サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

18年間サタンに縛られた女の癒し 〜ルカ13:10~17〜

病気の人やからだに不自由のある人々の癒しのみわざは、メシア預言の成就です。

 

ルカ13:10ーイエス安息日に、ある会堂で教えておられた。

 

エス様はよく会堂に入られて、そこで教えられていました。

ガリラヤでルカ4:14~15ーイエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。

エスは、彼らの会堂で教え、みなの人にあがめられた。

 

ナザレでルカ4:16~17ーそれから、イエスはご自分のそだったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。

すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。

 

時々「イエス様の時代はまだ読み書きが出来る人が少なかった」と言う方がいますが、 貧しい大工の子として育ったイエス様でも預言書を読むことができたほど、当時のユダヤ人たちは読み書きができたのです。

 

 

ルカ13:11ーすると、そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全然伸ばすことのできない女がいた。

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*病の霊…サタンによる縛り。ルカ13:16参照 

『死』や『病』などは、サタンによってもたらされました。やがてすべての信者は復活させられ、新しい天の都エルサレムで永遠の秩序の中で住まうことになります。

そこには『いのちの木』があり、その木の葉により癒され、死ぬこともない栄光のからだで永遠に神とともに生きることになります。

 

黙示録21:4ー彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。

 

黙示録22:2ー都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

 

 

ルカ13:12ーイエスは、その女を見て、呼び寄せ、「あなたの病気はいやされました」と言って、

*イエスは、その女を見て… どのような思いでイエス様は、18年もの間、腰の曲がったまま生活をしている女性を見られたのでしょう?

エス様を三度「知らない」と否定したペテロを見つめられる時のイエス様の眼差しと、この時の眼差しとを想像してみてください。

 

*「あなたの病気はいやされました」…原文には『あなた』の前に『ギュナイ』という女性に対する呼びかけがあります。

また、すでにことがなったかのように『病気はいやされました』と完了形で言われています。

 

ルカ22:16ー主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言う」と言われた主のおことばを思い出した。

 

ルカ13:13ー手を置かれると、女はたちどころに腰が伸びて、神をあがめた。

*手を置かれるとヘブル6:3ーきよめの洗いについての教え、手を置く儀式、死者の復活、とこしえのさばきなど基礎的なことを再びやり直したりしないようにしましょう。

 

『手を置く』というのは、旧約時代、祝福を伝える方法として用いられました。

この時はまだ、キリストの十字架よりも前の出来事ですから、時代はモーセの律法下の旧約時代です。

 

マタイ19:13ーそのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。

 

*たちどころに…ただちに。すぐに。イエス様の「いやされました」という宣言から、実際にいやされるまでに要した時間が非常に短いことがわかります。

 

*神をあがめた…なぜ、イエス様に手を置かれた瞬間に癒されたのに、この女性は『神をあがめた』のでしょう?

この女性は、イエス様のことをどのようなお方だと認識しているのでしょう?

 

 

ルカ13:14ーすると、それを見た会堂管理者は、イエス安息日にいやされたのを憤って、群衆に言った。「働いてよい日は六日です。その間に来て直してもらうがよい。安息日には、いけないのです。」

 

*会堂管理者は〜憤って…癒された女性が神をあがめたのとは対照的に、会堂管理者の反応は『憤り』でした。彼は『モーセの律法』の第四戒を気にするあまり、神の愛や憐れみを見失っていました。

 

出エジプト記20:8~10a安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。

しかし七日目は、あなたの神、の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。 

 

 パウロは、律法に関して次のようにテモテに書き送っています。

1テモテ1:9~10ーすなわち、律法は、正しい人のためにあるのではなく、律法を無視する不従順な者、 不敬虔な罪人、汚らわしい俗物、父や母を殺す者、人を殺す者、

不信仰な者、男色をする者、人を誘拐する者、うそをつく者、偽証をする者などのため、またそのほか健全な教えにそむく事のためにあるのです。 

 

エス様もこの女性も『安息日を覚えて』会堂に来ていました。

『憤る』に値すると思いますか?

 

この会堂管理者は『群衆に』訴えていますが、なぜ議会ではなく『群衆に』訴えているのでしょう?

神のみことばと、群衆の賛同とどちらを選ぶべきでしょうか?

 

クリスチャンでも時々、聖書のみことばではなく昔の偉人の言葉だったり、著名人の言葉を引用して自分の見解を正当化しようとする人がいますが、私たちは人の言葉よりも聖書のみことばに重きを置くべきですね。

 

使徒5:29ーペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。 

 

 

ルカ13:15ーしかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たち。あなたがたは、安息日に、牛やろばを小屋からほどき、水を飲ませに連れて行くではありませんか。

 

安息日に、牛やろばを小屋からほどき、水を飲ませに連れて行くユダヤ教の中でも意見が分かれており、エッセネ派の人々は安息日に家畜を救うことを禁じ、民衆の指導者であるパリサイ派は許可していました。

 

ルカ14:3~6ーイエスは、律法の専門家、パリサイ人たちに、安息日に病気を直すことは正しいことですか、それともよくないことですか」と言われた。

しかし、彼らは黙っていた。それで、イエスはその人を抱いていやし、帰された。

それから、彼らに言われた。「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか。」

彼らは答えることができなかった。

 

*黙っていた、答えることができなかった…ラビ的議論では、沈黙は『敗北』か『無知』を意味しました。

 

 

 

ルカ13:16ーこの女はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。」

 

エス様は、安息日に家畜を救ったり、水を飲ませたりすることができるなら、家畜よりも優れた存在であるこの女性を『サタンの束縛』から解いてやることは当然のことであると主張しています。

 

私たちはどうでしょう?

本来の従うべき命令を無視して、他のことを気にしてはいないでしょうか?

キリストの福音の三要素を伝えずに、神の愛や励ましだけを伝えていませんか?

もう一度、みことばの原点に立ち返る必要があるのではないでしょうか?

 

アブラハムの娘…神の選びの民『ユダヤ人/イスラエル人』の父祖。

 

osusowake.hatenablog.com

 

 

ルカ13:17ーこう話されると、反対していた者たちはみな、恥じ入り、群衆はみな、イエスのなさったすべての輝かしいみわざを喜んだ。

 

ここには、二種類の結果があります。 

*反対していた者たち…会堂管理者や指導者たちは、恥じ入りました。

*群衆…イエスのなさったすべての輝かしいみわざを喜びました。

 

ヨハネ8:32そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。

 

この女性も群衆もイエス様により真理を知り、自由にされました。*\(^o^)/*

 

素直にみことばを聞き(読み)イエスのみわざを理解すれば、神の栄光を褒め称える者となります。イエス様の時代のユダヤ人たちも、このまま素直にイエスはメシアであると認めればよかったのですが、彼らは指導者たちの言うことに聞き従い、民族的にイエスのメシア性を拒否してしまいました。

 

私たちも『指導者』だからというだけで、彼らのいうことを鵜呑みにするのではなく、ベレヤのユダヤ人たちのように、みことばで確認する癖をつけるべきですね。

 

使徒17:11ーここのユダヤ人たちは、テサロニケにいる者たちよりも良い人で、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。