これから起こることの預言と聞くと、警戒する人、飛びつく人、そして黙示録を調べる人…いろいろな反応があると思います。
しかし、聖書…特に、旧約の預言書が『これから起こること』を記しています。
結論から言うと、時系列的には『北の連合軍によるイスラエル侵略』が先か、 時系列不明の『携挙』『暗黒』『エリヤの再来』『第三神殿』のどれかが先かということになります。
個人的には『携挙』以外のことが先に起きたら、多くのクリスチャンが「携挙が近い」と触れ広めるでしょうから、携挙が先なんじゃないかな〜と希望を持っていますけどね😅 どうなることやら…?
これこそ本当に『神のみぞ知る!』ですね。
イエス・キリストに関する誕生、 生涯、その死と復活 などの預言は、すべてその通り成就したことを考えると、これから起こると預言されていることも間違いなく起こると信じられるのではないでしょうか…?
イザヤ書でキリストはユダ族のダビデの家系の処女から生まれると預言されていましたから、イエスが誰の子孫として誕生したを証明できるうち…つまり、AD70年のエルサレム陥落、系図が保管されていた神殿崩壊前に誕生していなくてはなりません。
イスラエルに注目してみましょう。
ルカ21:20~21ーしかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのをみたら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。
そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。いなかにいる者立ちは、都に入ってはいけません。
主イエスは続く22節で『これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。』と言われています。
*書かれている…旧約聖書のどこかに『書かれている』ことであって、伝承のことではありません。
イザヤ63:4ーわたしの心のうちに復讐の日があり、
わたしの贖いの年が来たからだ。
ホセア9:7ー刑罰の日が来た。報復の日が来た。
イスラエルは知るがよい。
預言者は愚か者、霊の人は狂った者だ。
これはあなたのひどい不義のため、
ひどい憎しみのためである。
AD70年に預言どおり成就したエルサレムの陥落と神殿崩壊は、一体何の『復讐/報復の日』であり、『贖いの年』だったのでしょう?
それは、律法が伝えた『モーセのような預言者』、旧約の預言者たちが伝えた『メシア』として来られたイエスを、神の選びの民であるイスラエルが民族として拒否したことでした。
『ベルゼブル論争』で彼らは指導者たちに従い、イエスのメシア性を拒否しました。
さらに、彼らはイエスを十字架につけるために、とんでもない発言をしてしまったのです😱
マタイ27:23~26ーだが、ピラトは言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫び続けた。
そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」
すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」
そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。
イエスの初臨当時の指導者たちの誘導により、大人たちは自分たちだけでなく『イエスの血の責任は、私たちの子どもたちの上にかかってもいい』と言ってしまいました💦
その報復の日が、ローマ軍による神殿崩壊、エルサレム陥落となった、AD70年のアブの月の九日だったのです。
一方、イエスを十字架につけて しまったAD30年〜70年までの40年間に(*40…試みの数)、「悪霊どものかしら、ベルゼブル」と呼ばれていたイエスを『メシア』だと悔い改め(*悔い改め…考え方を変えること)メシアニックジューとなった人々は、AD67,8年頃に一度ローマ軍に囲まれた時に、主のみことばを思い出し、ガリラヤ地方で起きた暴動を鎮めるために包囲が解かれた隙に、ペラというイスラエル国内の山に逃げて助かりました。
その後約1,900年弱の間、イスラエルという国は地上から消え、ユダヤ人たちは『ユダヤ系◯◯人』として世界中に離散しました。
マタイ24:7~8ー民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉と地震が起こります。
しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみ初めなのです。
子を産む女性を襲う陣痛にたとえて聖書が伝えるとおりに、第一次、第二次世界大戦でのホロコーストを通して、600万人というユダヤ人の犠牲者の上にようやく『イスラエル国家再建』となりました。その預言が、エゼキエル書にあります。
エゼキエル20:33~38ーわたしは生きている、ー神である主の御告げ。ーわたしは憤りを注ぎ、力強い手と伸ばした腕をもって、必ずあなたがたを治める。
わたしは、力強い手と伸ばした腕、注ぎ出る憤りをもって、あなたがたを国々の民の中から連れ出し、その散らされている国々からあなたがたを集める。
わたしはあなたがたを国々の民の荒野に連れて行き、そこで顔と顔を合わせて、あなたがたをさばく。
わたしがあなたがたの先祖をエジプトの地の荒野でさばいたように、あなたがたをさばく。ー神である主の御告げ。ー
わたしはまた、あなたがたにむちの下を通らせ、あなたがたと契約を結び、
あなたがたのうちから、わたしにそむく反逆者を、えり分ける。わたしは彼らをその寄留している地から連れ出すが、彼らはイスラエルの地にはいることはできない。あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。
つまり、現在のイスラエルに集められているユダヤ人たちはまだ、メシアを拒否したままの不信仰な状態で世界中から帰還しています。
それは何のためかというと 、『不信仰のイスラエルをさばくため』だということです。
このさばきこそ、次に来る七年間の患難時代なのです。
この患難時代が来る前に、どのようなことが起こると預言されているのでしょう…?
