この手紙を書いたと思われる『ヨハネ』は、十二使徒のひとりであり、使徒の中で最初に殉教した『ヤコブ』の兄弟です。
使徒12:2ーヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
父はゼベダイで、マルコの福音書によれば、雇い人までいるかなり裕福な漁師の家だったことがわかります。
マルコ1:19~20ーまた少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らも舟の中で網を繕っていた。
すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。
ヨハネとヤコブの兄弟は、イエスから『雷の子』という名をつけられました。
マルコ3:17ーゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
著者ヨハネは、イエスの弟子になる前は『バプテスマのヨハネの弟子』でもあったと思われます。cf ヨハネ1:35~39
1ー長老から、選ばれた夫人とその子どもたちへ。私はあなたがたをほんとうに愛しています。私だけでなく、真理を知っている人々がみな、そうです。
*選ばれた夫人…恵みにより信仰によって神に『選ばれた』信者たちの集まりである『教会』ーギリシャ語:エクレシア(女性名詞)。この教会はやがて『キリストの花嫁』となります。
Ⅱコリント11:2ーというのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。
エペソ5:29ーだれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。
*その子どもたち…目に見える形での『教会』が地域教会であり、もともとはユダヤ教の『シナゴーグ(会堂)』から発展したもの。キリストを信じる信仰により神の子どもとされた人々、各教会に集う真の信者たちを指しています。
ヨハネ1:12ーしかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
2ーこのことは、私たちのうちに宿る真理によることです。そして真理はいつまでも私たちとともにあります。
*真理…キリストご自身。聖書の神のみことば。
ヨハネ14:6ーイエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
3ー真理と愛のうちに、父なる神と御父の御子イエス・キリストからの恵みとあわれみと平安は、私たちとともにあります。
*平安…イエスは、『イエスの平安』を信者に与えると約束されました。
ヨハネ14:27ーわたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
4ーあなたの子どもたちの中に、御父から私たちが受けた命令のとおりに真理のうちを歩んでいる人たちがあるのを知って、私は非常に喜んでいます。
*あなた…教会。
*あなたの子どもたち…信者たち。
*非常に喜んでいます…著者ヨハネが喜んでいる理由は、教会の中に神の命令のとおりに真理のうちを歩んでいる信者たちがいることを知ったからです。この『命令』とは、
ヨハネ14:23~24ーイエスは彼に答えられた。「だれでも、わたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。
5ーそこで夫人よ。お願いしたいことがあります。それは私が新しい命令を書くのではなく、初めから私たちが持っていたものなのですが、私たちが互いに愛し合うということです。
*夫人…キリストの花嫁となる教会。
*互いに愛し合う…ヨハネ15:12ーわたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
6ー愛とは、御父の命令に従って歩むことであり、命令とは、あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むことです。
ヨハネはここで『循環論理』を用いています。
*愛…クリスチャン生活のゴール。
1コリント13:13ーこういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
7ーなぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。
1ヨハネの手紙と同じように、『異端の教え』に注意するように警告しています。
当時の異端は、イエスの受肉を否定した『グノーシス主義』、神の子は人間になったのではなく、人間のような仮の姿をとったにすぎないと考える『仮現説(ドケチズム)』、イエスは受洗と受難の間だけ人間の姿をとったと考える『ケリントス主義』などでした。
8ーよく気をつけて、私たちの労苦の実をだいなしにすることなく、豊かな報いを受けるようになりなさい。
*労苦の実…キリストの福音のための働き。福音伝道により、キリストを信じる神の家族を増やすこと。
*豊かな報い…携挙後の『キリストの裁きの座』において決定する信者の報酬。千年王国での地位。
9ーだれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。
*行き過ぎをして、キリストの教えにとどまらない者…聖書にないことを言ったり、私的解釈を広める者。このような者は、自分を神としているので、真の神を持ってはいません。
10ーあなたがたのところに来る人で、この教えを持って来ない者は、家に受け入れてはいけません。その人にあいさつのことばをかけてもいけません。
パウロは、パウロが宣べ伝えた福音に反することを宣べ伝える者は呪われるべきだ、とも言っています。
ガラテヤ1:8ーしかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
パウロが宣べ伝えた福音とは…?
1コリント15:3~4ーわたしがあなたがたにもっともたいせつなこととして伝えたのは、わたしも受けたことであって、次のことです。
①キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
②また、葬られたこと、
③また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
『純粋な福音の種』と『遺伝子組み替えの福音の種』 - サザエのお裾分け
11ーそういう人にあいさつすれば、その悪い行いをともにすることになります。
ヨハネは異なる福音を持つ者と『あいさつしてはならない』と厳しく教えています。
それは『永遠のいのち』にかかわることだからです。
現代のクリスチャンの考え方はどうでしょうか?『愛と平和』『寛容』『一致』などのことばにすり替えて、聖書とは異なる教えまで受け入れてはいないでしょうか?
あなたは、真の福音と異なる福音の区別がつきますか?他の人に説明できますか?
一度立ち止まって、みことばによりよく吟味する必要があるのではないでしょうか?
12ーあなたがたに書くべきことがたくさんありますが、紙と墨でしたくはありません。あなたがたのところに行って、顔を合わせて語りたいと思います。私たちの喜びが全きものとなるためにです。
*顔を合わせて語りたい…直接、信者たちと会って主にある交わりをすることを、ヨハネは願っていました。それは神の家族としての『喜びが全きものとなるため』でした。
13ー選ばれたあなたの姉妹の子どもたちが、あなたによろしくと言っています。
終わりのあいさつでこの手紙を締めくくっています。
*選ばれたあなたの姉妹の子どもたち…他の地域教会の信者たち、の意。