サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

新しい契約の承認 〜ヘブル 9:15~22〜

旧約聖書とは、神の選びの民イスラエルに与えられた『律法と預言書』から成り立っています。

この律法とは『モーセ契約』に基づいて、イスラエルの民になり与えられた613ある律法のことであり、『十戒』だけを指すのではありません。

 

この旧い『モーセ契約』は、雄牛の血によって承認されました。

モーセ契約』は条件付き契約であり、神の民イスラエルが「神の命令に聞き従います」という同意を得て、祭壇(神側)とイスラエルの民に雄牛の血が降り注がれて承認されましたー出エジプト記24章ー。

 

ヘブル書のこの箇所では、その『モーセ契約』との比較の中で『新しい契約』が神の小羊イエスの血によって承認されたことを説明しています。

 

ヘブル9:15ーこういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。

 

*こういうわけで…良心をきよめるという14節で述べた理由により、の意。

『イエスの十字架の死が、信じる人々の良心をきよめた』という事実に基づくもの。 

 

 第一にキリストは新しい契約の仲介者であること。

仲介者は、両者の間に平和と友好を作るため、もしくは契約を承認するために仲裁する人です。このケースでは『モーセ契約』とは対照的に『新しい契約』を承認します。

 

モーセ契約(律法)』は違反を指し示すことはできましたが、約束された祝福をもたらすことはできませんでした。そのため、『新しい契約』が必要でした。

そしてキリスト・イエスは、この『新しい契約』の仲介者なのです。 

 

第二に、イエスの死は、初めの契約(モーセ契約)のときの違反の贖いをもたらしました。事実、律法による動物のいけにえの血は、旧約聖書の義人たちの罪を取り除きませんでした。

*『贖い』を意味するヘブル語:Kippur は、ただ『カバーする/覆う』という意味しかありません。

動物の血は旧約時代の義人たちの罪を取り除くことは出来ず、罪を覆っただけでした。そのため、旧約の義人たちが死んだとき、直接天に行くことはできませんでした。

彼らのたましいは直接天に行く代わりに、『パラダイス/アブラハムのふところ/シェオル/ハデス』と呼ばれる区画に行き、義人たちの罪を取り除くことのできるメシアの死を待っていました。

 

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死後の世界

エスが十字架で死んだという事実は、単にイエスの十字架以後に犯した罪のためだけでなく、十字架以前に犯された罪、最初の契約である『モーセ契約(律法)』の中で犯された罪のためでもありました。同じことが、ローマ3:25でも指摘されています。

 

ローマ3:25ー神は、キリスト・イエスをその血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。

 

*召されたものたち…旧約時代の義人たちの罪が、キリストが死んだ時に取り除かれたことを示します。旧約の義人たちは、彼らが最初に信じた時、信じた瞬間に『召された/救われた』のです。けれども、彼らの罪は単に『覆われた』だけであり、罪が『取り除かれた』わけではありませんでした。

 

旧約の義人たちの罪も、新約時代の聖徒たちの罪が取り除かれるのと同じ方法で取り除かれるのです。それは、エスの十字架の死(血)によってです。

 

旧約時代の義人たちは、その生涯のある特定の時点で救いへと導かれました。その瞬間、その人は信者となったのです。後に、彼らは永遠の資産の約束を受けました。イエスの十字架の死によってのみ、約束の承認を受け取ったのです。

 

エスの十字架の死は、モーセ契約の罪を取り除き、新しい契約のために必要な承認をもたらしたのです。それは、罪による有罪判決の代わりに、祝福をもたらす契約です。

旧約時代の義人たちの罪が取り除かれたため、現在彼らはキリストと共に天に上げられています。

エペソ4:8~10ーそこで、こう言われています。

「高い所に上られたとき、

彼は多くの捕虜を引き連れ、

人々に賜物を分け与えられた。」

ーこの「上られた」ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。

この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのですー

 

 

ヘブル9:16ー遺言には、遺言者の死亡証明が必要です。

ヘブル9:17ー遺言は、人が死んだとき初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間は、決して効力はありません。

 

 16~17節で著者は、契約の概念から意志の概念へ考え方を切り替えています。その二つのことの共通点は『遺言』の概念です。遺言は、意志によって用意されますが、遺言者が死ぬまで効力はありません。それまでは、意志のないようは『約束』だけです。

 

 人間社会において、『意志/遺言』は、遺言者の死後にのみ有効になります。おなじように、神が失われた罪人に『救い』を譲渡するには、罪人の死後にのみ有効となります。つまり、罪人は肉体の死後にのみ天の御国に入れるということです。

 

ヘブル書の受取人/読者たち(私たち信者)は、現在救われていますが、肉体の死後にのみ天の御国に入ることができるのです。(唯一の例外は、肉体が生きている間に『携挙』が起こる場合のみです)

 

メシアの死によるもう一つの利点は、信者には相続するものがあるということです。

それは、遺言されていた『天の故郷』です。この彼らの相続資産を与えるという神の意志(または遺言書)の条項を有効にしたのが、キリスト・イエスなのです。 

 

 

18~22節の背景となるのが、出エジプト記24:3~8です。

 

出エジプト記24:3~8ーそこでモーセは来て、主のことばと、定めをことごとく民に告げた。すると、民はみな声を一つにして答えて言った。「主の仰せられたことは、みな行います。」

