サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

聖書的優先順位

物事には優先順位というものがあります。

聖書が教える『優先順位』には、どのようなものがあるのかをまとめてみたいと思います。もしかしたら、私たちが勘違いしていたこともあるかも…💦

 

【みことばの優先順位】

神のみことばは『誰に』与えられ、『誰に』託されたのでしょうか?

クリスチャン…?

いいえ🙅

 

クリスチャン(キリスト者)というのは、聖霊が内住するようになったイエスをメシアだと信じる者に対して使われたことばです。

そして、使徒11章で初めて弟子たちは『キリスト者』と呼ばれるようになったのです。

 

使徒11:25~26バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、

彼に会って、アンテオケに連れて来た。そしてまる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。

 

神のみことばを最初に託された人は、人類の代表者である『アダム』です。

アダムが託されたみことばは、

創世記2:16~17ー神であるは、人に命じて仰せられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

しかし、善悪の知識の木から取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」

 

妻エバが造られたのは、この後。

アダムは妻や後に生まれてくる子どもたちに『神のみことば/命令』を伝えるという使命がありました。それは一度伝えたらもう終わりというものではなく、神のみことば/命令を聞いた妻たちが誤解したり、忘れたりすることがないよう繰り返し伝えるべきだったはずです。

 

しかし、エバが蛇の誘惑を受けていた時、三つも誤った解釈をしていたのに、アダムは一度も訂正することはありませんでした。

 

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私たちも神のみことばを一度伝えたらもうお終いではなく、何度も繰り返し伝え続けなくてはならないのではないでしょうか?

 

エデンの園を追放された後、創世記4:1のエバの言葉を見ると、創世記3:15の『原福音』が背景にあることがわかります。

 

創世記3:15ーわたしは、おまえとと女との間に

また、おまえの子孫と女の子孫との間に、

敵意を置く。

彼は、おまえの頭を踏み砕き、

おまえは、彼のかかとにかみつく。

 

創世記4:1ー人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私はによってひとりの男子を得た。」と言った。

 

アダムとエバは『アダム契約』を覚えていて息子たちに伝えたけれど、自分の罪を神に赦してもらう態度(理解)の違いが、カインの捧げ物とアベルの捧げ物の違いとなって現れました。

 

エデンの園を出される時、神がしてくださったことに注目すると…

創世記3:21ー神であるは、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。

 

ここでは、罪の贖いのためには血が必要であることを教えています。

この原則が後に律法に組み入れられました。

レビ記17:11ーなぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。

 

神のみことばは、アダムから三男のセツに…ノアに、ノアから長子のセムに…アブラハム、イサク、ヤコブへと引き継がれていきました。ヤコブから生まれた十二人の息子たちの代の時、ヤコブの一族総勢70人でエジプトへ移住し、四百年間の奴隷生活を経てイスラエル民族となり、神はこの中からモーセをリーダーとして選び、出エジプトさせました。

 

出エジプトに至るまでの『十の災い』を通して、聖書は繰り返し『イスラエルの神をエジプト(異邦人)が知るようになる』ことを記しています。

もう既にこの時から『イスラエル』と『異邦人』の区別はあったのです。

しかし、何度も聖書を読んでいるにもかかわらず、私たちはこれらのみことばを深くりかいしようとしていません。

 

出エジプト記7:5ーわたしが手をエジプトの上に伸ばし、イスラエル人を彼らの真ん中から連れ出すとき、エジプトはわたしがであることを知るようになる。

 

出エジプト記7:17はこう仰せられます。『あなたは、次のことによって、わたしがであることを知るようになる。』

 

出エジプト記8:10ーパロが「あす。」と言ったので、モーセは言った。「あなたのことばどおりになりますように。私たちの神、のような方はほかにいないことを、あなたが知るためです。

 

出エジプト記8:22~23ーわたしはその日、わたしの民がとどまっているゴシェンの地を特別に扱い、そこには、あぶの群れはいないようにする。それはであるわたしが 、その地の真中にいることを、あなたが知るためである。

わたしは、わたしの民とあなたの民との間を区別して、救いを置く。あす、このしるしが起こる。』

 

出エジプト記9:4, 14ーしかしは、イスラエルの家畜とエジプトの家畜とを区別する。それでイスラエルの家畜は一頭も死なない。』

今度は、わたしは、あなたとあなたの家臣とあなたの民とに、わたしのすべての災害を送る。わたしのような者は地のどこにもいないことを、あなたに知らせるためである。

 

出エジプト記11:7ーしかしイスラエル人に対しては、人から家畜に至るまで、犬も、うなりはしないでしょう。これは、がエジプト人とイスラエル人を区別されるのを、あなたがたが知るためです。

 

イスラエルの民に対しての神の目的は、

出エジプト記10:2ーわたしがエジプトに対して力を働かせたあのことを、また、わたしが彼らの中で行なったしるしを、あなたが息子や孫に語って聞かせるためであり、わたしがであることを、あなたがたが知るためである。

 

そして、荒野を旅する間に与えたのが『モーセの律法』です。

それは神によってエジプトの奴隷生活から解放された民が、自由人として、神の民として、いかに生きるべきかという指針を与えたものでした。 

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つまり、神は人類代表としてみことばをアダムに託したように、その子孫の中からアブラハム、イサク、ヤコブとその子孫であるイスラエルの民を選び、みことばを託されたのです。

