サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ピリピ人への手紙 2:12~30

ピリピ2:12ーそういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。

*そういうわけですからピリピ2:9~11の内容。 やがてキリストがすべてのものの『主』となられるのですから、の意。

 

*自分の救いの達成…救いには三つの段階があります。ここでは②の意。

 

①開始=義認キリストを信じた時、神の子とされました。

②過程=聖化新しい性質の力が、みことばを学び、キリストの関係が深まるにつれ、古い性質に勝利していく過程。

③完成=栄化キリストがあなたを古い罪の性質から完全に、永遠に解放する時。

 

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ピリピ2:13ー神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。

*みこころのままに…神のみこころを知るには、聖書のみことばの学びが不可欠です。キリストを信じた者には、御霊なる神がその人のうちに住んでくださり、みことばによって真理へと導き、主にあって為すべき志を立てさせてくださるのです。 

 

時々、「聖書の学びばかりするのではなく、悔い改めが大事です。」と言う方がいますが、みことばの学び無くして、どの方向に『悔い改めろ』と言われるのでしょう?

悔い改めとは、自己中からみことばにより神中心に考えを変えること、神のみこころに自分を合わせていくことです。みことばを理解することよりも、ただの『悔い改め』を勧める方は、「聖書のみことばより、私の言うことを聞きなさい。」と言っているように思えます。神のことばより、その方の言葉を信頼するように命じているように思えます。しかし聖書は、神に従うことを教えています。

使徒5:29ーペテロをはじめ使徒たちは答えていった。「人に従うより、神に従うべきです。」

 

 

ピリピ2:14ーすべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。

みこころにより志が与えられたのであれば、次の段階として 『すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行うことです。

 

主の兄弟ヤコブはその書簡の中で、疑う人は『二心の人だ』と言っています。

 

ヤコブ1:6ーただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。

*揺れ動く…縦横、前後左右の不安定を意味します。

 

ヤコブ1:8ーそういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。

*二心のある人ギリシャ語では『二つのたましい』の意。

疑う人は、一つは『神に仕え』、もう一つは『世に仕える』という二つのたましい、二つの心を持つ人のようです。一方で神を信じますが、他方で神を信じていない状態です。

 

 

ピリピ2:15ーそれは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、

『すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行うこと』の目的は、

①非難されるところのない純真な者となるため。

②傷のない神の子どもとなるため。

 

 

ピリピ2:16ーいのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。

③世の光として輝くため。 

 

*キリストの日…キリストの花嫁として御前に立つ日。携挙の直後。

また『キリストの御座の裁き』で、信仰生活の報酬を受ける日。

Ⅱコリント5:10ーなぜなら、私たちはみな、キリストのざばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

 

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ピリピ2:17ーたとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。

*注ぎの供え物…聖別のしるしとして、ぶどう酒やオリーブ油が祭壇に注がれました。

レビ8:10~11, 出エジプト記29:40~41, 30:9, 民数記6:15, 17, 15:5, 7, 10, 23:13, レビ記23:13。

 

パウロは旧約聖書の律法による礼拝規定を用いて、自らの殉教の死をほのめかしています。キリストは、私たち人間のすべての罪の身代わりとなって、十字架の上で贖いの死を遂げられました。パウロはそのキリストのため、キリストの福音のために殉教の覚悟が出来ていたのでしょう。

 

 

ピリピ2:18ーあなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください。

ピリピの信者たちは、パウロの伝道により信仰を持つようになりました。ー使徒16:12~34

 

以来、ピリピの教会はパウロの伝道旅行を経済的に援助していました。

ピリピ4:15ーピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。

 

2:17でパウロは、ピリピの教会の信者たちを『信仰の供え物』として見ています。

その『供え物』の上に自らの殉教の死による血(ぶどう酒)が注がれるなら、パウロにとって喜びであるのだから、ピリピの信者たちも喜んで欲しいと願っているのです。

 

 

ピリピ2:19ーしかし、私もあなたがたのことを知って励ましを受けたいので、早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んでいます。

パウロは、ピリピの信者たちを励ますと同時に、彼らの様子を知ることにより励ましを受けたいと望んでいました。パウロ自身は、ローマの獄中にいますから、代わりに愛弟子のテモテをピリピへ送るつもりでした。

 

 

ピリピ2:20ーテモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいないからです。

*心配…テモテは、パウロと同じように真摯にピリピの信者 たちのことを心配していました。ここでの『心配』は、肯定的な意味で用いられています。

つまり、パウロとテモテは、ピリピの教会が神の祝福を受けることを望んでいたのです。

 

 

ピリピ2:21だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。

 

聖書の中の『私たち』『あなたがた』の両方を自分自身に当てはめ、常に第二義的解釈、適用だけに重きをおく 読み方をしているならば、『自分自身のことを求めるだけ』です。そのような読み方をしていては、いつまで経っても『キリスト・イエス』のことを求めていることにはならず、キリストを理解すること、知ることにはなりません。

