サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

イエスの公生涯 最初の一週間 〜ヨハネの福音書1:19~2:11〜

ヨハネ福音書には共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)には無い情報が多々あります。その一つが、イエスの公生涯の最初の一週間の出来事です。

当時、イスラエルの人々は、預言されていた『メシア』の到来を待望していました。

しかし、多くの人々が政治的にローマ帝国からの独立を成してくれる『メシア』を待望していました。*今回は是非、ご自分の聖書を開いて、確認しながらお読みください。

 

〜イエスバプテスマヨハネ福音書には詳細の記載無し、共観福音書に記載されている出来事

 

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〜荒野でのサタンの誘惑〜マタイ4:1~11

 

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公生涯の前に『メシア』としてのテストとなったのが、荒野でのサタンの誘惑でした。

共観福音書に記載のある『イエスバプテスマ』は、ヨハネ福音書には記載がなく、

ヨハネ福音書に記載されている『カナの婚礼のしるし』は、共観福音書には記載がないため、どちらがどのくらい先の出来事かということに関しては、旧約聖書を土台とした『神学的推論』になると思います。

 

1コリント10:2~6ーそしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、

みな同じ御霊の食べ物を食べ、

みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。

 

旧約聖書の出来事が『型』となっていることを考慮すると、

イスラエルは、400年間奴隷として過ごしたエジプトからモーセによって救い出された。

❶私たちは『モーセのような預言者』であるキリスト・イエスによって、『罪の奴隷』から贖い出された。

  ⬇︎

イスラエルは紅海を渡った後に、40年間の荒野の放浪。

❷イエスヨハネからのバプテスマの後、40日間の荒野での試練。

  ⬇︎

イスラエルの約束の地入植。

❸御国の宣教。

 

となり、イエスはサタンの誘惑に勝利されてから公生涯をスタートされたと考えるべきでしょう。では、その公生涯最初の一週間を見ていきたいと思います。

 

【第一日目】〜先駆者バプテスマのヨハネによる証言〜ヨハネ1:19~28

ヨハネ1:19ユダヤ…ここでは明らかにされていませんが、24節から『パリサイ人』であることがわかります。レビ人や祭司たちは、エルサレムのパリサイ人から遣わされて来た、ということ。

 

ヨハネ1:20ー19節での「あなたはどなたですか。」という質問に対し、当時のイスラエルの人々が『メシア』の到来を待望していたこともあり、真っ先にバプテスマのヨハネは、「私はキリストではありません。」と否定しています。

 

ヨハネ1:21「あなたはエリヤですか。」…これはマラキ4:5の預言から出た質問です。

バプテスマのヨハネは、この質問にも否定的に答えています。

マラキ4:5ー見よ。わたしは、

の大いなる恐ろしい日が来る前に、

預言者エリヤをあなたがたに遣わす。

 

*「あなたはあの預言者ですか。」…『あの預言者』というのは、律法で従うように命じられているモーセのような預言者』=イエスのこと。バプテスマのヨハネは、これも「違います。」と否定しています。

 

申命記18:18ーわたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。

 

ヨハネ1:22*私たちを遣わした人々…19節の『ユダヤ人』のことであり、24節で彼らが『パリサイ人』たちであることがわかります。

すべての質問に否定的な答えをされたので、レビ人、祭司たちが「我々を派遣した人たちに報告しなくてはならないのだから、お前は自分を誰だというのか?」と迫ります。

 

ヨハネ1:23預言者イザヤが言ったようにバプテスマのヨハネは、自分は『荒野で叫んでいる者の声』だと言っています。

イザヤ書40:3荒野に呼ばわる者の声がする。

の道を整えよ。

荒地で、私たちの神のために、大路を平にせよ。

 

ヨハネ1:24*パリサイ人旧約聖書の『律法の書』にも『預言書』にも権威を認める人々で、死者の復活も天使の存在も信じていました。一方、『サドカイ人』たちは、『律法の書』しか権威を認めず、死者の復活も天使の存在も認めていない人々でした。

このような信仰の違いから、普段はこの二つの宗派は対立していました。

使徒23:8ーサドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていたからです。

 

ヨハネ1:25なぜバプテスマを授けているのか…何の権威によってやっているのか?、の意。

 

