神の小羊イエスは、十字架につかれた6時間の間に全部で七つのことばを発せられたことが、聖書には記されています。
その中の一つであり、六番目のことばが「完了した」(ギリシャ語:テテレスタイ)です。その意味は『負債はすべて返された』です。
ヨハネ19:30ーイエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。
イエスは何を完了されたのでしょうか?
私たちが負っている『負債』とは何でしょうか?
よく『罪』とは、神中心ではなく、自己中心のこと、的外れ(ギリシャ語:ハマルティア)のことだと言われます。
自己中心による良い行いは、確たる基準がなく、おのおのが良いと思うことを行うことです。それは士師の時代のイスラエルの民と同じ生き方になります。
士師記21:25ーそのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。
その結果、士師の時代は
①神から離れ、偶像崇拝に陥った。
②神の怒りに触れ、近隣諸国(異邦人)の手に渡された。
③困った時の神頼みで、助けを祈り求めた。
④神は士師を起こして、敵の手から救われた。
⑤士師が生きている間は平和を保つことができたが、偶像崇拝から完全に手を引くことはなかった。
⑥士師が死ぬと、以前よりも悪い状態に陥った。
⑦神はまた近隣諸国の民を用いて、イスラエルを裁かれた。
❸神に助けを求めた。
❹神は敵の手から救われた。
というサイクルが六回繰り返されました。
イスラエルの民は、神の選びの民として『神の民としての生き方の基準』であるモーセの律法が与えられていました。
この基準を満たしていない、不足の部分が『神に対する負債』になるのです。
私たち異邦人には、初めから『モーセの律法』は与えられていないので、負債どころか『基準』そのものを持ってはいませんでした。
基準を持たない異邦人は、十戒の一番目すらわからずに偶像崇拝をしているわけです。
【モーセの律法第一戒】
出エジプト記20:2ー「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
その『負債』をすべて返済するために、神の御子イエスは『人の子』として地上に来てくださり、613あるモーセの律法をすべて満たしてくださいました。
神の選びの民イスラエルの誰が、どの律法を満たしていなくても、すべての負債を請け負うために613すべての戒めを守り通してくださったのです。
それだけでなく、マタイの福音書にあるキリストの系図がダビデまでに四人の異邦人女性の血がイエスに引き継がれていることを示しているように、異邦人とも親族関係となって十字架の贖いを異邦人にも有効としてくださったのです。
つまり、神の基準を満たさず、負債を負った人間のために、神の御子が受肉され、すべての基準を身代わりとして満たし、ご自身の血で代価を払ってくださったのです。
これが、聖書が記す『罪の身代わり』の十字架の死の意味です。
明後日、マスオさんが召されて7週間を迎えます。
今日、メインバンクから「9月1日付で団体保険で住宅ローンの残金が完済されました」という証明書が届きました。
毎月のローン返済が重くのしかかる中での完済通知に、肩の荷が降りたのは言うまでもありません。
マスオさんは、自分の死によって家族にのしかかったであろう負債を帳消しにしてくれました。
いのちを代償に負債が完済したことを思うと、そこに十字架の主の「テテレスタイ」のみことばが重なってきます。
ローマ6:6ー私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。
ローマ6:11ーこのように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。
ヨハネ1:12ーしかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
私たちは神の御子のいのちをもって負債が無くされ、負債(罪)から自由の身である神の子どもにとされました。
その喜びを噛み締めて、信仰の歩みをしているキリスト者はどれほどいるでしょうか?
士師の時代のように苦しい時の神頼みではなく、感謝と喜びにあふれた信仰の歩みができますように。