サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

できることをする 〜ヨハネ12:1~11〜

エスの足に香油を塗り、髪の毛で拭った女』と聞くと、誰を思い浮かべますか?

多くの人は、ルカ7:36~50の『罪深い女』を思い浮かべることでしょう。しかし、聖書をよく読むと、この罪深い女は『涙で御足をぬらし、髪の毛でぬぐい、御足に口づけしてから香油を塗った』ことがわかります。

 

聖書を読み、理解するには、面倒でも関連箇所と読み比べることが必要です。時には、日本語の違う訳出の聖書や英語の聖書で同じ箇所を確認することも、とても助けになります。

 

ルカ7:38ー泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。

 

このことは、あるパリサイ人の家での出来事でした。

パリサイ人シモンとひとりの罪深い女 〜ルカ7:36~50〜 - サザエのお裾分け

 

一方、ヨハネ福音書12章での『イエスの足に香油を塗り、髪の毛で拭った女』とは、イエスが親しく付き合っていたベタニヤのラザロの姉妹(マルタとマリヤ)の『マリヤ』です。行為が似ていて混同しがちだからこそ、注意深く読み、理解することが大切な箇所ですね。

 

ヨハネ12:1エス過越の祭りの六日前ベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。

 

過越の祭りの六日前この過越の祭りで、イエスは十字架につくことになります。

*ベタニヤエルサレムから約3km程(徒歩で約45分ほど)離れた、ヨルダン川の東側にある村。

十字架直前にイエスは、ベタニヤのラザロたち共に過ごされた。

 

ヨハネ11:18ベタニヤはエルサレムに近く、三キロメートルほど離れた所にあった。

 

ヨハネ福音書には書かれていませんが、イエスが食事をとられたのは、ベタニヤの『らい病人シモンの家』でした。シモンがラザロの兄弟であれば、ラザロやマリヤの家であったでしょうし、兄弟でなければ同じ村のシモンの家ということになります。聖書はそれ以上の情報は与えてないので、深く詮索する必要はないでしょう。

マタイ26:6さて、イエスベタニヤで、らい病人シモンの家におられると、

 

ヨハネ12:2ー人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。

 

*マルタは給仕していた…イエスが来られると、マルタは話しに耳を傾けるより、人間的なもてなしをすることに一生懸命だったようですね。それが信仰から出た『賜物』を用いているのならよいのですが…忙しく給仕することが、必ずしも信仰のあらわれとは限りません。

 

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*ラザロ…イエスに蘇らせていただいた彼は、イエスと共に食事(交わり)をしていた。

 

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ヨハネ12:3マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった、家は香油のかおりでいっぱいになった。

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*純粋ななるどの香油…とても高価な物。ナルドの香油を試した方の話では、お湯に1〜2滴たらしただけで、礼拝堂全体にその香りが漂い、中にはその匂いがきつく感じて外に出る方までいたそうです。

 

*三百グラム…直訳:1リトラ。326~328g、約缶ジュース1本分。

 

*マリヤはこのとき、涙は流していません。イエスの御足に塗ったのは『ナルドの香油』だけです。

ヨハネ福音書では、『御足』とありますが、マタイやマルコの福音書によれば、御足だけでなく『頭に注いだ』とあるので、缶ジュース1本分ものナルドの香油を頭からかけたことになります。(う〜ん、後始末が大変そうだ…💦)

 

マタイ26:7ひとりの女がたいへん高価な香油のはいった石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。

 

マルコ14:3ーイエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、食卓に着いておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、エスの頭に注いだ。

 

*石膏のつぼ…これもヨハネ福音書にはない情報です。マリヤが持ってきた、高価なナルドの香油は『石膏のつぼ』に入っていました。

 

ヨハネ12:4ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。

 

イスカリオテ・ユダヨハネ福音書では、イスカリオテ・ユダだけが代表で名前が挙げられていますが、マタイやマルコの福音書を見ると、他にも憤慨した弟子たちがいました。

 

マタイ26:8a弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。

マルコ14:4aすると、何人かの者が憤慨して互いに言った。

 

ヨハネ12:5「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」

 

*三百デナリ…労働者の1日分の賃金が『1デナリ』ですから、10ヶ月分の賃金ということになります。現在の金額にすると、缶ジュース1本分のナルドの香油は『270~300万円相当』ということになるでしょう。 

 

イスカリオテ・ユダのこの発言は、オーバーリアクションです。人はやましさがあると、必要以上に喋ったり、その場から逃げ去ったりするものです。ユダはこの時、心にやましさを持っていました。それは…。

 

ヨハネ12:6しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。

 

マタイ26:14~15ーそのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が祭司長たちのところへ行って、

こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。

 

