最近『使徒職の復活』だとか、クリスチャンのことを指して「小さな使徒として用いてください」と祈る人がいますが、聖書を読むと『使徒』には資格があることがわかります。
最初に『使徒』を選ばれたのは、主イエスご自身です。
ルカ6:12~16ーこのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。すなわち、ペテロという名をいただいたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと熱心党員と呼ばれるシモン、ヤコブの子ユダとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。
『使徒』には、二つのカテゴリーがあります。
⑴ イエスの公生涯の初め(バプテスマのヨハネによるイエスの洗礼)〜昇天まで、主と共にいた者であること。
⑵ イエスの公生涯を共に過ごしてはいないが、復活の主の目撃者であること。
*イエス様が選ばれた十二人の内弟子が、⑴ のカテゴリーに入ります。
使徒1:21~22ーですから、主イエスが私たちといっしょに生活された間、すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動を共にした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。
イスカリオテ・ユダは、主の公生涯を共に過ごし『使徒』となるべく選ばれましたが、主を裏切り、十字架の死の前に自殺してしまいましたから『復活の目撃者』にはなれずに脱落してしまいました。
主イエスには多くの弟子たちがいましたが、⑴ の条件を満たす候補者は若干名だけでした。
使徒1:23ーそこで、彼らはバルサバと呼ばれ別名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立てた。
*最終的にイスカリオテ・ユダを除く十一人とマッテヤが、『十二使徒』となりユダヤ人へ伝道するようになりました。
⑵ のカテゴリーの前提条件を満たしたのは、パウロ、バルナバ、主の兄弟ヤコブでした。
1コリント9:1~2ー私には自由がないのでしょうか。私は使徒ではないのでしょうか。私は私たちの主イエスを見たのではないでしょうか。あなたがたは、主にあって私の働きの実ではありませんか。たとい私がほかの人々に対しては使徒でなくても、少なくともあなたがたに対しては使徒です。あなたがたは、主にあって、私の働きの実ではありませんか。
1コリント9:5ー私たちには、ほかの使徒、主の兄弟たち、ケパなどと違って、信者である妻を連れて歩く権利がないのでしょうか。
ガラテヤ1:19ーしかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒にはだれにも会いませんでした。
*パウロは、異邦人伝道のための『使徒』となりました。
ガラテヤ2:8ーペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、私にもみわざをなして、異邦人への使徒としてくださったのです。
*使徒は『十二使徒』だけではありません。しかし、『使徒』になれるのは1世紀の弟子でなければ、前提条件を満たすことはできないのです。つまり、21世紀の現在まで復活の主の目撃者が生き残ってはいないので、現存する『使徒』はいないということになります。