患難時代の始まりは、反キリストとイスラエルの七年間の平和条約締結時です。
そして、イスラエルのレムナントたちの回心の祈りに答えてキリストの地上再臨が起こると、患難時代は終わりを迎えます。
イスラエル国家が1,948年に再建されたということは、いつでも反キリストと契約を結べるようになったということです。さらに、患難時代のエルサレムの神殿となる『第三神殿』を建てるための場所は、第一神殿や第二神殿があったエルサレムの旧市街地でなくてはなりません。その地域は、建国後もヨルダン王国の支配下だったのですが、1,967年に起きた六日間戦争で勝利したイスラエルが奪還しています。
ここまでが、既に成就しています。
時系列的に、次に起こることとして預言されているのが、エゼキエル38:1~39:16にあるロシアを中心とした『北の連合軍によるイスラエル侵略』です。
『北の連合軍によるイスラエル侵略』は、順番がわかる預言として『次』に成就することですが、ほかにも起こることが預言されながら、その出来事の前提条件となる事柄がなく、どのようなタイミングで起こるのか予測ができない事がいくつかあります。
1)世界規模での暗黒
ヨエル2:31ー主の大いなる恐るべき日が来る前に、
太陽はやみとなり、月は血に変わる。
*主の大いなる恐るべき日…患難時代
患難時代が来る前に、世界は 何らかの理由で暗黒に襲われるということです。
また、七年間の患難時代には計4回の暗黒に襲われます。
2)エリヤの再来
マラキ4:5~6(新共同訳:マラキ3:23~24)ー見よ。わたしは、
主の大いなる恐ろしい日が来る前に、
預言者エリヤをあなたがたに遣わす。
彼は、父の心を子に向けさせ、
子の心をその父に向けさせる。
それはわたしが来て、
のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。
*主の大いなる恐ろしい日…患難時代
預言者マラキは、患難時代の前に『エリヤの再来がある』と預言しています。
マタイ10:37ーわたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
ルカ12:51~53ーあなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。
今から、一家五人は、三人がふたりに、ふたりが三人に対抗して分かれるようになります。
父は息子に、息子は父に対抗し、母は娘に、娘は母に対抗し、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに対抗して分かれるようになります。」
イエスは「今から」と言われました。これは患難時代を指すことばではありません。
『ベルゼブル論争』でイエスのメシア性を拒否したユダヤ人たちは、伝統的にイエスを拒み続けています。その彼らの中にあっても、神はいつの時代も『イスラエルの残りの者/レムナント』を興してこられました。
現在のメシアニックジューたちも『教会時代のレムナント』なのです。
彼らがユダヤ人社会にあってイエスをメシアだと受け入れることは、家族間に分裂を引き起こします。ある者は親から 勘当され、ある者は死んだ者として葬儀をあげられ、ある者は親族から疎外され…どれほどの犠牲のうえにイエスに従う決心をしていることか…!
