マタイ26:1ーイエスは、これらの話をすべて終えると、弟子たちに言われた。
*これらの話…神殿崩壊と世の終わりについての預言。
特に、25章では携挙直後に行われる『キリストの御座の裁き』ー25:14~30ーと患難時代後に行われる『賢い娘たちと愚かな娘たち』ー25:1~13ー、『羊と山羊の裁き』ー25:31~46ーについて語られています。
マタイ26:2ー「あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」
*二日たつと…この話がされたのは、ニサンの月の十三日です。
*過越の祭り…ニサンの月の十四日の夕方に子羊をほふり、その血を門柱と鴨居に塗り、その晩に神の霊がその家を過ぎ越されたことの記念。
ニサンの月の十五日に、イスラエルの民は出エジプトをしました。
過越の祭りに続く七日間は『種なしパンの祭り』となり、合せて八日間を『祭りの期間』として過ごします。
マルコ14:1ーさて、過越の祭りと種なしパンの祝いが二日後に迫っていたので、祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕え、殺すことができるだろうか、とけんめいであった。
*十字架につけられるために… イエスはここで、ご自分が十字架につけられて殺されることを預言されています。
律法に従えば『石打ちの刑』が死刑法でした。
この時から半年前の仮庵の祭りの時に、姦淫の現場で捕まえられた女は『石打ちの刑』に処するべきかどうかが問われました。つまり、半年前はユダヤ教の律法による死刑制度は有効でした。
また、ペンテコステ後、最初の殉教者となったステパノも『石打ちの刑』で殺されました。この時もユダヤ教の律法による死刑制度が有効でした。
使徒7:58~59ーそして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。
こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」
しかし、この年の過越の祭り前後の数ヶ月間だけ、ユダヤ人たちから死刑執行権が剥奪されていました。
ヨハネ18:31ーそこでピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、自分たちの律法に従ってさばきなさい。」ユダヤ人たちは彼に言った。「私たちには、だれを死刑にすることも許されてはいません。」
そのため、イエスを捕まえた人々は、ユダヤ教の宗教裁判だけではなく、ローマ法による裁判を求め、ローマの極刑である『十字架刑』を勝ち取ったのです。
しかし、神にあっては全てが益となるように、
『十字架』は
①神と人、
②ユダヤ人信者と異邦人信者とを
結びつける架け橋となりました。
マタイ26:3ーそのころ、祭司長、民の長老たちは、カヤパという大祭司の家の庭に集まり、
*カヤパ…AD18~36年の大祭司。前任者で、時の名誉大祭司アンナスの養子。
アンナスによる尋問、大祭司カヤパによる裁判は、ユダヤ法に基づく裁判ではありますが、ユダヤ法によれば『鶏が鳴く前の裁判は無効』でした。
マタイ26:4ーイエスをだまして捕らえ、殺そうと相談した。
*殺そうと相談した…本来なら、律法をよく知り、民を指導する立場にあったものたちが、メシアであるイエスを『だまして捕らえ、殺そうと相談した』のです。
神はユダヤ人たちがまずメシアを信じ、受け入れることを願って『律法』を託したのに、彼らはメシアを拒んだのです。
ヨハネ1:11ーこの方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
ガラテヤ3:24ーこうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
マタイ26:5ーしかし、彼らは、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから」と話していた。
祭司長、民の長老たちは、神を畏れるのではなく、民衆の騒ぎやそれに伴うローマ政府の対応を恐れていたのです。
メシアを信じる私たちは、本当に畏れるべき方を畏れた信仰の歩みができますように。