聖書には難解箇所がいくつかあります。ルカの福音書16章1〜13節もそのうちの一つでしょう。『不正な管理人の抜け目のないやり方を褒めた』という意味が、どうしてもひっかかる、解せない、という方は多いと思います。
その理由の一つとして、ルカ16:8の新改訳聖書の訳出に問題があること、また『ディスペンセーション』の意味を理解していないことがあると思います。
『ディスペンセーション』とは『家の管理』という意味で、私たちクリスチャンは『神の家の管理人』となったのです。 また、ルカ15章でイエスは、まだキリストの弟子となっていない取税人や罪人たちに向かって、①1;99の羊、②1:10の銀貨、③1:2の息子のたとえ話をしています。その流れの中で、16章は弟子たちに向かって『すべき事』をたとえで語られています。 それらを踏まえて、読み進めていきましょう。
ルカ16:1ーイエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。
*ある金持ちのひとりの管理人は、『主人の財産を乱費する』という罪を犯しました。
*ある金持ち…ユダヤ人たちは『譬え話』に個人名は使いませんが、イエス様が譬え話をなさる時は、御国のことをわかりやすく教えられる時に用いられますから、そこには『真理』があることを知っておくべきでしょう。
ヨハネ3:12~13ーあなたがたは、わたしが地上のことを話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、どうして信じるでしょう。
だれも天に上った者はいません。しかし、天から下った者はいます。すなわち人の子です。
*わたし…新改訳聖書では、神(御父、神子)のことは、ひらがなで『わたし』、人間のことを『私』と漢字で表記して区別しています。
*人の子…福音書では『イエス』を指し、エゼキエル書では『エゼキエル自身』を指す言葉。
マタイ13:13ーわたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。
*群衆はその目でイエスを見ていても、霊的にイエスを『神の子』として見ることはなく、イエスの話を耳で聞いてはいても、霊的に『神のことば』として聞く(理解する)ことはなく、イエスを『メシア』だと悟ることもしない、の意。
マルコ4:34ーたとえによらないで話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちにだけは、すべてのことを解き明かされた。
*イエスのことを理解できない群衆とは別に、弟子たちにはたとえ話の意味を解き明かされました。それは後に彼らが、福音伝道へと遣わされるためでした。
ルカ16:2ー主人は、彼を呼んで言った。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。』
*主人は、管理人がどのくらい財産を乱費したのかを知ろうと、会計報告書を出すように命じました。
ルカ16:3ー管理人は心の中で言った。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力がないし、物ごいをするのは恥ずかしいし。
*管理人は、職を失うと心配になりました。他に出来る仕事はないと思っています。
ルカ16:4ーああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』
*そこで管理人は、いつクビになってもいいように、職を失った時のためにある準備をすることにしました。
ルカ16:5ーそこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、まず最初の者に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言うと、
*管理人は、主人の債務者たちに恩を売ろうと思ったのです。
ルカ16:6ーその人は、『油百バテ』と言った。すると彼は、『さあ、あなたの証文だ。すぐにすわって五十と書きなさい』と言った。
*管理人ですから、当然主人の債務者たちの証文も管理していましたから、少しずつ債務者たちの負債を軽くすることにしたのです。
ルカ16:7ーそれから、別の人に、『さて、あなたは、いくら借りがありますか』と言うと、『小麦百コル』と言った。彼は、『さあ、あなたの証文だ。八十と書きなさい』と言った。
*複数の債務者に恩を売っておけば、職を失ったとき、債務者たちが恩返しをしてくれるだろうと考えたわけです。
ルカ16:8ーこの世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。
*問題はこの新改訳聖書の訳出です!
新改訳聖書では『主人が、不正な管理人をほめた』ように勘違いされがちです。
この訳出の故に、意味をつかむのを非常に難しくしているのです。ここは、新共同訳と口語訳聖書が原文により忠実に訳出しています。
新共同訳聖書…『主人はこの不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。』
*主人がほめたのは『不正な管理人』本人や『不正』そのものではなく、『抜け目のないやり方』です。
口語訳聖書…『ところが主人は、この不正な家令の利口なやり方をほめた。この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。』
*この世の子ら…未信者たち。
*その時代(自分の仲間たち)…地上のこと、この世のこと、未信者同士の世界のこと。
*光の子ら…信者(クリスチャン)たち。
ルカ16:9ーそこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。
*不正の富…『この世の富(財産)』のこと。
*友…ギリシャ語で『友』という言葉はいくつかありますが、ここでは『フィロス』という単語が使われています。
この世の財産を使って、『信仰の友』を作りなさい、の意。
*永遠の住まいに迎える…この世の肉体のいのちを終えた時、あなたが伝道した結果信仰を持った『友』が、天の御国で迎えてくれる、の意。
同じ『フィロス』が使われている聖書箇所は、
ヨハネ15:15ーわたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることをしらないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。
*友…ギリシャ語:フィロス。信仰の友、の意。
『ディスペンセーション=家の管理』…私たちは『神の家の管理人』です。私たちが今、所有している物(銀行の預貯金も、家も、洋服も、持ち物すべて)は、神様から預かって使用している物なのです。すべては主人であるキリストの物であって、私たちがこの世に生きている間の短期間、管理を任されているだけなのです。いつ何時、主人が取り上げるかわかりません。何事も主人の御心ひとつだということを、忘れてはならないのです。
主人の財産であるこの世の持ち物、ツールすべてを用いて、『信仰の友』をつくるために用いるべきだということです。
『信仰の友』をつくるための伝道にはお金がかかります。関係づくりに食事や映画に行くこともあるでしょう。カフェでコーヒーを飲みながら、福音を語ることもあるでしょう。
その人の自宅まで足を運び、みことばの学びをするには、交通費、手土産、資料の準備等、お金も時間もかかります。それらをすべて『自分の物』と考えれば、たましいの刈り取りという見返りがなければ虚しく感じます。また、無駄だと感じたり、勿体無いと惜しむ心も時には出てくるでしょう。
すべては神様のもので、今 自分はその管理を任されているだけだと考えるなら、主人の目的のために惜しげなく用いることが可能になります。
しかし、どれほどのお金と時間と努力をしても、信じない人かもしれません。でも使った金額、時間、労力は決して無駄ではなく、そのひとつひとつが『天に宝を積む』ことになるのです。
マタイ6:20~21ー自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
ルカ16:10ー小さい事に忠実な人は、大きいことにも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。
*小さい事…この世のこと。
*大きい事…御国(千年王国)のこと。
*忠実…キリストの命令(みことば)に聞き従うこと。
ルカ16:11ーですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
*不正の富に忠実…この世の財産管理を、キリストのみことばに聞き従って行なうこと。
ルカ16:12ーまた、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。
*他人のもの…神様のもの。
*あなたがたのもの…信者は、やがて御国の時代(千年王国)の民として、その管理を任されることになるのです。
ルカ16:13ーしもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
*キリストを信じたと言いながら、この世の財産を自分のためにだけ、好き勝手に使うことは、本当の意味でキリストの弟子になりきることはできません。
本当にキリストを信じ、従う決心をした者だけが、『神の家の良い管理人』となれるのです。
あなたは『良い管理人』ですか?
天に宝を積む生活を送ることができますように。
マタイ9:37~38ーそのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」