サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

祈る時『かぶり物』は必要? 〜1コリント11:3~16〜

現在でも、教会によっては女性は『かぶり物』をして祈るところがありますよね。

おそらく1コリント人への手紙11章のパウロの教えを基にしているのだと思います。

大事なのは、パウロが誰に対して何を言わんとしているかということであり、コリント書が書かれた背景の中で意味を掴むことだと思います。

 

教会の慣習、牧師の教えだからといって鵜呑みにするのではなく、

①熱心にみことばを聞く姿勢

②はたして『聞いたことがそのとおりかどうか』と毎日聖書を調べること

が大事ですね。

 

使徒17:11ーここのユダヤ人たちは、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

 

今回は『かぶり物』について、この手紙が書かれた背景、文脈を基に検証してみたいと思います。

 

 

1コリント11:3ーしかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。

 

1コリント11章でパウロは、結婚生活において語っているのではなく、教会での礼拝について語っています。

 

キリストは第二位格の神として、創造主であられます。

コロサイ1:15~16ー御子は見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。

なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は御子によって造られ、御子のために造られたのです。

 

コロサイ1:18ーまた、御子はそのからである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。

 

 

1コリント11:4ー男が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていたら、自分の頭をはずかしめることになります。

 

*祈りや預言をするキリスト者としての行為

 

ここから先の理解には、当時のコリントの町の背景を理解する必要があります。

ギリシャコリントの町は、二つの港を有した海陸共に交通の要衝で、商業が発達した重要都市でした。

巨大な野外劇場があり、一年おきにオリンピアのような競技大会が開催されていた町でした。

なので、パウロは書簡の中で彼らに馴染みのある競技にたとえて真理を語っています。

 

1コリント9:24~27競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。

また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。

ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。

私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。

 

そのコリントの町の南側には『アクロ・コリントス』という一枚岩の丘があります。

ここから古代コリントの町を見おろすことができました。

そこには、愛と性を司る『美の女神アフロディーテ』を祭る神殿があり、この女神に仕える巫女たちが『神殿娼婦』でした。性的行為は一人で行うものではないため、当然『神殿男娼』たちもいました。


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神殿娼婦たちは髪を剃り、神殿男娼たちは神を長くして、それとわかるようになっていました。

 

*かぶり物…文脈から『かぶり物』が髪の毛に例えられていることわかります。1コリント11:15参照

 

*自分の頭をはずかしめる…男性の長髪は、異教の『神殿男娼』のしるしだから。

 

当時のコリントの町は、経済的繁栄と宗教的性的堕落により、道徳的に堕落していたため、そこに住むキリスト者たちの中にもその影響を受けた者たちがいました。

 

1コリント5:1~2ーあなたがたの間に不品行があるとおいことが言われています。しかもそれは、異邦人の中にもないほどの不品行で、父の妻を妻にしている者がいるとのことです。

それなのに、あなたがたは誇り高ぶっています。そればかりか、そのような行いをしている者をあなたがたの中から取り除こうとして悲しむこともなかったのです。

 

*異邦人…ここでは『不信者』の意

 

 

1コリント11:5ーしかし、女が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることになります。それは髪をそっているのと全く同じことだからです。

 

*祈りや預言をする…男性信者同様、女性信者の行い。

 

*髪をそっているのと全く同じ…髪をそっているのは、異教の『神殿娼婦』のしるし。 

 

 

1コリント11:6ー女がかぶり物を着けないのなら、髪も切ってしまいなさい。髪を切り、頭をそることが女として恥ずかしいことなら、かぶり物を着けなさい。

 

*髪を切り、頭をそることが女として恥ずかしい…異教の『神殿娼婦』と間違われるため

 

 

1コリント11:7ー男はかぶり物を着けるべきではありません。男は神の似姿であり、神の栄光の現れだからです。女は男の栄光の現れです。

 

*男はかぶり物を着けるべきではありません…キリストにある男性が髪を長くしていると、異教の『神殿男娼』と間違われるため、神の栄光をあらわすことにならないため。

 

 

1コリント11:8ーなぜなら、男は女をもとにして造られたのではなくて、女が男をもとにして造られたのであり、

 

アダムとエバが造られたときの神の創造の秩序

創世記2:7ー神であるは土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。

 

創世記2:21~22ー神であるは深い眠りをその人に下されたので、彼は眠った。そして、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。

神であるは、人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。

 

 

1コリント11:9ーまた、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。

 

女性は、男性にとっての『ふさわしい助け手』として造られました。

創世記2:18ー神であるは仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手をつくろう。」

 

 

1コリント11:10ーですから、女は頭に権威のしるしをかぶるべきです。それも御使いたちのためにです。

 

*権威のしるし…異教の『神殿娼婦』としてではなく、キリストにある者としての権威のしるしとしての長い髪のこと。 

 

*御使いたちのために…御使いたちは公の礼拝において、キリストにある者たちが神の権威に服しているかどうかを観察しているということ。

 

 

1コリント11:11ーとはいえ、主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。

 

聖書は決して『男尊女卑』や『ウーマンリブ』を推奨しているわけではありません。

 

 

1コリント11:12ー女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。

 

繰り返し神の創造の秩序がリマインドされています。

 

 

1コリント11:13ーあなたがたは自分自身で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのは、ふさわしいことでしょうか。

 

*自分自身で判断しなさい…当時の社会の中で、教会のしきたりや信仰の先輩たちに決定権があるのではなく、男性が長髪にしたり、女性か神を短くそることが神に祈りをささげるのにふさわしいか否かの判断は、個々の信者に委ねられているということ。

 

 

1コリント11:14ー自然自体が、あなたがたにこう教えていないでしょうか。男が長い髪をしていたら、それは男として恥ずかしいことであり、

 

当時のコリントの町の背景を知ることによって理解できますね。

主にある者が異教の『神殿男娼』に見られることは、恥ずかしいことです。

 

 

1コリント11:15ー女が長い髪をしていたら、それは女の光栄であるということです。なぜなら、髪はかぶり物として女に与えられているからです。

 

*女の光栄…長い髪にして、異教の『神殿娼婦』ではなく、主イエス・キリストにある者として見られることは、女性信者としての光栄でした。

 

*髪はかぶり物…ここで、この文脈で『髪がかぶり物』として言われていることがわかります。

 

 

1コリント11:16ーたとい、このことに異議を唱えたがる人がいても、私たちにはそのような習慣はないし、神の諸教会にもありません。

 

*私たち…異邦人への使徒パウロを含むコリントの教会にある信者全員 

 

*そのような習慣…主にある男性信者が長髪にしたり、女性信者が髪をそる習慣。

 

パウロは、そのコリントの地にいるキリスト者たちに対し、髪の長さによってもキリスト・イエスに属する者として自分自身をあらわすようにと勧めているのです。

 

1コリント10:31ーこういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。