1ヨハネ4:1ー愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。
*愛する者たち…この手紙を読む(朗読されるのを聞く)信者たちへの呼びかけ。
これから著者ヨハネが伝えることが重要であることを伝えるための喚起。
*にせ預言者…この時代では、霊・肉二元論を唱えていたグノーシス主義や仮現説を唱えたケリントス主義の指導者たち。
霊的に無防備で、初めから心を開いてしまうと、その教えが聖書から出たものなのか、サタンから出たものなのか吟味することなく、何でも信じて惑わされることになります。
1ヨハネ4:2ー人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。
*神からのもの…『人となって来たイエス・キリストを告白する霊』。
*神からの霊…聖霊は『助け主』として、すべてのことを教え、イエスが話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
ヨハネ14:26ーしかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
グノーシス主義もケリントス主義も共に『キリストの受肉を否定』していましたから、受肉のキリスト・イエスを告白するか、否かが判断基準となりました。
1ヨハネ4:3ーイエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。
*イエスを告白しない霊…預言者または教師。
*反キリストの霊…誤った教理を広めている人たち。『反キリストの霊』は、悪魔から出たものです。
『イエスを告白しない霊』はすべて反キリストの霊であり、神から出たもではありません。本当にイエスを救い主と信じて救われている人には、聖霊の内住があるので、霊を見分ける力があります!
最近の異端は、受肉のイエスを認めても『神の子』であることを否定したり、御父を差し置いて人間の教祖を『真の祖父母』と宣言したり、キリストの名のもとに御使い礼拝をするものがあったりと様々です。
私たちが留まるべき福音は、『神の子イエスは人として来られ、私たちの罪のために十字架で死なれ、葬られ、三日目によみがえられた』というものです。
『純粋な福音の種』と『遺伝子組み替えの福音の種』 - サザエのお裾分け
私たちは何を聞いても『はたしてそのとおりかどうかと聖書を調べる』ことが必要なのです。
使徒17:11bー非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどおかと毎日聖書を調べた。
1ヨハネ4:4ー子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。
*子どもたちよ…神から生まれた者(イエスが人として来られたキリストであると信じる者)は、『神の子ども』とされています。
ヨハネ1:12ーしかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
*彼ら…偽りの教えを吹聴している者たち。
神の羊となった信者は、本当の牧者を聞き分けます。
ヨハネ10:3~5ー門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。
彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。
しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。
1ヨハネ4:5ー彼らはこの世の者です。ですから、この世のことばを語り、この世もまた彼らの言うことに耳を傾けます。
*この世のもの…この世の支配者はサタンであり、サタンの基準で判断している、の意。
私たちもキリストを信じるまでは、その基準で生活していました。
エペソ2:1~2ーあなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
1ヨハネ4:6ー私たちは神から出た者です。神を知っている者は、私たちの言うことに耳を傾け、神から出ていない者は、私たちの言うことに耳を貸しません。私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます。
*神から出た者…神から出て、天に国籍を持つ者は、神のことば(みことば)を話します。
マタイ4:4ーイエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」
ピリピ3:20aー私たちの国籍は天にあります。
*真理の霊と偽りの霊とを見分け…神のことば、すなわち『イエスは、受肉して来られたキリストである』ということに耳を貸すか、否かで見分ける、の意。
ヨハネ8:47ー神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。
1ヨハネ4:7ー愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
*愛するものたち…再び、喚起しています。ここから『愛』についてヨハネは語ります。愛は神様のご性質そのものであり、信仰の『結びの帯』として重要です。
箴言10:12ー憎しみは争いを引き起こし、
愛はすべてのそむきの罪をおおう。
1ヨハネ4:8ー愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
三段論法ー①愛のない者は、愛を知らない。
②神は愛である。
③従って、愛のない者は、神を知らない者である。
*神は愛…単体の『神』であるなら、その神が永遠の初めから存在されていたのだとしたら、『神は愛です』とは言えなくなります。なぜなら『愛』とは、愛する対象があって初めて成り立つものだからです。
私たちが信じる聖書の神は『御父・御子・御霊から成る三位一体の神様』ですから、『神』という存在の中に愛する対象が存在しています。だから『神は愛です』と言えるのです。
1ヨハネ4:9ー神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
*世…サタンの支配下となり、サタンの価値観に従って動くこの世。罪の世。そのまま行けば、神を知らず、神の価値観『愛と神の義』に従うこともできず、やがて永遠の滅びへと落ちていく人々を救うために、神の御子が受肉して、神の義と愛を教え、十字架で贖い、天国への道を開いてくださいました。
ヨハネ3:16ー神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ローマ5:8ーしかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
1ヨハネ4:10ー私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
*なだめの供え物…神の御子イエスは、なだめの供え物となるべく『神の小羊』として受肉し、私たちの罪を十字架で贖ってくださったのです。
ヨハネ1:29ーその翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」
1ヨハネ4:11ー愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
*愛する者たち…信者に対する喚起。
*互いに愛し合う… 旧約の律法で命じられていることを、イエスが『黄金律/キリストの律法/愛の律法』として教えられました。
レビ記19:18bーあなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。
