カトリック教会には、多くの聖母マリア像があり、そのほとんどが幼子イエスを抱いた優しい母の表情をしています。
しかし、私たち罪人を永遠の滅びから救い出すために十字架にかかられたのは、聖母マリアではなく、幼な子時代のイエスでもありません。
ここは、誤解されないように注意が必要ですね。
イエスは神の御子でありながら、謙遜に『人の子』として誕生されました。
全知全能なる神の御子が、周囲の大人の手を借りなければ、自分では何一つすることができない『みどり子』として誕生されたのです。
そのため、サタンは、メシアが『みどり子』のうちに葬り去ろうとして、ヘロデ大王を用いてベツレヘムへ人をやって、近辺の二歳以下の男の子を残らず殺させました。
マタイ2:16ーその後、ヘロデは博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年齢は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。
この出来事は、エレミヤを通して語られた預言が成就するためのものでもありました。
エレミヤ書31:15ー主はこう仰せられる。
「聞け。ラマで聞こえる。
苦しみの嘆きと泣き声が。
ラケルがその子らのために泣いている。
慰められることを拒んで。
子らがいなくなったので、
その子らのために泣いている。」
マタイ2:17~18ーそのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。
「ラマで声がする。
泣き、そして嘆き叫ぶ声。
ラケルがその子らのために泣いている。
ラケルは慰められることを拒んだ。
子らがもういないからだ。」
幼少時代のメシアの記述は少ないことからも、聖書は幼少期のメシアを強調していないことがわかります。
四福音書の中でも、メシアの誕生や幼少期のことに触れているのは、マタイの福音書とルカの福音書の二つだけです。
この二つの福音書には、それぞれ『系図』が記されていて、マタイ1章の系図は養父ヨセフのもの、ルカ3章の系図は母マリヤのものであり、共に『ダビデの家系』であることを証言しています。
メシアの誕生がマタイとルカの二つの福音書だけしが言及していないのに対して、メシア『十字架の贖いの死、葬り、三日目の復活』という真の福音に関することは、四福音書すべてに証言されています。
したがって、強調点は大人になったキリストの福音にあるのであって、カトリック教会が強調している聖母マリアでも、幼子イエスでもないことは明らかです。
聖書が『正しい人』として記している養父ヨセフは、モーセの律法に従って、生後八日目の割礼を幼子イエスに施し、きよめの期間が満ちたときには、幼子を主にささげるためにエルサレムに連れて行っています。
イエスが12歳の時に、翌年のバルミツバ(ユダヤ人男子の成人式)の準備のために、両親とともにエルサレムに上られたことがありました。
その時の出来事をルカが記しています。ルカ2:41~52参照
両親とはぐれたイエスは、エルサレムの宮で律法の教師たちの真ん中にすわって、話を聞いたり質問したりして、人々を驚かせていました。
ルカ2:46~47ーそしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真ん中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。
この時までに、イエス様は相当の知恵を得ていたと思われます。
キリストの公生涯において、故郷のナザレの人々から疑問に思われたことがありました。
マタイ13:54~56ーそれから、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。
すると、彼らは驚いて言った。「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。
この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。
妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。とすると、いったいこの人は、これらのものをどこから得たのでしょう。」
郷里ナザレの人々は、貧しい大工の息子であったこと、イエスの母や弟たちや妹たちをよく知っており、律法を専門的に学ぶような機会はなかったことを知っていたのでしょう。
また、エルサレムでもユダヤ人(パリサイ派の人々、の意)からも不思議がられました。
ヨハネ7:14~15ーしかし、祭りもすでに中ごろになったとき、イエスは宮に上って教え始められた。
ユダヤ人たちは驚いて言った。「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか。」
*正規に学ぶ…パウロがサウロ時代にガマリエルから学んだように、律法の専門家である有名なラビに付いて教えを受けることを意味。
これらの証言から、イエスは誰か人から律法を学んだのではないことがわかります。
旧約聖書にメシアの誕生から十字架の贖いまでを、『第五の福音書』と呼ばれる『イザヤ書』が預言しています。
そこには、子ども時代のイエスに誰が教えるのかが預言されています。
イザヤ書50:4ー神である主は、私に弟子の舌を与え、
疲れた者をことばで励ますことを教え、
朝ごとに、私を呼びさまし、
私の耳を開かせて、
私が弟子のように聞くようにされる。
御父が直接『朝ごとに、人の子となられたイエスを呼びさまし、耳を開かせて、弟子訓練をされた』ということです。
ヨハネ8:26ーわたしには、あなたがたについて言うべきこと、さばくべきことがたくさんあります。しかし、わたしを遣わした方は真実であって、わたしはその方から聞いたことをそのまま世に告げるのです。」
ヨハネ8:28ーイエスは言われた。「あなたがたが人の子を上げてしまうと、その時、あなたがたは、わたしが何であるか、また、わたしがわたし自身からは何事もせず、ただ父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話していることを、知るようになります。
人の子として、私たちと同じように、無力の赤子としてお生まれになったイエス様の謙遜さ、
神と人とに愛されて育てられた子ども時代、
ルカ2:52ーイエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。
神に対して忠実であられたキリスト・イエスに栄光がとこしえにありますように。