聖書の中には同じ名前が時々出て来るので、どの人が何をしたのかを整理しないと混同してしまいますよね⁉︎
創世記49:10ー王権はユダを離れず、 統治者の杖はその足の間を離れることはない。 ついにはシロが来て、 国々の民は彼に従う。
『王権はユダを離れず』とあるのに、イエス様の初臨の頃のイスラエルの王は、エドム人ヘロデでした。
*エドム人…アブラハムーイサクーエサウの子孫。アラブ人。現在のヨルダン王国南部、エドムの地に住んでいた。
• ヘロデ大王ー『ユダヤ人の王』として誕生された幼子イエスを殺そうとして、ベツレヘムとその周辺の二歳以下の男児を殺害。マタイ2:16
• 息子のヘロデ・アンテパスーバプテスマのヨハネを斬首 マタイ14:3~12, ルカ9:7~9
• 孫のヘロデ・アグリッパー使徒ヤコブを剣で殺害 使徒12:2
• 曾孫のヘロデ・アグリッパⅡ世ーパウロを審問 使徒26:28
ヘロデ大王はとても猜疑心が強く、保身のためなら実の息子(アレクサンドロス、アリストブロス)まで殺しました。
そのため、当時の人々の間には「ヘロデの息子に生まれるよりは、ヘロデの豚になる方がマシだ。」とまで言われるようになりました。 豚は汚れたものとして、律法により食することを禁じられていたので、殺される心配がなかったからです。
申命記14:8ー豚もそうである。ひづめは分かれているが、反芻しないから、あなたがたには汚れたものである。その肉を食べてはならない。またその死体にも触れてはならない。
そんなヘロデ大王のところに、東方の博士たちが訪ねて来て「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」ーマタイ2:2ーと言われたので、慌てて調べさせ、ベツレヘムとその近郊に住む二歳以下の男児を皆殺しにするように命じたのです。
ミカの預言では、メシアの誕生はピンポイントで『ベツレヘム』となっていますが、ヘロデ大王は『ベツレヘムとその近郊』と枠を広げています。
ここにも彼の猜疑心の強さがあらわれていると思います。
息子のヘロデ・アンテパスは、異母兄弟ヘロデ・ピリポの妻であったヘロデヤを奪い、妻としていました。 それを、バプテスマのヨハネに咎められていました。
マタイ14:3~4ー実は、このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕らえて縛り、牢に入れたのであった。 それは、ヨハネが彼に、「あなたが彼女をめとるのは不法です」と言い張ったからである。
ヘロデ・アンテパスは、バプテスマのヨハネを預言者だと認めていた群衆を恐れたために、殺すことができずにいました。
マタイ14:5ーヘロデはヨハネを殺したかったが、群衆を恐れた。というのは、彼らはヨハネを預言者と認めていたからである。
そのヘロデ・アンテパスに絶好の機会がやって来ました。それが自分の誕生祝いの席でした。
自分の誕生日に、誰かを殺すなんて感覚はちょっと想像できないですよね…😰
マタイ14:6~11ーたまたまヘロデの誕生祝いがあって、ヘロデヤの娘がみなの前で踊りを踊ってヘロデを喜ばせた。
それで、彼は、その娘に、願う物は何でも必ず上げると、誓って堅い約束をした。
ところが、娘は母親にそそのかされて、こう言った。「今ここに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて私に下さい。」
王は心を痛めたが、自分の誓いもあり、また列席の人々の手前もあって、与えるように命令した。
彼は人をやって、牢の中でヨハネの首をはねさせた。
そして、その首は盆に載せて運ばれ、少女に与えられたので、少女はそれを母親のところに持って行った。
ヘロデ大王の孫、ヘロデ・アグリッパ1世は、使徒たちの時代(初代教会時代)に、ゼベダイの子ヤコブを殺しました。
新約聖書のヤコブの手紙は、イエスの異父兄弟ヤコブであって、十二使徒の(大)ヤコブでも(小)ヤコブでもありませんので要注意!
曾孫のカルキスのヘロデ・アグリッパ Ⅱ 世は、ベルニケとともにカイザリヤに来ていた時に、パウロを審問しました。ー使徒25:13~26:32
このように、時間の流れに沿って四人のヘロデがしたことを整理しておくと、混同せずにすみますね。