マタイ22:39ー『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
隣人を愛するその『愛』は、イエスが先に示してくださいました。
1ヨハネ4:12ーいまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
*だれも神を見た者はありません… 神の御子イエスが『神』として私たちの住む『この世』に来られたなら、罪に汚れた人間はイエスを見た瞬間、みな死んでしまうので救うことはできなくなります。しかし、イエスは私たち罪人が死ななくてもよいように、私たちと同じ『人』として来てくださいました。そして、神を愛するとはとういう生き方なのか、隣人を愛するとはどういう生き方なのかを、身を持って教え示してくださったのです。ですから、神の子どもとされたクリスチャンは、このキリスト・イエスに倣う生き方ができるのです。それは、聖書のみことばを通してのみ可能な生き方です。
1ヨハネ4:13ー神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。
*御霊を与え…ペンテコステ以降、聖霊(御霊)は信者に内住されるようになりました。御霊の内住がある者だけが、将来『キリストの花嫁』となる人々です。
義認・聖化・栄化 〜キリストの花嫁なる教会〜 - サザエのお裾分け
ヨハネ14:16~17aーわたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。
1ヨハネ4:14ー私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。
*私たち…使徒たち。 ヨハネたち(十一使徒+マッテヤ)は、『①イエスの公生涯と②復活を目撃した第一のカテゴリーの使徒たち』です。
使徒1:21~22ーですから、主イエスが私たちといっしょに生活された間、
すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと生活をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。
このカテゴリーに入る条件を満たす弟子は、二人ーバルサバと呼ばれ別名ユストというヨセフとマッテヤーだけでした。 cf 使徒1:23
第二のカテゴリーの使徒たちは、公生涯は目撃していなくても『復活の証人』でなければなりませんでした。つまり、復活の主の目撃者たちです。パウロはこのカテゴリーの使徒です。
1コリント9:1ー私には自由がないのでしょうか。私は使徒ではないのでしょうか。私は私たちの主イエスを見たのではないでしょうか。あなたがたは、主にあって私の働きの実ではありませんか。
*そのあかし…キリストの福音(受肉〜十字架〜葬り〜復活)を証しすることが、使徒としての務めでした。
ヨハネの黙示録1:2ーヨハネは、神のことばとイエス・キリストのあかし、すなわち、彼の見たことすべての事をあかしした。
1ヨハネ4:15ーだれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。
*イエスを神の御子と告白…クリスチャンの信仰告白。
ローマ10:9~10ーなぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心で信じて義と認められ、口で告白して救われるからです。
口先だけで「イエスは主です」、イエスに対し「主よ。主よ」と言うのではなく、
①心で信じる内容…神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださった。
②口で告白する内容…イエスは主です。
の両方が必要です。
1ヨハネ4:16ー私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。
著者ヨハネは繰り返し『愛』の大切さを説いています。
*神のうちにおり、神もその人のうちにおられます…イエスは「あなたがたを捨てて孤児にはしない」「決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」と言われました。
ヨハネ14:18ー「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。
ヘブル13:5bー主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
ヨハネ14:20ーその日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。
1ヨハネ4:17ーこのことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。
*愛が私たちにおいても完全なものとなりました…私たちのうちに愛が完成したのではなく、イエスをキリストだと信じた結果、神の愛が私たちのうちで成長し始め、隣人を愛する愛へと成長を始めるのです。
*キリストと同じような者…この世にあって罪の誘惑を受けても、キリストが勝利されたように、私たちもキリストの愛の中にとどまることにより、勝利者となることができるのです。キリストから目を反らせると、罪の誘惑に負けてしまいます。
詩篇119:11ーあなたに罪を犯さないため、
私は、あなたのみことばを心にたくわえました。
1ヨハネ4:18ー愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
*恐れには刑罰が伴う…ローマ13:3ー支配者を恐ろしいと思うのは、よい行ないをするときではなく、悪を行なうときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。
Ⅱテモテ1:7ー神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。
1ヨハネ4:19ー私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
*神がまず私たちを愛してくださった…キリストがいのちを捨てるほどに、私たちを愛してくださったのです。cf ヨハネ3:16
ヨハネ15:13ー人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
ローマ5:8ーしかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
1ヨハネ4:20ー神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
このみことばは、とても厳しい基準ですね。
過去に傷つけられたり、誰かにつまずいたりした経験があると、なかなか難しいかもしれません。そのような『苦手』と感じる人々と『積極的に関わりを持ちなさい』という意味ではなく、そのような人たちが困っているときに助けてあげられるように、赦すことができるように祈りの中に覚えたり、何かの時には主にある家族としての対応ができるように、自分自身が整えられる必要があるということです。
自分が受けた傷に自分で復讐するのではなく、神様にお委ねすることです。憎んだり、恨んだりしないように、自分の意志で選び取る必要があります。
1ヨハネ4:21ー神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。
愛の神様を信じる者は、その信仰の表れとして『愛の実践』が伴います。愛の行ないは、生きた信仰の表れなのです。
ヤコブ2:17ーそれと同じように、信仰も、もし、行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。