イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。
「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、
どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」ーマタイ13:31~32
このみことばを読んで、どのようなイメージをお持ちになったでしょうか?
肯定的な意味にとりましたか?
それとも、否定的な意味でとりましたか?
『からし種の譬え』としてはとても有名な箇所なので、肯定的に理解した方はきっと、このように教会学校の教材として用いて子どもたちに教えておられるでしょう。
もしくは、下の写真のようにイメージされた絵を額縁に入れて、飾っておられるかもしれません。
肯定的な意味でとられる方は、『からし種』という小さな種が芽を出し
成長すると、やがて大きな教会となり、多くの鳥(信者)が集うようになると理解されているのではないでしょうか?
では、『からし種』とは何のことしょう?
『神/キリストがいることを信じる』ということ…?
『キリストが私たちの罪のために十字架で死んでくださった』ということ…?
『キリストが私たちの罪のために十字架で死んで、よみがえられた』ということ…?
残念ながら、これらの答えは不十分です。
『からし種』とは、『御国の福音』のことであり、パウロが最も大切なこととして宣べ伝えた『福音』のことです。
1コリント15:2~4ーどんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。
最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに三日目に復活したこと、(新共同訳)
osusowake.hatenablog.com
では、『空の鳥』とは何を意味するのでしょう?
ひとりひとりの信者のことでしょうか?
それとも、教会に来る求道者のことでしょうか?
空の鳥が『巣を作る』とは、どのような意味を持つのでしょうか?
それらの疑問を解くには、書かれた聖句だけではなく、その前後の文脈からしっかりと意味を掴みながら理解していく必要があります。
マタイ13:24ーイエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。
「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。
イエス様は、マタイ13:24〜『天の御国』についての譬えを話されています。様々なことを例にあげながら、同じことを説明しておられるのです。
最初は『畑に蒔かれた良い種』の譬えです。
ここまでは『良い麦と毒麦』という二種類の麦を用いて、
①キリストの初臨から教会時代を通して患難時代まで、福音の種蒔きが行われること、
②種そのものにエネルギーがあるので、ひとりでに芽を出すこと、
③神の敵であるサタンも毒麦の種を蒔くこと、が教えられています。
『良い麦と毒麦の譬え』は、マタイ13:36~43でイエス様ご自身が解説されています。
しかし『からし種』と『パン種』の譬えには解説がないので、他の箇所を参考に解釈していく必要があります。
マタイ13:31ーイエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、
*別のたとえ…別のことを教えるのではなく、同じことを伝えるために『別のたとえ』を話されました。 それが『からし種』の譬えですから、『良い麦と毒麦』の譬えに準じて理解する必要があります。
1)永遠の王国…普遍的王国
2)霊的な王国…アダムから始まり、教会の誕生と携挙、人類の歴史の終わりを経て永遠へと続く王国。信者の心の中の王国。
4)奥義としての王国…ユダヤ人のメシア拒否から、ユダヤ人のレムナントによるメシア受容まで。
5)メシア的王国/千年王国…キリストの地上再臨からサタンによる最後の反乱まで。
マタイ13章は『奥義としての王国』についてです。
*からし種…直径1mm、重さ1mgの種であり、聖書の時代、畑で蒔かれる種のうち一番小さい物でした。
からし種のように『天の御国』の始まりは、『ナザレ人イエス』から始まり、ユダヤ教のナザレ派と言われるようなとても小さなものでした。
マタイ2:23ーそして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる」と言われた事が成就するためであった。
使徒24:5ーこの男はまるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人という一派の首領でございます。
マタイ13:32ーどんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」
*成長すると…通常 成長すると1.5mほどですが、ガリラヤ湖畔のからし種は3mに達するそうです。イエス様がこの譬えを話された場所が『ガリラヤ湖のほとり』であることを考えると、聴衆にとってはとても身近な例話であったことがわかります。
マタイ13:1~2ーその日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。
すると、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群衆はみな浜に立っていた。
当時は、教える人が座り、聴衆が立って聞くというのが一般的でした。
*どんな種よりも小さい…パレスチナ地方の種の中で一番小さかったことからの、当時の格言。
ヨハネ12:24ーまことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
*どの野菜よりも大きくなり…キリスト教界としての『奥義としての王国』は、巨大な外観を持つようになり、真のキリスト教のふりをした偽りの教え、異端的教えが入り込み、キリスト教界の中で巣を作ることになります。
聖書は文脈を無視して解釈してはいけません。
*空の鳥…『空の鳥』はマタイ13章の文脈では、サタンを意味しています。
地域教会に来る教会個々の信者や求道者のことではありません。
【解釈学の黄金律】by ディビッド・L・クーパー博士