しかし、すべてをご存知の主は患難時代が来る前に『エリヤ』を送られ、亀裂の入ったユダヤ人家族を和解させてくださるのです。
3)携挙
1テサロニケ4:13~18ー眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。
私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。
1コリント15:52ー終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
*終わりのラッパ…患難時代の『七つのラッパの裁き』の第七のラッパと解釈し、「携挙は患難時代中期に起こる」と説く人がいますが、パウロがコリント人への手紙を書いたのはAD55年頃。一方、ヨハネがパトモス島で啓示を与えられて黙示録を書いたのはAD95年頃ですから、パウロが40年も早くラッパの裁きについてだけ先に啓示が与えられていたことを証明する聖句はありません。『40』は、試みの数だということを思い出してください。
携挙もまた、前提条件のない預言 の一つですが、確実に言えるのは患難時代の前、つまりイスラエルと反キリストの七年間の平和条約締結前に起こるということです。
なぜなら、黙示録にこう記されているからです。
黙示録3:10ーあなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。
*試練の時…患難時代
患難時代は『全世界に来』ますから、この地上には逃れの地はありません。そこから逃れるには、携挙によって地から上げられ天に避難させられるしかないのです。
4)第三神殿
以下の聖句から、患難時代の前半にはエルサレムに『第三神殿』が建ち、機能していることがわかります。しかし、キリストが十字架ですでに無効にされたモーセの律法に従ってささげる動物のいけにえは、神に喜ばれ、受け入れられるものではありません。
イザヤ66:1~6ー主はこう仰せられる。
「天はわたしの王座、地はわたしの足台。
わたしのために、あなたがたの建てる家は、
いったいどこにあるのか。
わたしのいこいの場は、いったいどこにあるのか。
これらすべては、わたしの手が造ったもの、
これらすべてはわたしのものだ。
――主の御告げ――
わたしが目を留める者は、
へりくだって心砕かれ、
わたしのことばにおののく者だ。
牛をほふる者は、人を打ち殺す者。
羊をいけにえにする者は、犬をくびり殺す者。
穀物のささげ物をささげる者は、
豚の血をささげる者。
乳香をささげる者は、偶像をほめたたえる者。
実に彼らは自分かってな道を選び、
その心は忌むべき物を喜ぶ。
わたしも、彼らを虐待することを選び、
彼らに恐怖をもたらす。
わたしが呼んでもだれも答えず、
わたしが語りかけても聞かず、
わたしの目の前に悪を行い、
わたしの喜ばない事を彼らが選んだからだ。」
主のことばにおののく者たちよ。
主のことばを聞け。
「あなたがたを憎み、
わたしの名のためにあなたがたを押しのける、
あなたがたの同胞は言った。
『主に栄光を現させよ。
そうすれば、あなたがたの楽しみを見てやろう。』
しかし、彼らは恥を見る。」
聞け。町からの騒ぎ、宮からの声、 敵に報復しておられる主の御声を。
ダニエル9:27ー彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」
*半週の間いけにえとささげものとをやめさせる…患難時代の後半の3年半の間、いけにえとささげものをやめさせるには、患難時代の前半に第三神殿が建ち、機能している必要があります。
マタイ24:15ーそれゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)
*聖なる所…神殿
Ⅱ テサロニケ2:3~4ーだれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。
彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。
*神の宮に座を設け… 患難時代の中期になると、反キリストの獣の像が神殿に設置されます。つまり、患難時代前半には『第三神殿』があるということです。
黙示録11:1~2ーそれから、私に杖のような測りざおが与えられた。すると、こう言う者があった。「立って、神の聖所と祭壇と、また、そこで礼拝している人を測れ。
聖所の外の庭は、異邦人に与えられているゆえ、そのままに差し置きなさい。測ってはいけない。彼らは聖なる都を四十二か月の間踏みにじる。
*聖所の外の庭は異邦人に与えられている…第三神殿は、ソロモンの神殿とは異なり、『異邦人の庭』があるということです。異邦人で患難時代中期に設置される反キリストの獣の像を拝む者はみな、その額か右の手に『666』の刻印を押されるようになります。
つまり、携挙に漏れた異邦人の救いの期間は患難時代中期までとなり、後半の3年半はユダヤ人のレムナントの救いへと移っていきます。
これらのことを知った上で、これからの歴史を見守っていく必要があります。
何が起ころうとも『キリストの福音の三要素』を信じ、御霊の内住のある信者は患難時代を通過することはないという安心感、これこそが教会時代の信者に与えられた『平安』なのです。