新約聖書の書簡は、誰が書いたかによって受取人がわかるところが面白い!
ローマ人への手紙〜ピレモンへの手紙は、異邦人の使徒となったパウロから、異邦人の教会(エクレシア)または、個人の異邦人信者宛。
ガラテヤ2:8ーペテロにもみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、私にもみわざをなして、異邦人への使徒としてくださったのです。
ヘブル人への手紙〜Ⅱペテロの手紙 & ユダの手紙は、ユダヤ人信者(メシアニックジュー)宛。
ヘブル人への手紙は、その書かれた背景を理解することがとても重要な書簡です。
ですから、まず下記の記事に目を通してくださることをお勧めします。
ヨハネの福音書を書いたヨハネは、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲヨハネの手紙 & ヨハネの黙示録も、すべての信者宛に書き記しました。
ヘブル書1:1~3は、『テーマ』を紹介しています。
旧約の『旧い啓示』と新約の『新しい啓示』を、四つの観点ー本質・方法・時間・仲介者ーで対比しています。
ヘブル1:1ー神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
*神は…神は人を用いて啓示を与え、人がその『仲介者』となりました。
聖書全体の骨子とも言える『アブラハム契約』は、信仰の父と言われるアブラハムを通して、律法はモーセを、預言は預言者たちを通して与えられました。
これから起こることに関しては、使徒ヨハネを通して与えられました。
黙示録1:1ーイエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。
*父祖たちに…アブラハム・イサク・ヤコブという族長たち以外にも、旧約聖書の啓示を受け取ったすべてのユダヤ人たちを含みます。
*預言者たち…旧約の預言者たちは、イスラエルのどの部族からでも召命を受けました。彼らは預言者として召された期間、聖霊を受け、神によって直接啓示を与えられました。彼らは、聖霊に動かされて語ったのです。
旧約時代の聖霊の働きの特徴は、期間限定だということ。神の目的が達成されるまで、もしくは、召された者が途中で罪を犯してしまうと、聖霊は天に帰って行きました。
1ペテロ1:10~11ーこの救いについては、あなたがたに対する恵みについて預言した預言者たちも、熱心に尋ね、細かく調べました。
彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、だれを、また、どのような時をさして言われたのかを調べたのです。
Ⅱペテロ3:16ー聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
*多くの部分に分け…神の啓示を量的な意味で説明しています。神の『啓示』は、1,600年という年月をかけて徐々に与えられてきました。
*いろいろな方法で…神は時に創造の御業を通して、ある時は族長たち、ある時は御使いや預言者たちを通して、啓示を与えられました。
またある時は夢や幻で、律法や掟の中で、また『型』となるものや預言を通して与えられました。
*『夢』は、夜眠っているときに、
『幻』は、昼起きているときに与えられるもの。
ヘブル1:2ーこの終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
*この終わりの時には…歴史の終盤であることを強調しています。
第一義的…『啓示の最後の段階の終わり』に言及。
第二義的…『新約聖書の啓示が、旧約聖書の啓示の目標であった』ことを意味。
*黙示録は、旧約聖書の預言書から550ヶ所も引用し、それらを時系列に並べたものです。黙示録の理解が難しく感じるのは、旧約聖書の預言書の理解が足りないからなのです。!?(・_・;?
預言者たちやユダヤ教のラビたちは『メシア的時代/メシア的王国/千年王国』を表すために、『終わりの日に』という表現を用いていました。
ヘブル書が書かれた一世紀当時、それまでの啓示が指し示していたメシアが到来し、ユダヤ人たちが民族的にイエスをメシアとして受け入れたのなら、『メシア的王国/千年王国』はすぐにも到来するはずでした。
しかし、ユダヤ人たちはイエスのメシアとしての御業を、『悪霊のかしらベルゼブルの力によってだ』という当時の指導者たちに聞き従い、イエスを十字架につけたのです。そのため、当時のユダヤ人たちから『メシア的王国』は取り去られ、次に生存しているユダヤ人たちに提供されるのは、患難時代に生きる人々になりました。
*私たちが生きている現代が『千年王国』ではありません❗️
『千年王国』というからには、イスラエルが再び王国となり、復活したダビデがイスラエルの王として着座し、異邦人の国々も王国となっており、イエスが世界の『王たちの中の王』となっている時代を指します。それは、七年間の患難時代の後に実現します。
*御子によって…イエスの昇天後、使徒たちによって新約聖書が書かれました。その内容は、『イエスの生涯、宣教、言葉、教え』に関するものでした。
それは、『預言者たち』によってではなく、『父祖たち』によってでもなく、『ただひとりの神の御子、イエスご自身』によって直接語られたものです。
*私たちに語られました…ここでの『私たち』は、ヘブル書の著者と受取人たちのことですが、広い意味で新約時代の信者たちは、新約聖書の啓示の受取人です。
【なぜ御子が最後の啓示の付与者となり、信憑性を持ち得るのか】ということを、著者は『七つの点』で説明しています。
①御子を万物の相続者とし…被造世界の存在目的が、御子であることを示しています。
コロサイ1:15~17ー御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものよりも先に生まれた方です。
なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたものです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
神が御子を『相続者』とされたのは、詩篇2:7を成就するためでした。
詩篇2:7ー「わたしは主の定めについて語ろう。
主はわたしに言われた。
『あなたは、わたしの子。
きょう、わたしがあなたを生んだ。
相続権を持った実子であっても、子どものうちは親に従うことが求められ、従順いう意味では奴隷と変わりありません。しかし、成長し、財産の管理がきちんとできると親がみなした時、
「あなたは、わたしの子。
きょう、わたしがあなたを生んだ。」
と宣言されました。
イエスにとって、神の子としての宣言はバプテスマを受けられた時、そして『万物の相続者』としての宣言は、十字架の死に打ち勝った時となります。
②御子によって世界を造られ…『世界』と訳されているギリシャ語は、『時代/歴史』という意味です。
御子が神の歴史計画への支配権を持つことを意味します。
