イスラエルには、おきてとさばきを告げられる。
主は、どんな国々にも、
このようには、なさらなかった。
さばきについて彼らは知っていない。
ハレルヤ。
*おきてとさばき…『律法と預言書』、つまり旧約聖書はイスラエルに与えられたもの。
*どんな国々にも…イスラエル以外の国には与えられてはいません。
ローマ3:1~2-では、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。
それは、あらゆる点から見て、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています。
ユダヤ人が『神の選びの民』としてみことばを委ねられ、彼らを通して異邦人が真の神を知るように…というのが『出エジプト』の目的でした。
律法とは『神の民』として選ばれたイスラエルに対しての基準であり、その基準を満たしていないことが『罪』なのです。
だから、パウロはこう言っています。
ガラテヤ3:10ーというのは、律法の行ないによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」
*こう書いてあります…申命記27:26ー「このみおしえのことばを守ろうとせず、これを実行しない者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。
イスラエル民族は被造物としての『人間』として、神の初子・長子です。
出エジプト記4:22ーそのとき、あなたはパロに言わなければならない。主はこう仰せられる。「イスラエルはわたしの子、わたしの初子である。
神の御子イエスが『ユダヤ人』としてお生まれになった理由は、自らを律法のもとに置き、どう頑張っても613ある律法をすべて守ることのできない『罪人』であったイスラエルの『身代わり』として律法をすべて守り、十字架の死によって律法を終わらせ、律法ののろいからイスラエルを解き放つためでした。
エレミヤ22:28~30ーこのエコヌヤという人は、さげすまれて砕かれる像なのか。それとも、だれにも喜ばれない器なのか。なぜ、彼と、その子孫は投げ捨てられて、見も知らぬ国に投げやられるのか。
地よ、地よ、地よ。主のことばを聞け。
主はこう仰せられる。「この人を『子を残さず、一生栄えない男』と記録せよ。彼の子孫のうちひとりも、ダビデの王座に着いて、栄え、再びユダを治める者はいないからだ。」
*エコヌヤ…エホヤキン王のこと。
『エホヤキン』が即位後の王としての名称であるに対し、『エコヌヤ』は個人名。
*エホヤキン王(エコヌヤ/エコニヤ)…父エホヤキムが死に、息子のエホヤキンが18歳で王として即位すると、バビロンの王ネブカデネザルは直ちに行動を起こし、エルサレムを攻め、わずか3ヶ月で降伏させたため、エホヤキン王の統治は、たった3ヶ月と10日間でした。
Ⅱ 列王記25:27~30ーユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十七日に、バビロンの王エビル・メロダクは、彼が王となったその年のうちに、ユダの王エホヤキンを牢獄から釈放し、
彼に優しいことばをかけ、彼の位をバビロンで彼とともにいた王たちの位よりも高くした。
彼は囚人の服を着替え、その一生の間、いつも王の前で食事をした。
彼の生活費は、その一生の間、日々の分をいつも王から支給されていた。
エレミヤ52:31~34ーユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十五日に、バビロンの王エビル・メロダクは、彼が即位した年のうちに、ユダの王エホヤキンを釈放し、獄屋から出し、
彼に優しいことばをかけ、彼の位をバビロンで彼とともにいた王たちの位よりも高くした。
彼は囚人の服を着替え、その一生の間、いつも王の前で食事をした。
彼の生活費は、死ぬ日までその一生の間、日々の分をいつもバビロンの王から支給されていた。
バビロンのネブカデネザルの息子エビル・メロダクが即位した年に、王の権威を保持するために恩赦が与えられました。それにより、エホヤキンは獄舎から出され、その後はバビロンの王の保護のもとに一生を過ごしたとあります。
『イスラエルの王』になるには『油そそぎ』が必要です。しかも『イスラエルの王』は、神の選びによりユダ族のダビデの家系からしかなることはできません。
その地位に対する神の選びの意味と責任をわきまえなくてはならないのに、エホヤキン(エコヌヤ)は南ユダ王国の民がバビロン捕囚となっている最中、自分だけバビロンの王とともに食卓につき、一生の間生活費を得ていました。