 

誰が誰に対して『私たち』と言っているのか、誰が誰に対し『あなたがた』と言っているのか、ユダヤ人信者なのか、異邦人信者なのかユダヤ教徒なのか、キリストの信者なのか…このような読み方をしなければ、聖書の神が教えようとしておられることを理解することはできません。

 

 

ピリピ2:22ーしかし、テモテのりっぱな働きぶりは、あなたがたの知っているところです。子が父に仕えるようにして、彼は私といっしょに福音に奉仕して来ました。

*子が父に仕えるように…テモテにとってパウロは『信仰の父親』のような存在でした。テモテは祖母ロイス、母ユニケを通してキリストを信じる信仰へと導かれました。テモテの実父はギリシャ人ですから、本当にパウロは信仰的な父親代わりだったのでしょう。 

 

使徒16:1~2ーそれからパウロはデルべに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ人婦人の子で、ギリシャ人を父としていたが、

ルステラとイコ二オムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。

 

Ⅱテモテ1:5ー私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。

 

 

ピリピ2:23ーですから、私のことがどうなるかがわかりしだい、彼を遣わしたいと望んでいます。

*私のことがどうなるか…ローマでの裁判の結果。 

パウロは裁判の結果が出次第、テモテをピリピへ遣わしたいと考えていました。

 

 

ピリピ2:24ーしかし私自身も近いうちに行けることと、主にあって確信しています。

*近いうちに行ける…パウロは自分の裁判が近いうちに行われ、無罪放免となって、ピリピに行けると、主にあって確信していました。 

 

 

ピリピ2:25ーしかし、私の兄弟、同労者、戦友、またあなたがたの使者として私の窮乏のときに仕えてくれた人エパフロデトは、あなたがたのところに送らねばならないと思っています。

*エパフロデト… パウロは彼を『私の兄弟』『同労者』『戦友』『ピリピからの使者』と呼んでいます。彼がパウロの窮乏を補うために遣わされて来た人でした。この彼にこの書簡を託して送り帰すことになっていました。

 

 

ピリピ2:26ー彼は、あなたがたすべてを慕い求めており、また、自分の病気のことがあなたがたに伝わったことを気にしているからです。

*自分の病気のことがあなたがたに伝わったことを気にしている… ここでの『あなたがた』とは、ピリピの信者たちのことです。エパフロデトは、心配をかけたくないと思っていたのでしょう。

 

ここで気をつけなくてはいけないのは、教会員の誰がから相談事を打ち明けられたりした時は、「祈ってあげて。◯◯さんXXなんですって。」と『祈りのリクエスト』を装って広めないことです。 第三者に伝える時は、必ず本人の了解を得てからにするべきでしょう。『“祈りのリクエスト”というゴシップ』に、教会内で傷ついた経験のある人は多いということを知るべきだと思います。

 

 

ピリピ2:27ーほんとうに、彼は死ぬほどの病気にかかりましたが、神は彼をあわれんでくださいました。彼ばかりでなく私をもあわれんで、私にとって悲しみに悲しみが重なることのないようにしてくださいました。

*死ぬほどの病気…エパフロデトは、重病にかかったことがわかります。しかし、あわれみ豊かな神は、彼を癒し、パウロがこれ以上悲しまずに済むようにしてくださったのです。もちろん背後には、多くの主にある兄弟姉妹たちの祈りがあったことは言うまでもありません。

 

 

ピリピ2:28ーそこで、私は大急ぎで彼を送ります。あなたがたが彼に再び会って喜び、私も心配が少なくなるためです。

*彼を送ります…この時点で、エパフロデトはピリピまでの旅ができるまでに回復していました。テモテをピリピに派遣する前に、彼をピリピに帰し、ピリピの信者たちが再会を喜べるようにしようとしたのです。 

 

 

ピリピ2:29ーですから、喜びにあふれて、主にあって、彼を迎えてください。また、彼のような人々には尊敬を払いなさい。

パウロは、ピリピの信者たちにエパフロデトを迎えるにあたり、幾つかの注意を与えています。

①喜びにあふれて、

②主にあって迎えるように。

③尊敬を払うように。

④エパフロデトだけでなく、彼のような人々には尊敬を払うように。 

 

 

ピリピ2:30ーなぜなら、彼は、キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったからです。彼は私に対して、あなたがたが私に仕えることのできなかった分を果たそうとしたのです。

『彼のような人々』とは、キリストの福音のために、命の危険を冒してまでも献身的に仕える人々のこと。

 

エパフロデトは、ピリピの信者たちの代表として、福音の働きのためにパウロに仕えてくれたのです。

 

忘れてはならないのは、パウロはこの時、ローマの獄中にいたということ。自分自身も辛い境遇にありながら、ピリピの信者たちのことを思いやっているのです。その秘訣は、目先の現状ではなく、キリストにフォーカスし、キリストを通して現状を見るということです。

ローマ8:28ー神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。