聖書が示すとおり、時間や歴史は、神がご自身の計画を表すための方法なのです。
コロサイ1:16ーなぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたものです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
*history…『歴史』は、『His Story = 彼 (イエス・キリスト) の物語』とも言えるかもしれません。
ヘブル1:3ー御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
③御子は神の栄光の輝き…御子が『神と同一』であることを示します。
『神の栄光』…ユダヤ人たちの間では、神の臨在の現われである『シャカイナグローリー』として認識されます。
『輝き』…外側にも発せられる、の意。
イエスご自身の中にある『シャカイナグローリー』が、外側に発せられたのが山上の垂訓での出来事。
マタイ17:2ーそして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。
ヨハネ1:14ーことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
*住まわれた…ギリシャ語:skeinei/ヘブル語の “シャカイナ” と同じ語源。
④御子は神の本質の完全な現れ…『現れ』ー現わされた、の意。
御子は、神の本質となる性質を持っておられます。
コロサイ1:15ー御子は見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。
ヨハネ10:30ーわたしと父とは一つです。
⑤その力あるみことばによって万物を保っておられます…御子は歴史を通して、全宇宙の支配者であられます。すべてのものの真ん中に位置し、父なる神が定められたある目標に向かって、すべての被造物を保ち、動かし、支えておられます。
『保っておられる』…現在形であり、『継続した真理』を表します。
被造物世界は、父なる神の具体的な目標を達成するために存在し、御子はそれを確実なものにすべく、摂理と『その力あるみことば』によって 働かれます。
『みことば』…ギリシャ語:reima 『語られたみことば』の意。
御子の語られた命令によって、被造物世界はその目標に至るのです。ーコロサイ1:15~17
マルコ4:35~41ーさて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸に渡ろう。」と言われた。
そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。
すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。
ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」
イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ。静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。
イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」
彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういうお方なのだろう。」
*「さあ、向こう岸に渡ろう。」…イエスの計画・摂理。
*「黙れ。静まれ。」…『語られたみことば』=reima=『その力あるみことば』。
*「いったいこの方はどういうお方なのだろう。」…『神の本質である』お方だということ。
⑥罪のきよめを成し遂げて…歴史上の御子の役割が、『贖い主』であることを強調。
律法では、罪のきよめは祭司の役目でした。ここでヘブル書の著者は、イエスを『祭司』として紹介しています。(詳細はヘブル書5〜7章)
【きよめに関する四つの側面】
a)御子以外に贖いを成し遂げたものはいません。
b)御子の十字架での死は、犠牲的きよめを可能にしました。
c)罪のきよめのために、もはや必要なものは何もありません。
d)外側のきよめだけでなく、内側の罪そのもののきよめです。
⑦すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました…御子が、人類を支配する方であることを強調しています。これも歴史上、御子の役割の一つです。
*すぐれて高い所…第三の天。神の御座がある所。
*大能者…御父
*大能者の右の座…御子が御父と同等であり、御父と同じ絶対的権威を持っておられることを意味します。
Ⅰ ペテロ3:22ーキリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。
*座った/着かれた…わざの完了を強調。
大祭司は立って仕事をしますが、イエスは仕事を終えられて神の右の座に着かれました。現在信者のためにとりなしの祈りをしてくださっています。
地上の神殿に仕える祭司たちは、律法によりレビ族からしかなることはできませんでした。ですから、イエスも地上の神殿の聖所や至聖所に入られたことは一度もありませんでした。
イエスが入られたのは、天にある『まことの聖所』であり、死に打ち勝った栄光のからだで入られたので、永遠の大祭司としてのとりなしができるのです。
ローマ8:34ー罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
①〜⑦の点は、御子が預言者たちよりも優れた啓示の付与者であることを示しています。御子は、旧約聖書の預言書を完成させる最後の啓示付与者なのです。
今から約2,000年前、イエスは『預言者』として地上に来られたのはこのためでした。
だから、律法の中で『モーセのような預言者』として書かれ、彼の言うことに従うように命じられていました。
申命記18:18~19ーわたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。
わたしの名によって彼が告げるわたしのことばに聞き従わない者があれば、わたしが彼に責任を問う。
しかし、ユダヤ人たちはイエスのことばに聞き従わず、『モーセのような預言者…かもしれない』とあと一歩というところまで近づいたにもかかわらず、当時の指導者であるパリサイ人たちによって否定された言葉を信じ、イエスを『メシア』として信じませんでした。
だからイエスは、『聞き従わない者たち=罪人たち』の身代わりとして、十字架で贖ってくださったのです。
救いのみわざはなされました。
あとは、私たちがそれを信じるか否かにかかっています。
一世紀のユダヤ人たちのように、人の言葉や人が作った伝統に惑わされるのではなく、神のことばである聖書のみことばにしっかりと聞き従うことができますように。