サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

過去に生きるのではなく、前進せよ! 〜エズラ記3:10~13〜

BC586年、ネブカデネザル王による第三回バビロン捕囚により、エルサレムの町は陥落し、ソロモンが建てた神殿は崩壊しました。

この時からエルサレムは異邦人に踏み荒らされることとなり『異邦人の時』が始まりました。

 

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 イザヤ書45:1は、油そそがれた者クロスに、

こう仰せられた。

「わたしは彼の右手を握り、

彼の前に諸国を下らせ、

王たちの腰の帯を解き、

彼の前にとびらを開いて、

その門を閉じさせないようにする。

 

*油そそがれた者…旧約時代の異邦人で油そそぎを受けたのは、ペルシャのクロス王だけ。

 

エズラ記1:1~4-ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。

「ペルシヤの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜った。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。 あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。

残る者はみな、その者を援助するようにせよ。どこに寄留しているにしても、その所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んでささげるささげ物のほか、銀、金、財貨、家畜をもって援助せよ。』」

 

後に興たメド・ペルシャ連合帝国のペルシャの王、油そそがれたクロスがユダヤ人に帰還命令を出しました。

帰還したユダヤ人たちが、神殿の礎を据えた時の記述がエズラ記にあります。

 

 

エズラ記3:10-建築師たちが主の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって主を賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出て来た。

 

*アサフの子ら…アサフは幕屋における賛美リーダーでした。

1歴代誌16:4~5ーそれから、レビ人の中のある者たちを、の箱の前で仕えさせ、イスラエルの神、を覚えて感謝し、ほめたたえるようにした。

かしらはアサフ、彼に次ぐ者は、ゼカリヤ、エイエル、シェミラモテ、エヒエル、マティテヤ、エリアブ、ベナヤ、オベデ・エドム、エイエル。彼らは十弦の琴や、立琴などの楽器を携え、アサフはシンバルを響かせた。

*主を覚えて…奴隷として暮らしていたエジプトから救い出してくださった神であるを思い出し、覚えての意。

 

エズラ記3:11ーそして、彼らは主を賛美し、感謝しながら、互いに、  

「主はいつくしみ深い。  

その恵みはとこしえまでもイスラエルに。」 と歌い合った。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ。

 

主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエル…アサフたちもそのようにを賛美しています。

1歴代誌16:34ー主に感謝せよ。

主はまことにいつくしみ深い。  

その恵みはとこしえまで。

 

民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ…この時はまだ神殿の礎だけしか据えられていませんでしが、【主】にピントが合っていたため、民は未来を見て喜んでいました。

 

エズラ記3:12ーしかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、彼らの目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。

 

*老人たち…バビロン捕囚前の若かりし頃、ソロモンの建てた豪華な神殿を見て、その栄光を知っている人々。彼らの多くは、過去の栄光を思い出して大声で泣きました。

 

信仰を持ったらすべてがバラ色の人生…などということはありません。

クリスチャンだから泣かない…ということもありません。

私たちは過去に引きずられ、未来が見えなくなる時、涙が出るのです。

 

*ほかの多くの人々…過去の栄光を知らない世代。これから先の未来に希望を抱いている人々。

 

 

エズラ記3:13ーそのため、だれも喜びの叫び声と民の泣き声とを区別することができなかった。民が大声をあげて喜び叫んだので、その声は遠い所まで聞こえた。

 

*喜びの叫び声と民の泣き声… 『多くの老人たち』も『ほかの多くの人々』も同じ神殿の礎を見ているのです。しかし、反応は過去に引きずられているか、未来を見据えているかで異なります。

 

私たちもいつまでも過去に留まっていてはいけないのです。

過去の辛い経験や罪の失敗による涙があっても、自分の意思を持って涙で終わらせないようにする必要があります。涙も喜びも受け入れて、主にあって一歩を踏み出していかなくてはなりません。その鍵となるのが『信仰』です。

 

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多くのクリスチャンは、『反省』と『悔い改め』を混同しているように思います。

【反省】…自分の考えや行ったことやに対し、間違いがなかったかを考えること。

【悔い改め】…自分の考えを神のみことばに合わせて変えていくこと。

 

未信者でも反省はできますが、悔い改めは信者にしかできないことだと思います。

 

あるクリスチャンたちは「いつも悔い改めの祈りをしています。」と言い、何を悔い改めているのかと問うと、「過去に犯した罪を一つ一つ思い出しては、主に赦しを乞うています。」と返ってきます。

 

ヨハネ2:11ー子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。

 

使徒ヨハネは『あなたがたの罪が赦された』と過去形で記しています。

主は十字架の死と復活は、信じる者すべての罪を赦し、義と認めてくださる神の贖いです。

 

ヨハネ3:16ー神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

私たちはキリストの十字架の贖いを信じる信仰によって『義』と認められ、永遠のいのちを頂いた者ですから、いつまでも過去にとらわれて後向きに生きるのではなく、みことばにより信仰的に成長し、前進していく必要があります。

 

何度も何度も同じ過去の罪を告白し、赦しを乞い続けるのは、キリストの十字架の贖い も罪の赦しをも信じない不信仰であり、旧約の律法のように繰り返し罪のための動物のいけにえをささげることと似ています。

 

キリストの十字架の贖いは、信じる者を『完全に救う』ことができるのです。

しかも、キリストは今 天にあるまことの聖所で私たちのためにとりなしていてくたさっているのですから、神により近づくためにも前進していく必要があるのです。

 

ヘブル7:25ーしたがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。

 

ピリピ3:13~14ー兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

 

ローマ15:4ー昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。

 

主にある希望のうちに、2017年も信仰の歩みができますように。

シャローム ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