ダニエル書1:5, 8によれば、エホヤキンたちよりも8年早いBC605年、第一回バビロン捕囚の時に連れて来られた『ダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤ』たち四人は、バビロンの養育を受ける際、バビロンの王の食べるご馳走を拒否し、穀物類を含む野菜と水を与えてくれるように頼みました。
バビロンは偶像崇拝の本拠地とも言える地ですから、王の食べるごちそうも王の飲むぶどう酒も、偶像崇拝との関係がありました。
また、バビロン捕囚という身であってもイスラエルの民には『律法』が与えられていましたから、食物規定があり、食べても良い物と彼らにとっては汚れた食物がありました。
バビロンの王から支給される飲食物をそのまま受け入れるということは、律法違反になる可能性が高かったため、ダニエルたちはそれを避けたのです。
しかし、ダニエルたちとほぼ同年代であったエホヤキン(捕囚当時18歳、バビロンの王と食事を共にするようになったのは55歳頃)には、ダニエルたちのような信仰がなかったのでしょう。
神の律法が与えられている『ユダヤ人の王』としての自覚がなかったため、バビロンの王からの甘い誘惑にのってしまったエホヤキンの家系から『ダビデの王座』が取り上げられてしまいました。
ルカ2:12ー布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これがあなたがたのためのしるしです。
*布にくるまって…御子をくるんでいる布は、もともと家畜小屋としても『墓』としても使われる洞窟内に置かれていた死体を包むためのものでした。
博士たちの贈り物は、どれも王に捧げる贈り物としてふさわしい高価な物でした。
贈り物が三種類であったというだけで、博士たちの数が三人だったということではありません。バビロンからエルサレムまでは約1年半の道のりをキャラバン隊でやって来ました。
また、それらの贈り物には別な意味もありました。
*黄金…神の栄光。キリストの神性。『王』への贈り物。
再臨のキリストは『王』として来られます。
黙示録17:14aーこの者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。
*乳香…きよさ。義。乳香は祭司が捧げる神の御前に芳しい香りであり、信者の祈りを意味します。
キリストは現在、天にて『大祭司』としてとりなしてくださっています。
ヘブル6:20ーイエスは私たちの先駆けとしてそこに入り、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。
ヘブル7:25ーしたがって、ご自分によって近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
*没薬…没薬は死体の防腐剤として用いられたことから、キリストの死。
ヨハネ19:39ー前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。
神の厳しいお告げを告げた預言者は、しばしば殺されました。
キリストの初臨はモーセのような『預言者』として来られました。
申命記18:15ーあなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。
申命記18:18ーわたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。
ヨハネ8:26bーしかし、わたしを遣わした方は真実であって、わたしはその方から聞いたことをそのまま世に告げるのです。
*王、祭司、預言者はすべて『油注がれた者=メシア』でした。
世間的にも、ほぼすべての教会でも12月25日をキリストのご降誕=クリスマスとして祝いますが、キリスト・イエスのこの世での生涯は33年半でした。
教会はキリストの復活祭をイースターとして祝いますが、十字架で死んで葬られ、三日目に復活されたのが『春』であるなら、そのまま単純に33年半前の季節は冬のこの時期ではなく、『秋』であることがわかります。
その秋には、イスラエルでは三つの重要な祭りがあり、
福音書を注意深く学んでいけば『仮庵の祭り』の頃にキリストが誕生されたことがわかります。
12月のこの時期は御子の誕生ではなく、母マリヤが御使いガブリエルから受胎告知を受けた時期です。
伝道の良い機会だと捉えるのであれば、教会の伝統として『御子のお誕生日』として広めるのではなく、聖書のみことばの真理を宣べ伝えるべきではないでしょうか?
本当のクリスマスを宣べ伝える教会とクリスチャンが増えますようにー祈ー