ヨハネ1:26あなたがたの中に…レビ人、祭司たちの中に、の意。

*あなたがたの知らない方イエス・キリスト

レビ人や祭司たちの中に混ざって、バプテスマのヨハネからすでに洗礼を受け、荒野でのサタンの誘惑に勝利したイエスが立っておられたのです。ヨハネ1:34で、バプテスマのヨハネがイエスバプテスマを授けた時の様子を証言しています。つまり、レビ人と祭司たちがエルサレムから、バプテスマのヨハネの所に来る以前に、イエスヨハネからバプテスマを受けられていたということです。だから、バプテスマのヨハネは、イエスをキリスト(メシア)として認識していたからこそ、このように言えたのです。

 

このことはマタイ3:11マルコ1:7ルカ3:16にも記されています。そしてこのバプテスマのヨハネの言葉の後で、三福音書ともイエスヨハネからバプテスマを受けたことが記されています。

 

マタイ3:16ーこうして、イエスバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。

 

マルコ1:10ーそして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に降られるのを、ご覧になった。

 

ルカ3:21~22ーさて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、

聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」

 

聖書では、ふたりか三人の証人がいればその証言は有効ですから、イエスバプテスマをお受けになったとき、『聖霊が鳩のように下って来られた』というのは事実だったということになります。

 

 

ヨハネ1:27くつひもを解く…通常は、奴隷の仕事。バプテスマのヨハネは、キリストに比べたら、自分は奴隷の価値もないと言っているのです。

 

ヨハネ1:28ヨルダン川の向こう岸のベタニヤ…よく知られるマリヤ、マルタ、ラザロの兄姉妹が住んでいたエルサレム郊外のベタニヤとは違う場所。現在のヨルダン王国側にある場所。

 

 

【第二日目】〜イエスは神の小羊〜ヨハネ1:29~34

ヨハネ1:29その翌日…二日目

エスが来られるのを見て…イエスは泊まっておられる所から再び、ヨルダン川バプテスマのヨハネの所へ来られた、ということ。

 

*「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」…これも、バプテスマのヨハネの証言の一つ。

エスは『神の小羊』として、3年半後の過越の祭りのときに、十字架で全人類の罪のためのなだめの供え物として屠られました。

 

ヨハネ1:30私より先におられた…イエスは、神の御子として永遠に存在されておられました。

 

ヨハネ1:31私もこの方を知りませんでした…『メシヤとしては』知らなかった、の意。

 

*私は来て、水でバプテスマを授けている…神の契約の民であるイスラエルの人々が、メシヤとして来られた方を受け入れることができるように、『道備え』のためのバプテスマを授けていたのが、ヨハネでした。

 

ヨハネ1:33~34ー私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、私に言われました。聖霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』

私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです。

 

それはつまり、ヨハネがイエスバプテスマを授けたときの出来事であり、確信を持ってヨハネ「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」と言えたのです。

 

【第三日目】〜さらに優れた師:イエスヨハネ1:35~39

ヨハネ1:35その翌日…二日目の翌日。つまり、三日目。

 

*二人の弟子バプテスマのヨハネの弟子たち。バプテスマのヨハネの弟子たちもヨハネと共にヨルダン川の所にいました。

 

ヨハネ1:36エスが歩いて行かれるのを見て…イエスは再度ヨルダン川まで来ておられた、ということ。

 

*「見よ。神の小羊。」…おそらく、今度は自分の二人の弟子にイエスを示したのでしょう。

 

ヨハネ1:37バプテスマのヨハネ。師であるヨハネが「見よ。神の小羊。」と言ったのを聞いて、二人の弟子たちはイエスについて行きました。

 

ヨハネ1:38「あなたがたは何を求めているのですか。」…イエスは、ふたりがついて来るのを確認し、先に声をかけています。

『イエスに何を求めるのか…?』これは、現代のクリスチャンにとっても大事な質問ですね。ある人は異言や癒しなど、超自然的現象、力、経験を求め、また、ある人は富や名誉など自分自身の繁栄を求めます。

 

あなたは、何を求めてキリストに従っていますか?

イザヤ書43:21ーわたしのために造ったこの民は

わたしの栄誉を宣べ伝えよう。

 

*「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」…イエスのことを『ラビ』と呼んでいることから、この時点ではまだ、二人ともイエスに対して正しい認識は持っていませんでした。宿泊先を聞くということは、弟子入りを申し出るということです。それまでの師であったバプテスマのヨハネからいろいろと話を聞いていた『神の小羊』ということを確認したいと思っていたのです。

 

ヨハネ1:39来なさい。そうすればわかります。…この答えは、弟子入りを承認するという意味です。

まずイエスが言われたことに従わなければ、次のステップに行くことはできません。

 

*彼らはついて行って…ふたりは、イエスのみことばを実行しました。

ヤコブ1:22ーみことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。

 

