サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

初穂の祭り 〜レビ記23:9~14〜

『異邦人の使徒』となったパウロは、1コリント人への手紙15:3~5で次のように宣べています。

「私が最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

また葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、

また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。」

 

このキリストの復活を予表しているのが、初穂の祭りです。

 

レビ記23:9ーついで主はモーセに告げて仰せられた。

*主がモーセに告げられた律法の中で定められている祭りの一つです。

 

 

レビ記23:10イスラエル人に告げて言え。わたしがあなたがたに与えようとしている地に、あなたがたが入り、収穫を刈り入れるときは、収穫の初穂の束を祭司のところに持って来る。

*わたしがあなたがたに当てようとしている地…約束の地『カナンの地』。

*収穫の初穂…1年で一番早い春の刈入れは『大麦』で四月頃始まり、大麦→小麦と続きます。律法では『畑の隅々まで刈り取ってはならない。それらは在留異邦人、やもめ、みなしごのものである』とあり、祭りのない夏の端境期は教会時代として、異邦人の救いの期間。やがて異邦人の救いの数が満ちた時、神の収穫『携挙』となります。

cf ルツ記 2章 - サザエのお裾分け

 

 

 

レビ記23:11ー祭司は、あなたがたが受け入れられるために、その束を主に向かって揺り動かす。祭司は安息日の翌日、それを揺り動かさなければならない。

安息日の翌日…『初穂の祭り』は、過越の祭り後一番近い安息日の翌日と決まっていました。過越の祭りは毎年 曜日が変わりますが、『初穂の祭りは、安息日の翌日』と決まっていたので、常に『週の初めの日』、つまり『日曜日』です。

 

*イエスが十字架で死んだ年の過越の祭りは木曜日にあたりました。その翌日から種なしパンの祭りとなり、三日目にあたる安息日の翌日である週の初めの日=日曜日』の早朝に、イエスは復活されたのです。

 

1コリント15:20~23ーしかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。

すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。

しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。

 

レビ記23:12ーあなたがたは、束を揺り動かすその日に、主への全焼のいけにえとして、一歳の傷のない雄の子羊をささげる。

*イエスは『過越の小羊』としてニサンの月の十四日(木)に最後の晩餐として過越の食事をとられ、十五日(金)に十字架に架かり、復活の初穂として十七日(日)の『初穂の祭り』によみがえりました。

 

レビ記23:13ーその穀物のささげ物は、油を混ぜた小麦粉十分のニエパであり、主への火によるささげ物、なだめのかおりである。その注ぎのささげ物はぶどう酒で、一ヒンの四分の一である。

*油を混ぜた小麦粉レビ記2:4ーあなたがかまどで焼いた穀物のささげ物をささげるときは、それは油を混ぜた小麦粉の、種を入れない輪型のパン、あるいは油を塗った、種を入れないせんべいでなければならない。

 

*注ぎのささげ物はぶどう酒…『種なしパン』と『ぶどう酒』は、キリストの十字架の贖いを記念する聖餐式に通じます。

 

レビ記23:14ーあなたがたは神へのささげ物を持って来るその日まで、パンも、炒り麦も、新穀も食べてはならない。これはあなたがたがどこに住んでいても、代々守るべき永遠のおきてである。

*あなたがた…『クリスチャン』に対するものではなく、『イスラエル』に対するおきてです。キリスト・イエスは、この祭儀制度を与えられた『イスラエル』から出ました。

 

しかし、これらの祭儀制度がメシアの『型』であることを現代のユダヤ人の多くは理解していません。私たち『クリスチャン』は、復活祭として『イースター』を祝いますが、それが『初穂の祭り』とリンクしていることを知る人はわずかです。両方の意味を理解できるのが、メシアを信じる『メシアニックジュー』たちなのです。

 

レビ記2:14ーもしあなたが初穂の穀物のささげ物をにささげるなら、火にあぶった穀粒、新穀のひき割り麦をあなたの初穂の穀物のささげ物としてささげなければならない。

 

まだ多くのユダヤ教徒たちは、メシアの『型』であることを知らずにいます。彼らが民族としてそのことを知るのは、これから来る『七年間の患難時代の終わり』に生き残っている『レムナント』だけです。

ユダヤ人たちの霊的覆いが取り除かれて、一人でも多くのユダヤ人たちが『メシアニックジュー』となることを願ってやみません。

 

詩篇122:6~7エルサレムの平和のために祈れ。

「おまえを愛する人々が栄えるように。

おまえの城壁のうちには、平和があるように。

おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。」

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