サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

大祭司カヤパの預言 〜ヨハネ11:45~53〜

文脈からの流れは、

ラザロのよみがえり(1) 〜ヨハネ11:1~17〜 - サザエのお裾分け

ラザロのよみがえり(2) 〜ヨハネ11:18~29〜 - サザエのお裾分け

ラザロのよみがえり(3) 〜ヨハネ11:30~44〜 - サザエのお裾分け

 

ヨハネ11:45~46そこで、マリヤのところに来ていて、イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人が、イエスを信じた。
しかし、そのうちの幾人かは、パリサイ人たちのところへ行って、イエスのなさったことを告げた。

イエスの親しい友人である、ベタニヤのラザロがよみがえった奇蹟を見た人々の反応です。

ユダヤユダヤ教徒たちのこと。

 

イエスのみことばに従う信仰を持っていたのは、ラザロとマリヤでした。( _ 部:信仰的なことをあらわす時には『マリヤ』の名前が用いられています。)


姉のマルタは、イエスのことばを聞くよりは、おもてなしに忙しくしていたりルカ10:38~42みことばに従わずに言い訳してヨハネ11:39~40信仰が足りない者でした。

*私たちも気をつけなくてはいけない点です。教会での奉仕に忙しくして、メッセージは聞けないようでは、主を喜ばせることはできません。

 

信仰的なマリヤのところに来ていた人々は、ラザロのよみがえりという奇蹟を見たのです。そして多くのユダヤ人たちがイエスを信じるという祝福に与りました。

 

しかし、ユダヤ人の中の幾人かは、パリサイ人たちのところへ、密告しに行きました。
*行ってギリシャ語 直訳:(イエスから)立ち去る。

ヘブル4:2福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益となりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。

 

サドカイ派祭司階級の人々。モーセ五書にのみ権威を認めた。天使や死者の復活は信じないマルコ12:18~27。 親ローマ。

パリサイ派民衆の指導者たち。モーセ五書、預言書、口伝律法の全てに権威を認めた。天使や死者の復活も信じる使徒23:6~8反ローマ。

 

*同じユダヤ教でも、対ローマの姿勢や復活信仰の件では反目していました。

 

ヨハネ11:47そこで、祭司長とパリサイ人たちは議会を招集して言った。「われわれは何をしているのか。あの人が多くのしるしを行っているというのに。

*議会ユダヤ最高議会:サンヘドリン。

*普段は反目しているサドカイ派である祭司長とパリサイ人たちが、ともに議会を招集しました。

 

ヨハネ11:48もしあの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる。」

*あの人…イエス。

*土地サドカイ派の職場である神殿。

*彼らは、土地も国民も奪い取られることが心配でした。

 

ヨハネ11:49~50しかし、彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは全然何もわかっていない。
ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」

 

*その年の大祭司カヤパ(AD18~36)…前任者アンナスの養子。本来律法では大祭司はひとりだけですが、しゅうとのアンナス(AD6~15年)も隠然たる力を持っていました。cf ヨハネ18:13

*ひとりの人が民の代わりに死んで…大祭司カヤパは、イエスが死ねばいいと思っていました。
そうすれば、イエスについていた民衆も再びパリサイ人たちに従うようになり、ローマから反対分子の疑いがかけられなくなる。つまり、自分たちの地位も安泰であると考えたのです。

 

ヨハネ11:51~52ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、
また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。

 

ここの解釈は、神学的には分かれるかもしれません。

*国民ギリシャ語:エスノス。イスラエルと異邦人の両方を指す言葉ですが、聖書では多くの場合『イスラエル』に対して使われています。

*散らされている神の子たち新約では『離散しているユダヤ人たち』のこと。

*散らされているギリシャ語:ディアスコーピゾー。撒き散らす、の意。
語幹:ディアスポラ離散ユダヤ人たち。新約聖書では3回ーヨハネ7:35, ヤコブ1:1, 1ペテロ1:1。
アッシリア捕囚、バビロン捕囚から帰還しなかった人々の子孫。主に、失われた北イスラエルの十部族。

 

エゼキエル37:19~22ー彼らに言え。神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、エフライムの手にあるヨセフの杖と、それにつくイスラエルの諸部族とを取り、それらをユダの杖に合わせて、一本の杖とし、わたしの手の中で一つとする。

あなたが書きしるした杖を、彼らの見ている前であなたの手に取り、
彼らに言え。神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、イスラエル人を、その行っていた諸国の民の間から連れ出し、彼らを四方から集め、彼らの地に連れて行く。

わたしが彼らを、その地、イスラエルの山々で、一つの国とするとき、ひとりの王が彼ら全体の王となる。彼らはもはや二つの国とはならず、もはや決して二つの王国に分かれない。

 

*エフライム、ヨセフ…北イスラエルのこと。

イスラエルの諸部族北の十部族=ルベン、シメオン、レビ、ゼブルン、イッサカル、ダン、ガド、アシェル、ナフタリ、ヨセフ族。

*ユダ…南ユダのこと。(南のニ部族=ユダとベニヤミン族

 

ヨハネ11章の文脈とエゼキエルの預言を考慮すると、第一義的には『国民…(主に南ユダにいる)ユダヤ人たち』と『散らされている神の子たち…離散しているユダヤ人たちとなり、
また、第二義的にはユダヤ人と異邦人となります。

 

*集めるギリシャ語:スナゴー。(スナゴーグ…会堂、の意。)英語では、シナゴーグ

 

ヨハネ11:53そこで彼らは、その日から、イエスを殺すための計画を立てた

*それまで、天使や死者の復活、ローマに対する姿勢の違いから反目し合っていた、サドカイ派パリサイ派が『イエスを殺すこと』で協力し合うことになりました。

自分たちの安泰な生活を守る方が、彼らにとってはイエスに聞き従うより大事だったのです。キリストへの養育係(ガラテヤ3:24)のはずの律法を教え、民を導くはずの指導者たちでしたが、イエスはこう言われます。

 

マタイ6:33だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

 

マタイ10:37わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。

 

マタイ12:30わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めないものは散らす者です。

 

マタイ7:13~14ー狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。