それで、モーセは主のことばを、ことごとく書きしるした。そうしてモーセは、翌朝早く、山のふもとに祭壇を築き、またイスラエルの十二部族にしたがって十二の石の柱を立てた。

それから、彼はイスラエル人の若者たちを遣わしたので、彼らは全焼のいけにえをささげ、また、和解のいけにえとして雄牛を主にささげた。

モーセはその血の半分を取って、鉢に入れ、残りの半分を祭壇に注ぎかけた。

そして、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。すると、彼らは言った。「主の仰せられたことはみな行い、聞き従います。」

そこで、モーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」

 

ヘブル9:18ーしたがって、初めの契約も血なしに成立したのではありません。 

 

*初めの契約モーセ契約は血によって成立しましたが、それは動物の血でした。動物の血ではあったけれども、契約の条件を満たすものでした。

 

動物の血を流すことは、結ばれた契約の条件の不変さを承認しました。

古い契約は『血の契約』でしたが、廃止することは可能でした。

古い契約は、最初から条件付きに契約でしたが、廃止されるまでは成立していました。

流された動物の血のささげものは、この契約が成立していることを証明しました。

 

モーセ契約のような『血の契約』において、血が流される時点までは条件を変えることは可能でした。しかし、血を流すことにより一旦契約が成立されたなら、その契約の内容は、たとえその血が動物の血であったとしても変更することはできなかったのです。

 

新しい契約では、神の御子イエスは動物の血によってではなく、ご自身の血で『血の契約』を成立させました。『神の小羊』としてのより優れた血を提供されました。

 

動物の死(血)をもって契約を成立させたモーセの場合でさえ、契約内容を変えられなかったのですから、この新しい契約の成立においても同じことが言えるのです。

 

 

ヘブル9:19モーセは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、

 

19節で著者は、出エジプト記20~23小の戒めである律法のみことばを述べた後、モーセは契約を成立させるために厳粛な血の儀式を行なったことを述べています。そして『契約の書』自体にも、民全体にも血を注ぎかけることによって契約を成立させたのです。 

 

出エジプト記24:1~8ー主は、モーセに仰せられた。「あなたとアロン、ナダブとアビフ、それにイスラエルの長老七十人は、主のところに上り、遠く離れて伏し拝め。

モーセひとり主のもとに近づけ。他の者は近づいてはならない。民もモーセといっしょに上ってはならない。」

そこでモーセは来て、主のことばと、定めをことごとく民に告げた。すると、民はみな声を一つにして答えて言った。「主の仰せられたことは、みな行います。」

それで、モーセは主のことばを、ことごとく書きしるした。そうしてモーセは、翌朝早く、山のふもとに祭壇を築き、またイスラエルの十二部族にしたがって十二の石の柱を立てた。

それから、彼はイスラエル人の若者たちを遣わしたので、彼らは全焼のいけにえをささげ、また、和解のいけにえとして雄牛を主にささげた。

モーセはその血の半分を取って、鉢に入れ、残りの半分を祭壇に注ぎかけた。

そして、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。すると、彼らは言った。「主の仰せられたことはみな行い、聞き従います。」

そこで、モーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」

 

 モーセは子牛とやぎの血を使い、水と赤い色の羊の毛とヒソプを使いました。

『契約の書』と『民全体』に血を注ぎかけるということには 、二つの意味がありました。

①人々が従うこと。

②彼らが従うならば、神によって祝福されるということ。

 

 

ヘブル9:20ー「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である」と言いました。

 

 もし民が不従順であるなら、血を注ぎかけるという動作はイスラエルよ。これは神があなたがたに対して建てられた契約の血である』という、彼らのいのちに対して堅く結ばれた契約です。

血は、神と神の民イスラエルとの契約を成立させたのでした。

 

 

ヘブル9:21ーまた彼は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様に血を注ぎかけました。

 

ここでは、モーセは幕屋のすべての物に血を注ぎかけたことが記されています。

幕屋のすべての物が、人の手によって作られたのなら、人との接触があったことであり、そのためきよめられる必要がありました。

 

出エジプト記には、モーセが幕屋に血を注ぎかけた記述はありませんが、ヨセフスの歴史書ユダヤ戦記』に記されています。ヨセフスと新約聖書の著者が、モーセが幕屋と器具に血を注ぎかけたことを記しています。 

 

 

ヘブル9:22ーそれで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。

 

 律法のもとでは、ほとんどすべての物が血によってきよめられると、著者は結論を述べています。(幾つかの物は水できよめられ、幾つかの物は全くきよめられませんでした)

 

*律法によれば…原則として、罪の赦しに関しては、血によって罪からきよめられるために、血が流されなくてはならないということです。

罪の赦しには、血が要求されるということです。

 

『新しい契約』が神の小羊イエスの血によって承認されたのなら、旧い『モーセ契約』はその時点で無効になったということです。

 

そのいくつかは現在でも有効であるとは、聖書はどこにも記していません。

条件付きの『モーセ契約』は、613全て守るか全て無効かの二つに一つです。

 

ガラテヤ3:10ーというのは、律法の行いによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」

 

異邦人には与えられていない『モーセ契約』の律法に縛られて信仰生活を送ろうとするなら、それはキリストの贖いを無効とすることになり、もはやキリストの教えではなくユダヤ教の教えに従うことになります。

 

私たちは『キリストのしもべ』として、キリストの律法に従って信仰の歩みをすべきですね。

 

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