時は十時ごろであった午前10時。

当時の時間の数え方には、
①午前6時から数える『ユダヤ式』と
②午前0時、もしくは、正午から数える『ローマ式』の二種類あります。

マタイ、マルコ、ルカの共観福音書は『ユダヤ式』を用い、

ヨハネ福音書は一貫して『ローマ式』を用いていること、

ローマ式の正午から数えると夜の10時となり、日没で一日が終わるイスラエルでは活動するには遅すぎる時間となります。しかし、午前0時から数えた『10時』であるなら日中であり、活動するには十分です。

 

この頃から二人はずっとイエスと一緒に時間を過ごし、いろいろ話をしながら『イエスが世の罪を取り除く神の小羊』なのか『神の子』なのか確認していたのでしょう。

ヨハネ福音書の著者ヨハネが、イエスとの出会いの時刻を覚えて書き記すほど、ヨハネにとっては大きな出会いだったのです。ここで、バプテスマのヨハネの『ふたりの弟子』のうち、ひとりは後の十二使徒のひとりとなるヨハネだったことがわかります。 

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『3』は聖書では、完全数です。『公生涯三日目』に弟子を召命し始めたことにも、意味があるのかもしれませんね。

 

 

【第四日目】〜アンデレ伝道〜ヨハネ1:40~42

ヨハネ1:40ーこの節には『その翌日』という言葉はありません。

しかし人々が活動するのは日が昇ってからなので、当然『翌日』ということになります。

 

*アンデレバプテスマのヨハネのもうひとりの弟子が、ここで判明します。 

 

一晩イエスと語り合い、師であるバプテスマのヨハネが紹介したことを理解したアンデレは早速、弟のシモン・ペテロをイエスのもとに連れて行きました。

聖書は、アンデレが実際どこまでイエスのことを理解していたかは述べていませんが…。

 

ヨハネ1:41*私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った。」…アンデレは、自分が経験したことだけを告げて、シモン・ペテロをイエスのもとに連れて来ました。十二弟子の中での最初の伝道は、『アンデレ伝道』と言われます。未信者にうまく福音を伝えられないのなら、福音を語れる人のところにその方を連れて行って紹介すればいいのです。

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ヨハネ1:42あなたはヨハネの子シモンです…ここでもイエスの方からシモン・ペテロに声をかけています。ここの『ヨハネ』は、バプテスマのヨハネのことではなく、アンデレとシモン・ペテロの父親のことです。

 

*ケパアラム語:岩、の意。 

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【第五日目】〜ピリポとナタナエルの決断〜ヨハネ1:43~51

ヨハネ1:43その翌日…公生涯五日目。

エスヨルダン川からガリラヤに移動されました。

 

*「わたしに従って来なさい。」…そのとき、ピリポ(使徒8:26~40のピリポとは別人。このピリポは使徒6:5の七人の執事のひとり)を見つけて、声をかけられました。

いつも先に声をかけてくださるのは、主イエスですね。

 

ヨハネ6:44ーわたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。

 

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ヨハネ1:44ベツサイダガリラヤ湖北岸の町。ピリポ、アンデレ、シモン・ペテロは同郷。

 

ヨハネ1:45ー*…ピリポ

今度はピリポが友人のナタナエルに伝道しています。

 

*ナタナエル…共観福音書の『バルトロマイ』と同一人物。

『バル』とは、「〜の子」という意味。つまり、『バルトロマイ』は「トロマイの子」ということ。ナタナエルは『トロマイの子、ナタナエル』の意。

 

モーセが律法の中に書き申命記18:18参照。 

 

ヨハネ1:46ナザレから何の良いものが出るだろうユダヤの人々はガリラヤの人々のことを見下していました。そして、ガリラヤの人々は、ナザレの人々を見下していたのです。

 

ヨハネ7:41ーまた、ある者は、「この方はキリストだ。」と言った。またある者は言った。「まさか、キリストはガリラヤからは出ないだろう。

 

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*来て、そして、見なさい。…ピリポもアンデレと同じように『百聞は一見にしかず』と、自分で確認するようにと促します。

 

 ヨハネ1:47*「これこそほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」…『イスラエル』とは、ユダヤ人の父祖ヤコブの別名。そのヤコブのように偽りがなく、正直に答えたことを、イエスは神の御子として彼の心の内をご存知だったということ。

 

ヨハネ1:48*いちじくの木の下イスラエル地方のいちじくやぶどうは葉がよく茂って日陰をつくるので、人々はそれらの木の下で瞑想する習慣がありました。

 

