、主の燃える怒りの日と言われるのです。
他にも様々なことばで聖書には表現されています。
【ヤコブの苦しみの時】
エレミヤ30:7ーああ。
その日は大いなる日、比べるものもない日だ。
それはヤコブにも苦難の時だ。
しかし彼はそれから救われる。
【ダニエルの七十週目】
ダニエル9:27ー彼は一週の間、多くの者と固い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。
【試練の時】
黙示録3:10ーあなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。
【御怒りの大いなる日】
黙示録6:17ー御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。
大患難時代の目的は三つありますが、一番は『イスラエルを民族的に回心させること』です。それにより、次の『メシア的王国=千年王国』へと時代が移っていくことになります。大患難時代までは異邦人が中心でしたが、メシア的王国ではイスラエルが中心となります。なぜなら再臨の主キリスト・イエスが、エルサレムの(第四)神殿から世界を統治されるからです。
【大患難時代の目的】
1)邪悪な行為と、それを行なう者たちを一掃するため。
聖書が示す『4』という数字は、完全な破壊を意味する数です。また『7』は完全数として知られています。
黙示録によると、大患難時代には四つの裁き…『七つの封印の裁き』『七つのラッパの裁き』『七つの雷』『七つの鉢の裁き』が預言されています。
2)世界規模の大リバイバルを来たらすため。
現在の教会時代に求められているのは、『主イエスを第一にする信仰』ですが、患難時代には『命がけの信仰』です。なぜなら迫害により、命を落とすことになるからです。
マタイ10:37ーわたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
黙示録2:10bー死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
*大患難時代前半の3年半は、異邦人にリバイバルが起きますが、次々と迫害により殉教していきます。(後半はイスラエルのレムナントの救いー民族的回心が起こります。)
黙示録6:9~11ー小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい。」と言い渡された。
黙示録11:7ーそして彼らがあかしを終えると、底知れぬ所から上って来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺す。
黙示録12:11ー兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしもことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
黙示録13:7ー彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。
黙示録13:15ーそれから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
黙示録14:13ーまた私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放たれて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」
黙示録17:6ーそして、私はこの女が、聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見たとき、非常に驚いた。
黙示録18:24ーまた、預言者や聖徒たちの血、および地上で殺されたすべての人々の血が、この都の中に見いだされたからだ。」
このように黙示録には、患難時代の信者たちが次々に殉教していくことが預言されています。それでも『患難時代の殉教者は幸いだ』と言われるのは、メシア的王国に入る前に復活するからです。千年王国の住民となるからです。
しかし、もっと『幸い』なのは、携挙が起こる前にキリストを信じた者たちです。迫害に会うことなく、生きたまま『キリストの花嫁』として天に挙げられるからです。
3)イスラエルの民(ユダヤ人たち)の頑なさを打ち壊すため…民族的回心。
イスラエルの残りの者(レムナント)が救われ、民族的回心が起きるのは、キリストの地上再臨の三日前です。三日間かけてレムナントは悔い改め、メシアを待ち臨む準備が整ったときに、彼らの祈りに応えて主が再臨されます。
ホセア5:15~6:3ー彼らが自分の罪を認め、
わたしの顔を慕い求めるまで、
わたしはわたしの所に戻っていよう。
彼らは苦しみながら、わたしを捜し求めよう。
「さあ、主に立ち返ろう。
主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、
私たちを打ったが、
また、包んでくださるからだ。
主は二日の後、私たちを生き返らせ、
三日目に私たちを立ち上がらせる。
私たちは、御前に生きるのだ。
私たちは知ろう。
主を知ることを切に追い求めよう。
主は暁の光のように、確かに現われ、
大雨のように、私たちのところに来、
後の雨のように、地を潤される。」
マタイ23:39ーあなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」
ダニエル12:7ーすると私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を来た人が語るのを聞いた。彼は、その右手と左手を天に向けて上げ、永遠に生きる方をさして誓って言った。「それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民の勢力を打ち砕くことがおわったとき、これらすべてのことが成就する。」
ローマ11:26ーこうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。
「救う者がシオンから出て、
ヤコブから不敬虔を取り払う。
このように『主の日』とは、邪悪な時代とそれを行なう者たちを一掃し、地の果てまで福音が宣べ伝えられ、世界規模での大リバイバルを起こし、ユダヤ人の民族的回心を起こすための『七年間の大患難時代』を指す言葉です。
*黙示録3:10ーあなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。 *新共同訳 今、イエスを信じ、そのみことばに聞き従う者は『試練の時』から守ってくださると約束されています。
願わくば、『大患難時代』に入る前の『教会時代』のうちに、イエスを救い主だと信じる者が大ぜい起こされますように。