『キリストの福音』を語る時、実に多くの教会、信者が『葬り』を抜かしています。
たとえ口頭で「福音の三要素ー十字架の死、葬り、復活ーは大事です。」と言っていても、いざ伝道する時に『葬り』を抜かして語ったり、使用しているテキストに『葬り』が抜けているものを平気で使ったりしていることも多々あります。
そのような教会、信者たちは、本当に『キリストの福音』を信じていると言えるのでしょうか?
本当に、御霊の内住のある信者だと言えるのでしょうか?
本当に、永遠のいのちを得ていると言えるのでしょうか?
コロサイ2:12ーあなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。
異邦人への使徒となったパウロは、バプテスマの意味をこのように説明しました。
*葬られ…この言葉は『十字架の死』が前提にあります。なぜなら、『葬る』という漢字の中心に『死』という字が入っていることからもわかるように、人は生きたまま葬られることはないからです。
*よみがえらさせた…キリストは、『神の御子』としては自力復活されましたが、『人の子』としては神の力による他力復活されました。私たち人間は、自力復活はできないので、キリストの他力復活がなければ、『キリストとともによみがえる』ことはできません。ここに、キリスト・イエスの神性・人性の二面性が表されていることがわかります。
1コリント15:2~5ーどんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。(新共同訳聖書)
私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、
また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
*この福音によって救われます…3〜4節でパウロが伝えている福音以外を宣べ伝えるなら、「のろわれるべき」だと聖書は記しています。
ガラテヤ1:8~9ーしかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが述べ伝えた福音に反することをあなたがたに述べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。
*聖書の示すとおりに…①私たちの罪のために死なれたこと
イザヤ53:5~8ーしかし、彼は、
私たちの背きの罪のために刺し通され、
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、
おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての咎を
彼に負わせた。
彼は痛めつけられた。
彼は苦しんだが、口を開かない。
ほふり場に引かれて行く羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。
しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
②葬られたこと
イザヤ53:9 ー彼の墓は悪者どもとともに設けられ、
彼は富む者とともに葬られた。
彼は暴虐を行わず、
その口に欺きはなかったが。
*彼の墓は悪者どもともに設けられ…犯罪人として死刑執行を受けたなら、犯罪人として処分されました。
十字架刑は、モーセの律法に基づく死刑法ではなく、ローマの極刑です。
ローマ法では、十字架刑に処された遺体は野獣や猛禽類に処理させるのが常ですが、モーセの律法には次のように記されています。
申命記21:23ーその死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。
あなたのかみ、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してならない。
この律法に基づいて、主イエスの遺体を引き取りに来たのが、アリマタヤのヨセフであり、ニコデモと二人でイエスを埋葬しました。
ヨハネ19:38~42ーそのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだをとりかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろした。
前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。
そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。
イエスが十字架に付けられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。
その日がユダヤ人の備えの日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。
*富む者とともに葬られた…『墓に葬られる』のは、罪人ではなく、罪が認められない一般人だけでした。ここにキリストの十字架の死は、自分の罪のためではなく、罪人の身代わりであったことが預言されています。
これはアリマタヤのヨセフの墓に葬られたことにより、成就しました。
マタイ27:57~60ー夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。
この人はピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。そこで、ピラトは渡すように命じた。
ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、
岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石を転がしかけて帰った。
*暴虐を行わず…行いによる外側の罪がなかった、の意。
*その口に欺きはなかった…心の内側にも罪はなかった、の意。
『葬られる』というのは、罪のないお方であったことの証明です。
そのことの型が、聖餐式で本来用いられるべき『種なしパン(*パン種は、罪の象徴)』ですから、食パンで代用している教会は、キリストを『罪ある者』としていることを悔い改めるべきです。
③三日目によみがえられたこと
詩篇16:10ーまことに、あなたは、
私のたましいを
よみに捨ておかず、
あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
パウロが伝えた福音とは、それほど重要なものなのです。
それはパウロ自身も受けた福音であり、他のおもだった使徒たち(エルサレム教会の教父ヤコブ、十二使徒のリーダーペテロやヨハネたち)と宣べ伝えている福音が一致しているかどうか確認した上での福音でした。
ガラテヤ2:1~2ーそれから十四年たって、私は、バルナバといっしょに、テトスも連れて、再びエルサレムに上りました。
それは啓示によって上ったのです。そして、異邦人の間で私の宣べ伝えている福音を、人々の前に示し、おもだった人たちには個人的にそうしました。それは、私が力を尽くしていま走っていること、またすでに走ったことが、むだにならないためでした。
キリストは、その墓からよみがえられたのです。
十字架から復活されたわけではありません!