 

詩篇147:19~20主はヤコブには、みことばを、

イスラエルには、おきてとさばきを告げられる。

主は、どんな国々にも、

このようには、なさらなかった。

さばきについて彼らはしっていない。

ハレルヤ。

 

ローマ3:1~2ーでは、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。

それはあらゆる点から見て、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています。

 

*神のみことばの優先順位は、まずイスラエルの民に、それから異邦人にです。

 

パウロたちはそのことをきちんと理解して、行く先々で会堂に入り、まずユダヤ人たちにキリストの福音を伝えていました。

 

使徒13:4~5ー*ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。

サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らは**ヨハネを助手として連れていた。

*ふたりバルナバとサウロ(パウロ) 使徒13:2

**ヨハネ…マルコと呼ばれるヨハネ 使徒12:12

 

使徒13:14ーしかし彼らは、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行き、*安息日に会堂にはいって席に着いた。

*安息日会堂シナゴーグ)に集まるのは、ユダヤ人たちです。

 

使徒17:1~2ー*彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。そこには、ユダヤ人の会堂があった。

パウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。

*彼らパウロとシラス 使徒16:29

 

 

【御霊の内住の優先順位】

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聖霊は、①使徒2章でユダヤ人信者に降り、②使徒8章でユダヤ人と異邦人の血を引くサマリヤ人信者に降り、③使徒10章で初めて異邦人信者に降りました。

 

ここでもユダヤ人に優先順位があります。

 

 

【救いの優先順位】

聖書の大原則は、キリストの福音は、まず神のみことばを託された神の民である『ユダヤ人』に、そしてメシアを信じるユダヤ人たちから異邦人への順序です。

 

エス様もこの大原則に法って宣教されました。異邦人にも救いに導いたのは、ユダヤ人たちが民族的にイエスのメシア性を拒否してからです。

 

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マタイ15:24ーしかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と言われた。

 

五千人の給食は春の過越の祭りの頃、対象はユダヤ人。

四千人の給食は夏の時期、対象はガリラヤ湖の向こう岸、つまり異邦人。

ここでも、まずユダヤ人、それから異邦人の順番です。

 

公生涯でまずイエス様をメシアだと信じたのは、ユダヤ人の弟子たちでした。その彼らの中から内弟子11人を使徒としての派遣されました。異邦人への宣教は、初代のユダヤ人信者(使徒たち)から始まったのです。

 

マタイ28:19~20ーそれゆえ、*あなたがたは行って、**あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、

また、わたしが***あなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、**彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

*あなたがたイスカリオテ・ユダが脱落した後の11人の使徒たち

** あらゆる国の人々…異邦人

***彼ら…異邦人信者

 

ヨハネ10:16ーわたしにはまた、*この囲いに属さない**ほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、***一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。

*この囲い…神の選びの民イスラエルの信者

**ほかの羊…異邦人信者

***一つの群れユダヤ人信者と異邦人信者とが、ひとりの新しい人/キリストの花嫁となるのが教会時代です。

パウロもエペソ人への手紙2章で同じことを言っています。

 

 

【愛することの優先順位】

 ヨハネ13:34~35ーあなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」 

 

よく教会では未信者にキリストの愛を示すように言われますが、キリストの教えは優先順位が異なります。

まず『キリストの弟子となった者同士が互いに愛し合うように』と勧めています。

どのようにでしょうしょうか?

それは、『師であるキリストが弟子たちを愛されたように』です。

キリストの愛を知っている者同士が具体的に相手をケアし、愛し合う姿を見て、未信者たちがキリスト者の間にある愛を認め、そのような仲間に加わりたいという思いを抱かせるためです。

 

教会内の群れに愛がなければ、誰がキリストに興味を持つでしょうか?

教会内の兄弟姉妹の必要を無視して、教会の外にばかり目を向けていては本末転倒です。

 


【経済的援助の優先順位】

1テモテ5:3~4ーやもめの中でほんとうのやもめを敬いなさい。

しかし、もし、やもめに子どもか孫がいるなら、まずこれらの者に、自分の家の者に敬愛を示し、親の恩に報いる習慣をつけさせなさい。それが神に喜ばれることです。

 

1テモテ5:9, 11ーやもめとして名簿に載せるのは、六十歳未満の人ではなく、ひとりの夫の妻であった人で、

若いやもめは断りなさい。というのは、彼女たちは、キリストにそむいて情欲に引かれると、結婚したがり、

 

1テモテ5:16ーもし信者である婦人の身内にやもめがいたら、その人がそのやもめを助け、教会には負担をかけないようにしなさい。そうすれば、教会はほんとうのやもめを助けることができます。

 

教会としてほんとうのやもめを助けることができるように、信者の身内にやもめがいたら、身内である信者がそのやもめを助けるように…というものです。

これも【愛することの優先順位】と同じですね。

まず、信者同士、そして身内に愛を示すことが大事です。

 

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聖書が教えるこれらの優先順位を無視すると、そこには問題が噴出します。

私たちはまず、静まって聖書の教えに耳を傾けることです。