聖書の言葉を理解できるのであれば、それ以外の意味を探そうとしない。
それゆえ、どの単語でも第一義的に、通常どおりの、一般的で、文字どおりの意味を取る。
ただし、前後の文脈や、関連聖句や基本的な真理と照らしてはっきりと別の意味だとわかる場合だけを例外とする。
*聖書は『幻』は幻として、『たとえ』はたとえとして記している。同様に、聖書が『比喩』としている場合は、比喩として読む。
この原則に立てば、すぐ前の文脈では『鳥』は、みことばの種を持ち去る『サタン』のことです。
マタイ13:4ー蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
マタイ13:19ー御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
つまり、キリストの福音を信じる者の群れの中に、サタン的教え/惑わしが入り込み、『巣を作る』ほどにその教えが定着するようになるのです。
「イエスを信じます。」と言いながら、パウロが宣べ伝えた福音ー1コリント15:3~4ーに行ないを付け加えたり、葬りや復活を差し引いたり、愛に置き換えたりして『他の福音』を信じる人々のことです。その中には、異端として知られるエホバの証人、モルモン教、統一教会(現:世界平和統一家庭連合)の他、最近では、摂理など韓国系、全能神という中国系のカルトも入り込んでいます。
復活し、昇天されたキリストの地上再臨は、雲に乗って来られること、それを多くの人々が肉の目で見ることが預言されています。
マタイ24:30ーそのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
使徒1:9~11-こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
黙示録19:11ーまた、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。
ですから、今地上から「私こそキリストの再来だ」と言う者は、すべて『にせキリスト』ということになります。
主イエスも『にせキリスト・にせ預言者』が現われることを預言されていますから、私たちは惑わされないように気をつけるべきです。
マタイ24:24ーにせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。
このように『からし種』の譬えは、神の王国は大きく成長すると共に、異端やカルトなどサタン的要素が含まれてくることを示しているのです。
一つ二つの聖句だけを出して、文脈を無視した解釈がいかに危険かお分りいただけたでしょうか?
では、次の『パン種』の譬えはどうでしょう?
ほとんどの方は、何度読んでもなかなか理解するのが難しく感じているのではないでしょうか?
マタイ13:33ーイエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」
*また別のたとえ… 『別のことを教える』のではなく、『同じことを教える』ために譬えを変えて説明しようとしていることがわかります。
*パン種…イースト菌のこと。そのエネルギーが全体に影響を及ぼすことになります。
聖書では『罪』『偽りの教理』を指すことばとして用いられています。
良い意味で『パン種』が用いられる聖句はありません。
マタイ15:6ーイエスは彼らに言われた。「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。
1コリント5:6~7ーあなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。
新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。
*女…偽の宗教体系を意味。
黙示録2:20ーしかし、あなたには非難すべきことがある。あなたはイゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行なわせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。
黙示録17:1~8では『大淫婦』
*三サトン…新改訳聖書の脚注には『一サトンは13ℓ』とありますが、量の話をしていないことは文脈から明らかですから、意味を理解するのには何の役にも立ちませんね。ここでは『三』が何を意味するかが重要です。
文脈では、奥義としての王国…ユダヤ人のメシア拒否から、ユダヤ人のレムナントによるメシア受容までの『教会時代〜患難時代の終わり』までのことについて譬えを用いて説明しています。
主に、教会時代の教理に分かれたー
東方教会・カトリック・プロテスタントーの三つのグループを意味します。そして、それぞれが偽りの教理、内部に教義的腐敗となる『サタンのパン種』によって人々に受け入れられ易くなり、大きくなることを示しています。
*入れると…原語では、『隠すと』。
マタイ13:35ーイエスは、これらのことをみな、たとえで群衆に話され、たとえを使わずには何もお話しにならなかった。
12章の『ベルゼブル論争』までは、イスラエルの群衆にご自分がメシアであることを公に示しておられましたが、ベルゼブル論争によりイスラエル民族としてイエスのメシア性を否定し、イエスがメシアだと信じない群衆には明確に語ることはしなくなりました。意味を隠すためにすべて譬え話を語るようになりました。
奇蹟やしるしもイスラエルの大衆の前から信じる者個人になさるようになり、ご自分を信じる弟子たちを、近い将来訪れる教会時代に遣わすための訓練に入っていきました。
このように、イスラエル民族としてメシアを拒否することになった『ベルゼブル論争』は、キリストの初臨時における分岐点となったのです。
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マタイ13:36ーそれは、預言者を通して言われた事が成就するためであった。
「わたしはたとえ話をもって口を開き、
世の初めから隠されていることどもを物語ろう。」
昔からのなぞを物語ろう。
難しい譬えが出て来たら、特にその前後の文脈に注意する必要があります。
譬えが書かれた節だけにとらわれて私的解釈をしないように気をつけたいものですね。