*これは、ゼカリヤ書の預言の成就です。

ゼカリヤ11:12~13私は彼らに言った。「あなたがよいと思うなら、私に賃金を払いなさい。もし、そうでないなら、やめなさい。」すると彼らは、私の賃金として、銀三十シェケルを量った。

は私に仰せられた。「彼らによって、わたしが値積もりされた尊い価を、陶器師に与えよ。そこで、私は銀三十を取り、それをの宮の陶器師に投げ与えた。

 

*銀貨三十枚…奴隷一人分の値段でした。

出エジプト記21:32もしその牛が、男奴隷、あるいは女奴隷を突いたなら、牛の持ち主はその奴隷の主人に銀貨三十シェケルを支払い、その牛は石で打ち殺されなければならない。

 

 

イスカリオテ・ユダは、金入れの金を盗んでいただけではなく、主であるイエスを奴隷の代価である銀貨三十枚で売ろうとしていました。しかしそのことを隠して、皆の前で善人ぶって、マリヤを咎めたのです。それに対し、イエスはマリヤを擁護しています。

信仰のないユダからの責めを、イエスはマリヤの信仰を認めて擁護してくださったのです。

 

ヨハネ12:7エスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。

 

*そのままにしておきなさい…イエスは、マリヤの行為を止めませんでした。

マリヤはイエスの話しに熱心に耳傾け、イエスがメシアであることを理解し、信じていたのです。

 

イザヤ53:8ーしいたげと、さばきによって、は取り去られた。

彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。

がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、

生ける者の地から絶たれたことを。

 

ユダヤ人の学校では、この『彼』=『イスラエル』と教えています。しかし、ここは文脈からも『彼』が単数形であることからも、『メシア』を指すことは明白です。

 

*イザヤは、メシア誕生の700年も前に、『メシアが死ぬこと』を予言していました。

しかしイエスの時代の人々は、『彼の時代の者で、だれが思ったことだろう』とある通り、人々は『メシアは永遠にいつもおられる』と信じていました。

メシアが死ぬことを信じる信仰を持っていたのは、イエスの弟子たちでもなく、ベタニヤのマリヤだけだったのかもしれません。

 

ヨハネ12:34そこで、群衆はイエスに答えた。「私たちは、律法で、キリストはいつまでも生きておられると聞きましたが、どうしてあなたは、人の子は上げなれなければならない、と言われるのですか。その人の子とはだれですか。」

 

*当時のユダヤ人たちは、メシアは『死なない』と聞いていたのです。

聞いたことをを鵜呑みにするのではなく、聖書のみことばで確認することが大事ですね。

 

使徒17:11ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

 

*メシアが『いつまでも生きておられる』というのは、十字架の死からの復活後のことです。

 

*葬りの日のために…死体の腐敗臭を消すための準備。

ヨハネ19:40そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料と一緒に亜麻布で巻いた。

 

マリヤは信仰により、高価なナルドの香油をイエスの葬りのために準備していたのです。それが、マリヤに出来ることでした。

 

マルコ14:8~9この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。

まことに、あなたがたにつげます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられるところなら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

 

*私たちが今なすべきことは、イエスの葬りの準備ではありません。伝道し、霊的覚醒し、携挙の準備なのです。それは私たちが伝道することにより、福音を聞いた異邦人が悔い改めてキリストを信じることが『携挙』につながることになるからです。

 

ローマ11:25~26(新共同訳)ー兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、

こうして全イスラエルが救われるということです。

 

*教会時代の異邦人信者の『マラナタ。(主よ、来てください。)』という祈りに答えて起こるのが、携挙(空中再臨。花婿のお迎え。)であり、患難時代のユダヤ人のレムナント(残りの者)の『ホサナ』の祈りに答えて起こるのが、王なるキリストの地上再臨です。

 

Ⅱペテロ3:12aそのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのをはやめなければなりません。

 

ヨハネ12:8あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」

 

*まだこの先も地上で生きて行く弟子たちは、貧しい人たちに施しをする機会はいくらでもあるが、あと七日後には十字架での死を迎えるイエスとは、いつもいっしょにいるわけではありません。

 

ヨハネ12:9大ぜいのユダヤ人の群れが、イエスがそこにおられることを聞いて、やって来た。それはただイエスのためだけではなく、イエスによって死人の中からよみがえったラザロを見るためでもあった。

 

*9〜10節は、その翌日の出来事です。

 

ヨハネ12:10祭司長たちはラザロも殺そうと相談した。

 

*ラザロも…すでに祭司長、パリサイ人たちはイエスを殺そうと決めていました。

 

ヨハネ11:53そこで彼らは、その日から、エスを殺すための計画を立てた。

 

ラザロをも殺そうとした理由は…、

 

 

ヨハネ12:11それは、彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからである。

 

私たちが、妬みでイエスを信じる信仰から離れることがありませんように。