ミカ4:4ー彼らはみな、おのおの自分のぶどうの木の下や、

いちじくの木の下にすわり、

彼らを脅かす者はいない。

まことに、万軍の主の御口が告げられる。

 

ゼカリヤ3:10ーその日には、ー万軍の主の御告げ。ーあなたがたは互いに自分の友を、ぶどうの木の下といちじくの木の下に招き合うであろう。

 

ヨハネ1:49ーイエスのことばを聞いて、ナタナエルは信仰告白をしました。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」

 

プライドが邪魔をして信仰告白をすることができない方がたまにおられますが、もがき苦しみながら抵抗するより、イエスを主と認め信仰告白すると不思議と楽になるものです。

 

ヨハネ1:50信仰告白をしたナタナエルに対し、イエスはもっと大きなことを見ると預言されました。信仰による応答をした者に与えられる祝福は、私たちの想像を超えるものです。

 

ヨハネ1:51*まことに、まことに、あなたがたに告げます…『これから話すことは大事なことだから、耳の穴をほじってよく聞きなさい』の意。

 

『あなたがた』と言っていることから、ナタナエルのそばにはピリポもいたと思われます。

 

*「天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」…イエスは、創世記28:10~13ヤコブが見た夢のことを 、ナタナエルが瞑想していたことを言い当てると同時に、天と地を結ばれる神の現われを意味しています。イエスはご自身が『天と地とを結ぶ方』であることを語られました。

 

ナタナエルは後に、使徒としてキリストの復活、昇天の目撃者となりました。

 

創世記28:12ーそのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。

 

ピリピ2:6~11ーキリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、

ご自分を無にして、仕える者の姿ととり、人間と同じようになられたのです。

キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。

それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、

すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

 

 *ちなみに、十二使徒のピリポと、使徒の働き8:26~40、21:8~9のピリポとは別人です。使徒の働きのピリポは、使徒6:5~6の『七人の執事たち』の一人です。

 

 

公生涯五日目に時点で、イエスの弟子たちは五人になります。

最初の奇跡をされた『カナの婚礼』では、ヨハネ、アンデレ、シモン・ペテロ、ピリポ、ナタナエルの五人が一緒に行きました。

 

【第六日目】〜特に記述なし〜

 記述が無いということは、この日が『安息日』に当たっていたと考えられます。

 

出エジプト記31:15~17ー六日間は仕事をしてもよい。しかし、七日目は、の聖なる全き休みの安息日である。安息の日に仕事をする者は、だれでも必ず殺されなければならない。

イスラエル人はこの安息を守り、永遠の契約として、代々にわたり、この安息を守らなければならない。

これは、永遠に、わたしとイスラエルとの間のしるしである。それはが六日間に天と地を造り、七日目に休み、いこわれたからである。」

 

イザヤ書58:13ーもし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「はえある日」と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、

 

安息日…創造の第七日目、土曜日。日曜日は『週の初めの日』であり、日曜日のことを『聖日』とか『主日』という表現は聖書にはありません。『主の日』という表現は、常に七年間の患難時代を指すことばとして使われています。

また、新約聖書において「安息日が土曜日から日曜日に変わった」という記述もありません。

 

 

【第七日目】〜最初のメシアとしての奇跡:カナの婚礼〜ヨハネ2:1~11

 

ヨハネ2:1それから三日目…ピリポとナタナエルが弟子に加わってから三日目。公生涯七日目。

この日、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母マリヤがいました。

 

聖書では『7』は、完全数です。その『七日目』に、メシアとして最初の奇跡(しるし)を行われたというのも、とても興味深いと思います。

やがて、キリスト(メシア)は花婿として、空中まで花嫁である教会時代の信者(メシアニックジューと異邦人信者)を迎えに来られます。そして、天での結婚式の後、千年王国で婚宴が設けられます。

 

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いつ『水がぶどう酒に変わったのか?』について、多くの方が『手伝いの者たちがかめに水を汲んだとき』だと思っています。

 

また、ぶどう酒(飲酒)を禁じるクリスチャンも時々いますが、イエスは水を『ぶどうジュース』に変えたのではなく、確かに『ぶどう酒』に変えました。

もし飲酒が『罪』であるなら、イエスは飲酒を助長する罪を犯したことになり、『人類の罪を取り除く神の小羊』にはなり得ません。

そればかりか、バプテスマのヨハネの証言も『嘘』ということになり『虚偽罪』に問われてしまいます。

 

では、いつ水をぶどう酒に変えたのか?を知りたい方は、こちらからどうぞ🍷

 

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